シナジェティクス」カテゴリーアーカイブ

計画的偶然(precession)

シナジェティクスは、経験の意味を捉え直すための
新たな経験を求める操作主義のようにふるまう。

私という主体的経験が、<超越論的機能>において、
経験と意味作用を繰り返される現実のモデリング過程に於いて
単独者としてモデル言語を生成することで
宇宙の原理の存在を再発見するために、
新たな経験を求めている。

しかし、その目的意識自体によって
偶然性に潜む発見のチャンスは
ことごとく破壊される結果に終わるにちがいない。

にもかかわらず、ついに<計画的偶然(precession)>が訪れるという経験は
絶えず新たな経験から学ぶしかないのである。

この超越論的機能は、予めデザインされている。

観察力

思考形式も、身体の環境から、身体の表面で、そして内部で、
外部化作用によって生み出される。
圧縮力が、構造の表面、そして内部で、重力作用によって生み出されるように。

その外部化作用は、まず義務教育課程で、
徹底的に監督・監視する教師によって行使される。
その教育課程外でも、
10歳までに首尾良く訓練され矯正される味覚と食欲の研究は
無数のマクドナルドで実証されている。

しかし、マクドナルドで教育されたこどもは
優れた料理人は成り得ないという研究はけっして為されない。

抜け目ない権力の外部化作用によって
徹底的に思考形式の生産・再生装置に束縛されていることに
驚くことさえできない段階に到達したのだろうか。

太陽系生命が、<一粒万倍>の
内部化するシナジェティクスに支えられている現実を識る方法は
訓練され矯正された観察力から生まれない。

ITロボット教師

教師は知っていることを説明する。
もっとも退屈な教育のほとんどは
教科書やDVDに記述されているコンテンツの繰り返しだ。
こどもを退屈にさせる教師はITロボットに完全に替わるだろう。

しかし、子供から学ぶITロボットは、子どもの心に火をつける。
彼が子供になれるから。

教師もPTAも、教師のいない教科書もない学校で、子供が相互コミュニケーションによって
自己学習する完全な能力が備わっているとは思っていない。

20世紀にはじまった動物生態学に影響を受けた認識論から見れば
現代の教育学は、子供が子供を教育する科学的事実を隠蔽したままだ。

物理的なモデルの発見に先んじて概念化する行為

原子よりも小さな粒子説から生まれた電子という概念化は、
実在する電子を証明するための実験装置化よりも先んじていたが、
この方法が核物理学の始まりではない。

真空中でフイラメントを加熱すると陰極線が出る現象を
どのように言語化できるのか、から始まったのである。
そして、最初に粒子の進行方向に直角に電界をかけると
その進行方向が変化するという概念が実験装置よりも先行して発見される。

それまで決して言語化されたことのない概念、
あるいは馴染んだ語の襞の中に眠っていた領域を、
ついに機能を有する物理的なモデルの発見に先んじて概念化する行為には
原理の発見に伴う真理の生産と流通のプロセスの全域が反映される。

それ以外の方法と経験からシナジェティクスが、
社会システムが維持する表現や信念にまでに変換されることはないだろう。

物理的なモデルの発見に先んじて概念化する行為は直観に属するが、
教育プログラムから直観を使う包括的科学的方法は完全に除外されている。
(科学者はその経験と方法を論文から除外するシステムに生きている。)

直観はしばしば神秘的体験を含むからである。

ジオデシック理論批判ー数学的自然の形成

総三角形構造化への試行錯誤の枯渇化という現在の傾向として
その原因をフラーのジオデシック理論による
優れた汎用性に到達した総三角形化のテクノロジーと
それを実証する半世紀を超えた歴史がある。

この先行技術を突破してより有利なテクノロジーを発見する無数の試みは
力学的構造の経済的な有利性において
ジオデシック理論を超えることは不可能と思われてきた。

私もまた無数の試みから、
ジオデシック理論を超える有利性を物理的に証明するシナジェティクスモデルを発見するまで
ジオデシック理論そのものが総三角形化のための
過渡期的で人為的な数学的理論に他ならないという
<宇宙形態論(cosmograhpy)>的な視点を発見し、
そして時間に腐食しない数学的自然を形成しなければならなかった。

ジオデシック構造を超えるための純粋数学の物理的変換に挑戦したその第1プロトタイプは、
力学的構造の経済的な有利性ばかりではなく。、
ユーザにとって最大の経済性とモバイル性を実現するだろう。

ジオデシック理論批判は、
これからも学的党派性を超えたバックミンスター・フラー派の
シナジェティクスによって推進される。

共鳴型テンセグリティ

建築構造は、自立するために大地に依存しながら
外部エネルギーとひたすら闘うという設計方法を変えない。
故に、風雨や積雪に耐えても、振動し移動する大地の巨大なエネルギーと闘う方法を持たない。
したがって、倒壊した建物で人が圧死する構造を、人々は非科学的構造とは考えてない。
(家電やコンピュータの漸進的変化に比べて、
住宅や都市の構造の変化がきわめて緩慢なのは
建物が高価すぎるからである。)

外部のどんなエネルギーも享受する機能によって
自己を構成する要素間の共振(または共鳴)状態に変換するかぎり、
構造は自己充足する自律性を獲得する。

いいかえれば、外部からのエネルギーが構造を通過する過程で
そのエネルギーはその構造をより強化するのである。

自立のために大地の振動エネルギーさえも利用できる構造は、
テンセグリティ構造以外には存在しない。

テンセグリティ構造は発見された宇宙の構造原理である。

共鳴型テンセグリティ構造は、地表のどこにでも着陸可能な宇宙船である。
その宇宙船内部では植物の光合成を利用できる。

植物というエネルギーを自律生産するモバイル・テクノロジーと融合することは
現在の都市や住宅よりもはるかに科学的で自然である。

表層的で付加的な作用

総三角形化に関しては大円理論によってジオデシック構造が発見され、
張力に関しては、不連続と連続との統合理論によってテンセグリティ構造が発見され、
表面というものが表層的で付加的な作用にすぎないこと、
そして、建築を支配する人為的な記号システムを横断し、
人類の誕生以前にあって、時間と空間の中で生命を支えているのが
<構造システム>であるのを明かしたと同時に、
それまでは、<構造システム>という概念が
科学的には存在していなかったことが、1950年代には明確に認識されていた。

社会は、真実との驚くべきタイムラグに囲まれている。
インターネットで認識の同時性を獲得するのはまだ幻想に近い。

——欲望が表層的で付加的な作用に向けられているかぎり。

天才に関する洞察

以下の差は、だれにとっても興味深い事実である。
しかし、天才に関する、この著者の7と8および9の洞察には同意できない。

少なくともバックミンスター・フラーには不適応である。
つまりこの比較は、知的な凡人の思考に属する。

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流体地理学

宇宙論的な視野が誘導する地球を外部から見る行為が
1940年代のダイマクションマップの開発の根拠となる<流体地理学>
(=一つの海に浮かぶ島々という流体の連続性)を形成した。

この宇宙論的な視野が、その後のグローバリズムの理念にとって替わったのは
超国家的権力構造によって、遠隔から支配する軍隊と基地、そして
高性能な小型武器の開発が最優先されたからに他ならない。

自然と出会うためのテクノロジーが
人間の居住可能な場を生み出すはずだが
極地における居住可能な場のほとんどは、軍事テクノロジーによって形成されてきた。

同時に、バックミンスター・フラーによって創始された<流体地理学>は、
流動する大地を前提にしたモバイルテンセグリティという
最小限の移動可能な極地用の構造デザインと融合したのである。


『宇宙エコロジー』(バックミンスター・フラー著、梶川泰司訳 2004)
第7章 <流体地理学の誕生>自己エコロジーのための全方位カメラ(ジオスコープ)参照