テンセグリティ構造体に面は存在しない。
面は、張力材に囲まれているかぎり
数えられる無(nothigness)に変換する。
さらに、テンセグリティ構造体に
面(face)を付加する純粋理論がなければ、
人類はテンセグリティの空間構造を生存に利用できなかった。
数えられる無(nothigness)こそが
空間の内部と外部の境界面を形成する
テクノロジーの前駆体である
テンセグリティ構造体に面は存在しない。
面は、張力材に囲まれているかぎり
数えられる無(nothigness)に変換する。
さらに、テンセグリティ構造体に
面(face)を付加する純粋理論がなければ、
人類はテンセグリティの空間構造を生存に利用できなかった。
数えられる無(nothigness)こそが
空間の内部と外部の境界面を形成する
テクノロジーの前駆体である
頂点という(somethingness)を通過するエネルギーは
まったく異なった原理から成り立つ構造を形成する。
テンセグリティは
理論的転移と実践的転移を同時に証明する構造である。
たとえテンセグリティモデルでさえ。
それゆえに、モデル言語を理解した段階が
テンセグリティモデルで露わになる。
マインド(mind)は精神と訳されるべきではない。
それはシナジェティクス効果であると同時に道具である。
宇宙(integrity)と自己(me)との統合される場において。
シナジェティクスが
モデル言語から知識を獲得する方法のみを
保証すべきだとするならば、
未知なる存在と遭遇した時の人間の迷いに
どれほどの価値があろうか。
重力は、太陽系では不変的な張力として機能していると同時に
惑星地球は、太陽系ではつねに圧縮力を受けている。
太陽系全体は、同心状螺旋群の動くテンセグリティである。
圧縮材の集合が自重として基礎部が受け止める建築では、
大地に自重を首尾良く流すための
圧縮力との闘いが生まれる。
すべての建築は、重力と対抗する習慣がある。
それによって
個々の建築は、張力から分断された圧縮材の塊としてデザインされる。
太陽系は、つねに圧縮力と張力との絶えざる統合から
もっとも安定した回転する構造なのである。
人間の皮膚の構造は、表皮、真皮、皮下組織からなり、
それぞれの厚さは、表皮が0.1〜0.3mm(最外層の角層が0.01〜0.03mm)、
真皮が1〜3mm、皮下組織は頭部や顔では2mm程度となる。
プランクトンだけを補食するトビウオには軽量化のために胃が退化している。
500メートルを連続して飛行できる透明な羽根の厚みは、僅か10ミクロンである。
この瞬時に展開して揚力を得る翼のフィルムには撥水性はないが、
撥水性があるシェルターの皮膜の厚みは、100ミクロンである。
人間の皮膚の最外層の厚みと、トビウオのフィルムの厚みは、同じであるのは
移動するには、その厚みで十分だからだ。
移動しない住宅やオフィスの最外層は、300ミリもあって
人々は、より重厚な空間に憧れている。
引用映像
トビウオ
構造力学は
システムを通過したエネルギーが
そのシステムをより強化するメカニズムには
まったく無関心である。
現在の建築の構造計算は
圧縮力による 座屈(buckling)の言語しか語ることができない。
座屈の概念は、不安定な状態から倒壊という
もう一つの安定状態を説明しているだけである。
ゆえに、構造力学への批判または
構造への批判を通してしか
真の構造は発見されなかった。
可能な構造すべての基礎であると同時に
認識の可能な限界でもあるような
物質の本質を規定しようと試みる。
その時、シナジェティクスの過程にいるのである。
自己から出発して宇宙と環境との相違がはじめて表明される
モデル言語の物質化への過程なのである。
1本の大黒柱(24cm角)の圧縮力の限界は30トン、重量は200キロ程度である。
1995年、私がデザインサイエンスプロジェクトで制作した
展開型テンセグリティ・ジオデシックシェルター(直径11m)の総重量は
150キロで、圧縮材のアルミパイプの直径は僅か17mmであった。)
2007年、張力材と圧縮材にカーボン材を使用した
直径6.5mのテンセグリティ・ジオデシックシェルターの
重量は僅か30キロ未満であった。
自律型テンセグリティシェルターの単位あたりの重量は、依然世界記録である。
構造のエフェメラリゼーション(=軽薄短小化)は、つねに加速度的であるが、
その真の機能は、社会では非科学的に誤解された象徴にしか使用されない。
シナジェティクスは、それ自体を目的としないばかりか、それだけで充足する学問でもない。
それは後にデザインサイエンス革命で
エフェメラリゼーションと同義とされる非物質化に先立つ研究なのだ。