構造の定義は、
しばしばテンセグリティの破壊実験に基づく分析によっても
人間の生存に関する習慣的概念に対立する。
人々は未だ航空機の破壊実験と同様に
テンセグリティの破壊実験を知らない。
シナジェティクスによる構造への分析と批判は
社会制度が持っている構造への恣意性を明らかにし、
これからより自由で自律した安全に移動可能な空間を
物理的に経済的に生成できるかを明確にする。
構造の定義は、
しばしばテンセグリティの破壊実験に基づく分析によっても
人間の生存に関する習慣的概念に対立する。
人々は未だ航空機の破壊実験と同様に
テンセグリティの破壊実験を知らない。
シナジェティクスによる構造への分析と批判は
社会制度が持っている構造への恣意性を明らかにし、
これからより自由で自律した安全に移動可能な空間を
物理的に経済的に生成できるかを明確にする。
混血していくと、人類はすべて黒人になる。
生物学的に人類には人種は存在しない。
安定した構造が、互いに融合していけば
すべてテンセグリティになる。
——–人体を構成する70兆個の細胞のように。
そして、構造学的に、科学的に、
人類はまだ構造の内部には居住していない。
構造の内部へ移動して
e・食・住(energy-food-shelter)を満たす時が来たのである。
<直観>と<美>は、
法律(=記号)と土地という人為的な富による権力作用の中に組み込まれ、
さらに後には、教育や医療、精神分析、
そして大量生産技術なとど相互に連動し統合されることで、
あるいは、宗教と共に除外され続けることで
その重要性と自立性に関して独自なエネルギーを失ってしまった。
<直観>と<美>なくして
モバイルシェルターがデザインできないのは
それらこそが生存と自己のテクノロジーに深く関与しているからである。
構造とは何かという問いが建築領域で辿った物理的・数学的軌跡は、
建築学ではその問いを退け、
耐震、免震、制振の機能を備えた疑似構造によって
その問いかけは遂に無力になる。
しかし、バックミンスター・フラーの発見において完結する。
すなわち、共鳴型テンセグリティ構造原理の発見。
テンセグリティ構造は、耐震、免震、制振のどの機能も本質的に包含するが
それらの機能のためのどんな部材も存在しない。
テンセグリティ構造には、どんな多重化システムもデザインされていない。
すべての局所的破壊から構造の深刻な破壊に連鎖しないために
優れた外力分散機能が自動生成されているのである。
建築学は、いまもフラーによる決定的な<リダンダンシーという概念の崩壊>を退けている。
予め構造を構造材によって多重化する行為で
そして、人々を構造の安全性への広範囲な幻想に閉じ込めたままである。
シナジェティクスとデザインサイエンスは直接に相互的に作用する。
バックミンスター・フラーレーンの
構造安定性をテンセグリティ原理で理解する物理学者も存在しない。
なぜなら、バックミンスター・フラーが<構造>と呼んだものを
古いコードでシナジーを除外してコード化して
軽量化と安全性と経済性が融合した<構造>を阻止しようとする意志が、
さらには、テンセグリティを解釈する基礎を必要とする不安定なグリッドとして
人々に提示する専門家の行き詰まった意図が
<構造>の統合性の理解を阻んでいる。
シナジェティクスとデザインサイエンスとの融合のみが
軽量化と安全性と経済性が融合した<構造>を発見し物質化する。
日々のモデリングの中の陳腐化によって
引きずり込まれる突然の空虚こそ、
そして直ちに起こるモデル言語の誕生こそ、
構造原理という物理的存在形式を定義するだろう。
デザインサイエンスにおける
デザインとは
安全性、施工性、分解性、移動性、経済性、
そして軽量化を生成するための構造原理を
部分と全体の絶えざる相互作用から発見するだけではなく
それらを相互に調整する行為である。
新しい何かを学ぶ過程は
それほど純粋でなもなければ
素晴らしくもない理由を経験しなければ
どんな知的な挑戦も無謀に終わるだろう。
「何かを学ぶには
すべての権威からの離脱と
服従への拒否が必要である。
学ぶためのエネルギーの99%は
その過程に費やされるだろう。
こうした学ぶための環境条件の整備は
学校では最初から除外されている。
理事会と建物(=土地不動産)、そして教師の権威を予め受容した学校という
学ぶための非効果的な環境条件は
子供には拒否できないシステムで運営されている。」
2012年6月27日 犬のしっぽブログから引用
直観(intuition)が教育の対象にならなかったのは、
直観が内包するメタフィジックスを奪われたからだ。
そして権威と競争に依存する学習に追われている。
シナジーが科学の対象にならなかったのは、
自然が内包する未知を奪われたからだ。
あるいは、宇宙が内包するメタフィジックスを除外したからだ。
そして計算力と情報量に依存する学習に追われている。
科学は、直観と直感を区別することができない。
シナジェティクスは、
直観と美によって初めて
Cosmic Integrityが認識される
メタフィジックスである。
構造が生まれる場所は移動したのだ。
それはもはや大地への重力の流れをデザインするのではなく
クライアントが期待する建築家の閃きにあるのではなく、
言語の内的で交差したモデリングに移動したのだ。