既存のインフラに生存形式を限定している空間構造から
生存形式を開放するために
構造を破壊する。
しかし、無限定の存在が生存方法を
消去した限界に引き戻すために
永遠の構造を発見する。
どちらかが、シナジェティクスで
他方がデザインサイエンスである。
概念と物質は
相補的な行為が非同時的に存在する
<Cosmograpfy(コスモグラフィー)>によって統合される。
既存のインフラに生存形式を限定している空間構造から
生存形式を開放するために
構造を破壊する。
しかし、無限定の存在が生存方法を
消去した限界に引き戻すために
永遠の構造を発見する。
どちらかが、シナジェティクスで
他方がデザインサイエンスである。
概念と物質は
相補的な行為が非同時的に存在する
<Cosmograpfy(コスモグラフィー)>によって統合される。
「宇宙はテクノロジーである。」RBF
そのテクノロジーは発見という段階を経ないでは獲得されない。
シナジェティクスの技法は
自発的な自己の鍛錬(=自己のテクノロジー)から
より強力に形成される仮説的推論を除外しては、習得できない。
シナジェティクス研究所のブログから引用
エネルギー、食料、水の生産と再生の統合されたテクノロジーは
人類においては、分析的に分断されて形成され、
意図的に解消されていると考えるべきだ。
自然を形成する未知なる不可視の奥底から
現実を決定しているような
生の決定的なメタフィジカルな生物学的現象を
そうした政治的な変異の集合体に見てはならない。
ましてミスリードされてはならない。
古い重い構造で人が破壊され
昼となく夜となく未来に怯える時は、しばしばやって来る。
何のためにか。
怯える群れから離脱して
自らその仮想的な記号システムを破壊するために、
その構造を支えた概念の歴史的起源の解体と
その思考方法を教育するシステムの破壊、
そして、まったく異質な、しかし現実的な構造への転換に到るような
構造原理の発見とそれに基づいた認識を
群れから孤立した他者と共有することを意味している。
誰かに生存のための自律システムの開発と生産を
期待し委託する主観的な情況は終わった。
メタフィジックスなき過剰な物質群の相互の結合関係を
すっかり組み替える方法によって
未来からではなく
未知(unknown)を内包するシナジーから
構造とパターンをデザインして
現在を記号的過去からも未来からも客観的に解放するのだ。
シナジェティクス研究所のブログ
思考の追従は、科学的態度の対極にあり
レトリックは、技術的手続の対極にある。
自発的で率直な話し方は、シナジェティクスに要求される。
機能を排除された形態デザインは、デザインサイエンスの対極にあり
部品交換の不可能な構造デザインは、
イニシアティブを放棄した宇宙ゴミである。
クライアントなき原寸大のプライムデザインは、
デザインサイエンスに要求される。
シナジェティクスの対象とは
いくつもの構造原理の発見からなる未知なる自然の
シナジー的総体にある。
この認識が
デザインサイエンスの物質変換に関する理論形成の
唯一の手がかりに成り得るだろう。
自己を知る知識と方法を
自分のものにするためのシナジェティクスではなく、
自己からの離脱を可能にしてくれるシナジェティクスがなければ
自己を外から観ることはできない。
食料とエネルギー、そしてシェルターの外部的3大元素を統合するのは
シナジェティクスにある。
この21年間に、巨大地震を少なくとも3度も経験した建築構造学は
単に構造や形態デザインに関する学問であるだけではなく、
生命を保護する空間形成が安全な構造を保障する知識であることをも意味し
人間存在に対して規範的な態度をとる学問になるはずだった。
そもそも構造に対する定義が科学的になされていなかったことを
批判しないのは、構造学ではないのである。
法的に正常な構造に対して予測を超えた地震という考えではなく、
どんな地震に対しても正常な構造が存在するための構造的思考が
明らかに意識されることになった。
真に宇宙に適応した構造は、大地と人間社会には依存しない。