形態学がシナジェティクスについて真理を語りうることは決してないだろう。
なぜなら、形態を現出させるメタフィジックスの真理を保留しているのは
シナジェティクスだからだ。
コスモグラフィーが宇宙形態論だとしても。
形態学がシナジェティクスについて真理を語りうることは決してないだろう。
なぜなら、形態を現出させるメタフィジックスの真理を保留しているのは
シナジェティクスだからだ。
コスモグラフィーが宇宙形態論だとしても。
デザインサイエンスの視点は
知識と経験の統合点であると
同時に統合する前の知識を分散し破壊する原点でもある。
デザインサイエンスは二重構造を持つ。
直接的な理性の認識を行うが、同時に全体を俯瞰し判断するという
疑似権力的なものになる。
疑似権力的な社会性を抑制するのは
予測的クリティカル・パスである。
クリティカル・パスは
ポジティブなものとネガティブなものを
等しく扱う<相補的な規範>として提出する。
いわば、電子と陽子の相補的な相互作用として。
レーシングドライバーが
速さと引き替えに快適性を捨てなければならないように
軽量化のために、居住性を排除したのがアウトドア用のドームテントだ。
ドームテントは、薄い皮膜によって内部と外部を形成する。
宇宙船の居住性は、インテリアデザインとは無関係に
生存のために用意される。
自然の細胞デザインにインテリアデザインは存在しない。
外部と内部の相互作用が
階層的なテンセグリティ構造をデザインしている。
二重の生体膜の内部に独自のDNAを持ち
分裂、増殖するミトコンドリアは、
真核生物の細胞小器官というもっとも小さな宇宙船である。
真の構造は、もっとも経済的に外部と内部を同時に形成する。
人間がデザインするほとんどのインテリアデザインが
半世紀後に陳腐化されるのは
外部との相互作用と絶縁してるからだ。
人々が地下資源(ウラニウムを含む)に依存するように。
人類最古のインテリアデザインは
自然が形成した洞窟の側壁に描かれた壁画である。
現代のインテリアデザインや家具類は
しばしば規律訓練や矯正の装置として作られる。
それぞれの配置に個人が適応するように
巧妙な方法で空間が形成される。
彼らは、球状テンセグリティシェルターの内部を観る前に
その内部空間が自分たちの生活には不利益であると感じてしまう。
<規格的なもの>によってデザインされた
自分の所有する家具類は
標準化された空間をも肯定できるのである。
ーーーーーボタンからコートが作られるように。
自動車の原型デザインは
自分の所有する馬車の内部空間の再構成から始まったが
飛行機の内部空間の形成は、
鳥の飛行のメカニズムの分析から始まった。
そして、鳥の内部には生存できる模倣すべき
洞窟のような空洞はなかったのである。
より軽くより早く<動く空間>は
規律訓練や矯正の装置からは生まれない。
原理が発見される過程は
ありふれた局所的経験が互いに移動して
統合される過程なのだ。
バックミンスター・フラーにおいて、原理が発見される場所は移動したのだ。
それはもはや理論や実験にあるのではなく、
内的で交差したモデリングとその過程にある。
そのすべての過程の観察された<構造と意味>は
非同時的にしか理解できない。
この経験こそが、クリティカル・パスの確立への根拠となる。
シナジェティクス研究所
ブログから引用
シナジェティクス原理の実在への探究において
その実在を主観性へと疎外する心像と
実在が客観的事実から秩序を形成するためのモデリングとの
決定的な分岐点を見出す根本的瞬間が
夢や、しばしば瞑想の中にもやって来る。
むしろ、客観的事実から秩序を形成するために
その根本的瞬間が訪れるのだろうか。
その瞬間が生まれる毎に、幸福な風が吹いてくる。
風は、風がない場所から吹いてくる。
夢を見る前の場所からにちがいない。
圧縮材は細長比の限界まで圧縮力に耐え
張力材は破断の限界までを許容するといった
いつも決まって定義される機能の分担を拒否しなければ
構造は発見されなかった。
機能の分割または分業から
どんな統合性(integrity)も生まれない。
圧縮材も張力材も統合性によって
限界を拡張する場合でさえ、
より軽くより細くデザインされる。
統合性(integrity)は
つねに予測できない存在である。
<構造とパターン>という数学概念の背後に隠れているものを
シナジェティクスによって発見し、
モデリングによって初めて形成されるモデル言語と不可分な視覚化とによって
解放しなくてはならないのは、
それまで不可視であった<構造とパターン>は
モデル言語自体で語ることは困難であるが
それなしでは視覚化することさえできないからだ。
シナジェティクスを学ぶと
ある種の学生には
驚きを打ち消すための錯乱が発生する。
10歳以下の子供にはほとんど見られない現象である。
自分たちを教育したそれまでの学習方法を肯定するために
そして、専門化への分断化を陳腐化するすべてのプロセスに
敵意を抱く習慣のある学生たちに発生する
無意識的に隠されていく錯乱ほど
自己弁護に塗れた<概念の牢獄>はない。
<概念の牢獄>への若き伝道師は
計画的にそして経済的に無数に作られる。
大脳生理学的な理論に基づいて
イニシャライズが手遅れになるように
その錯乱は、個人的で主観的で
そして、局所的に終わるのである。