テンセグリティというもっとも素材を使わない
非・資本主義的な構造は
西欧文明の圏外、つまり海の民(あるいはその末裔)でしか発展しないだろう。
テンセグリティ構造は、張力に関する「知」の操作主義から生まれた。
(「知」の操作主義を科学でもっとも成功させたのは
アインシュタインである。)
非・資本主義的な反イデオロギー的で
エネルギーと食料の高い永続性のある
コロニーを創出するには
圏外テンセグリティは最適である。
テンセグリティというもっとも素材を使わない
非・資本主義的な構造は
西欧文明の圏外、つまり海の民(あるいはその末裔)でしか発展しないだろう。
テンセグリティ構造は、張力に関する「知」の操作主義から生まれた。
(「知」の操作主義を科学でもっとも成功させたのは
アインシュタインである。)
非・資本主義的な反イデオロギー的で
エネルギーと食料の高い永続性のある
コロニーを創出するには
圏外テンセグリティは最適である。
彼に合う前から、そして最後に仕事した1983年以後も、
「構造とそのデザインの多くの部分を、
バックミンスター・フラーの功績に負っている。
これからなすべきこと、思考し、言うべきこともまたフラーに負っていて
この期間は21世紀へと続くだろう。
シナジェティクスはより偉大になるだろう。」と考えていた。
1986年のバックミンスター・フラー研究所の理事会で
私から提案された<シナジェティクス研究所(Synergetics Institute)>
という名前の元での
私のシナジェティクスの研究開発とシナジェティクス教育の活動
(最初はアメリカで、後に日本で)が承認された最大の理由は
当時のアメリカ人は、バックミンスター・フラーよりも
シナジェティクスの重要さには
ほとんど無関心だからだという理由だった。
1986年以後、この30年間アメリカ人によるシナジェティクスに関する
重要な発見はほとんど存在しない。
そればかりか、シナジェティクス原理の発見数は
PCやインターネットの発展とはまったく比例していない。
その理由は、シナジェティクスを学ぶ人々が
シナジェティクスから生まれた英知を
短絡的な生きる手段にしようとしていたからではなく
シナジェティクス自体が
学問的だが退屈な権力思考(平均的な群れが好む党派性)と
その構造を変革するのではなく、破壊してきたからだ。
原理の理解から原理の発見は生まれない。
原理の存在もレイマンとしての動機(Know Why)に深く関わっている。
それは、シナジェティクスの<構造>に関する重要な生存機能のひとつだ。
類似性に対する憎しみや攻撃性から
批判は生まれない。
批判の独創性は
差異(difference)に対する注意力と
寛大さから始まり、
つまり、
知性の特殊化への批判から生まれる。
思考するシナジェティクスの野性とは何か。
ゴム紐や釣糸、そして
伸長する重いステンレスワイヤーからも
この振動する張力の統合力は再現不可能だという認識は
真のテンセグリティモデルを
自らの手で試行錯誤することから始まる。
<modelability>の形成なくして、認識も形成されない。
思考する野性が、モデリング言語を形成する。
人体から骨格モデル(=圧縮力モデル)以外の
非鏡像的な相補性を取り出さなければ、
身体の100兆個の細胞から取り出す
振動する張力の総計は
ピアノのすべての弦に与えられた張力の総計以上であるという
<modelability>は形成されない。
そして、誰がその張力を形成し調整しているかという
第2の<modelability>がやってくる。
共鳴するとは何か。
自分の外部の何ものをも享受しない
テンセグリティは存在しない。
外部のエネルギーによって
自身をより強化する構造の出現によって
人間のデザインする構造は、ことごとく黄昏れるのだ。
共鳴現象は、人間社会よりも
自然界により多く存在する。
競争や利己心、嫉妬心や攻撃性、貪欲さと妥協心が
生きる上での自然な姿だとして
その生き方を次第に容認していく時、
社会の構造もそのまま受容した
<世の中>で生きることになる。
しかし、その<世>の構造は
自然の構造とはまったく遊離したものである。
世の中で生きるのか、
その前に、
世に出るためにいきるのか、
あるいは
世を出るために生きるのか、
そのどれよりも
だれもがバイオスフィアに
この瞬間に生きているのだ。
その時空を<世の中>から
排除するシステムを受容する人々が
<世の中>で受ける矯正は
自然の構造を作り上げていく峻烈な試みとは
隔絶したものである。
競争や利己心、嫉妬心や攻撃性、貪欲さと妥協心から
自然の構造が形成する統合力は生まれない。
世の構造はこの統合力を奪う側が支持している。
孤立し遊離していく不連続な圧縮材のみが
互いに非接触なまま
球面上で再び出会うことができるのは
張力の統合力の出現であることが発見された。
圧縮材は自らを孤立させる形式によって
振動する仮想的な球面と結びついているテンセグリティは
視覚化された振動する宇宙モデルである。
その宇宙モデルと
プリミティブで多機能な単細胞原始マクロファージは
明らかな相互作用を始めるだろう。
先のブログは、映画<オデッセイ(ODYSSEY)>を見た後の私の感想だ。
火星の土とクルーの排泄物から土壌と水を用意し、ジャガイモの栽培に成功する。
しかし、糞尿のなかで生存する地球上の微生物群なしでは
クルーは火星でサバイバルできないという
NASAがこの映画のために提供した生物学世界像に私はとても失望する。
専門家によるこの生物学世界像は、明らかに微生物学的な水の再生利用方法に対して
無知である、そうでなければ隠蔽しているからだろう。
火星の基地シェルター内部のインフラは
現在の都市のインフラとまったく変わらない構造は
もっとも非経済的であり、絶望的だ。
(火星でのジャガイモ一個あたりの生産コストは膨大である。)
映画<オデッセイ(ODYSSEY)>は、
現在の世界中の都市のインフラを維持推進するための税金収奪を
長期間にわたって合法化する役目を担わされている。
<無管、無柱、無線、無軌道>の<4つの無>を
最新と思わされている科学テクノロジーに対峙させる構造を
デザインする生命が、唯一、太陽系宇宙に適応する生命である。
私にはただ、大地と空とシェルターがあるのみだ。
それで、一体何が私に欠けているだろうか。
シェルターとエネルギーと食料さえあれば
私は最大の宇宙エネルギーの実践者ではないか。
宇宙のなかで、自律した生命として。
その生命には、優れた受容器
つまり、最小限のエネルギー受容器としての
テンセグリティシェルターが必要だ。
それは、最初の監視されない自由と共に
太陽系における遠隔的な相互作用をする構造ではないか。
素晴らしい詩の一行に巡り会わなくとも
<バイオスフィア3>と共に生きることができる。
どこにも出かける必要のない
内部の<4つの無>を生きるのだ。 yk
皮膜のない宇宙服では大気圏外では生存できない。
皮膜や外殻がないかぎり
すべての生命は宇宙では生存できないにもかかわらず
テンセグリティやジオデシックドームよる
大気圏内の宇宙開発は確実に遅延してきた。
バイオスフィアという
最大のインドア(=大気圏)が素晴らしくデザインされているがゆえに
アウトドアのドームテント以上に
モバイル用のインドアはデザインされてこなかったのだろうか。
初期モデルのバックミンスター・フラーのダイマクションハウスから
第2次デザインサイエンス革命による
テンセグリティシェルターのプロトタイプ完成まで60年以上を経過している。
デザインサイエンスが供給する
テンセグリティシェルターでの
モバイル用インドア生活は
すべての都市インフラを不要とするデザインがなければ
真のモバイル性の自由度から形成される
精神の自律性は実現できないという前提は
この半世紀間変わらなかった。
無線、無管、無柱、無軌道を実現する
デザインサイエンス革命による4つの無は
無為自然というテクノロジーへの進化過程に置かれている。