シナジェティクス」カテゴリーアーカイブ

思考する幾何学モデル

思考するモデルとは何か。

この驚くべき経験と発見は、
いったい一体何を意味するのか。

そして、シナジェティクスは
バックミンスター・フラー以後も
現在も、この思考する幾何学モデルは発見され続けている。

それは<シナジェティクス3(SYNERGETICS vol.3)>として公開される。
モデル言語と共に。

デザイン不可能な存在へ

学校教育で学習され、矯正された知性は
シナジェティクスの感性的直観にことごとく対立するが
感性的直観は真の知性にも還元不可能である。

デザインサイエンスに必須な想像力でさえ
シナジェティクスの感性的直観の
根源的なゆえにデザイン不可能な
宇宙の原理的な生産力に従うだろう。

モデル現象学

『シナジェティクス』(さらに『コスモグラフィー』)によって
構造が最近の発見(第2次世界大戦直後)であるという
核心的な理解を抱くことができる。

自然の構造が、概念以上に見えないならば
シナジェティクスが自然を発見する知的体系よりも
モデルがシナジェティクスを発見する
<モデル現象学>から学ぶほうが
より<野生的>である

新しい構造は
つねに野性的思考から発見されるだろう。

構造と思考は、不可分だから。

熟考(consideration)

私にとって、熟考(consideration)は
個人の<動機>を意味するが
法律的には<対価>を意味している。

個人は熟考し行動できるが
政府や大学はそれ以上に熟考し行動すると考えている
社会構造を拒否してはじめて
シナジェティクスは、もっと単純に理解できるにちがいない。

もっとも包括的な思考形態と方法は
これまでの権力構造に属していたから。

構造と意味

シナジー作用に遭遇したとき
その超越論的機能において、
経験と意味作用に発生する無数の新たな相互作用を
現実にいかに変換するかにおいて
シナジェティクスは
日常的経験の意味を捉え直そうとする
あるいは
日常的経験の構造を破壊しようとする
自己のテクノロジーでもある。

生活器へ

プロダクトデザインから生活器は生まれなかった。

デザインサイエンス、つまり
<生存のためのデザイン>と<自己のテクノロジー>の統合性は、
主に建築学と機械工学によって権力テクノロジーと記号テクノロジーに組み込まれ、
さらに、生態学や教育学や医学、そして心理学といった各専門領域に分断されることで、
その重要性と自律性に関与する基本機能をすっかり失ってしまった。

そして生存に必要な最小限の生活器としてのトリムタブでさえ、
無数のアブノックスの偽装された安全率によって、つねに先送りされるのである。

<デザインサイエンス>を
クリティカル・パス方を導入したプロダクトデザインや
科学的なデザイン理論として定義しているかぎり、
<生存のためのデザイン>と<自己のテクノロジー>は
デザインサイエンスの教育過程に限らず、
プロダクトの初段階ですでに排除されたままである。

偽装されたデザインサイエンスに共通する現象は
シナジェティクスの原理への探究心の欠如である。

シナジェティクスの原理への探究なくして、
<生存のためのデザイン>と<自己のテクノロジー>の
統合性(integrity)は生まれない。

物質的触媒作用

シナジェティクスは幾何学や数学、物理学だけではない。

学問と共に始まるのではなく、
未知なる存在との境界と
超えるべからざる自然との境界との間(between)ではなく
それらを超えた領域に
シナジーの実在を知るために
シナジーを客観的現象ではなく
操作可能な機能として発見するのである。

シナジェティクス以上の
実在する物質的触媒作用が存在するのだろうか。

客観的行為

リヒテルの平均律を10年間聴いてもピアノは弾けないように
「シナジェティクス」をすべて読んでも理解できないに違いない。

何かを素晴らしいと感じる瞬間が訪れた時、
たとえば、スヴャトスラフ・テオフィーロヴィチ・リヒテルや
バックミンスター・フラーに会いに行くべきだろう。

もっとも簡単なことから始められる
学校での学習や独学から
もし連れ出してくれる機会がなかったら
学校は残酷な場所だ。
対話のない独学はそれ以上だ。

誰かに似てしまう言葉を習得する前に
その残酷な場所から逸脱するのは
最初の客観的行為だから。

これは、もっとも簡単な主観的世界の作り話だろうか。

安全の概念

自動車や船舶、そして航空機の安全メカニズムと
人口統治という一連の政治的な安全メカニズムに関する安全の概念が
同一視される権力メカニズムを分析しない
疑似デザインサイエンスが、大学で先導的に実践される前に
1970年代のバックミンスター・フラーは、
移動する研究教育機関(Floating University)を構想し創設していた。
(1980年代のバックミンスター・フラー研究所にいた頃、
私はその大学の学生にシナジェティクスを個人教育していた。
たとえば、毎回場所を替えたレストランの窓側で。)

移動しない大学は、土地不動産の管理運営と退職金だけで
教育コストの大半を消費するメカニズムに取り込まれていたからだった。

安全の概念とテクノロジーが、高速で移動するテクノロジーによって
より加速度的に進化しているにもかかわらず。

土地不動産と都市のインフラに縛られた学問は、時代遅れである。