シナジェティクス」カテゴリーアーカイブ

概念の懐胎期間

体系的形態の変化よりも
素材の変化からテクノロジーの進化を期待する時
<構造とパターン>の革命が伴うとは限らない。

真の<構造とパターン>の革命は
数世紀間以上も影響を与えてきた。

プラトンからケプラーまで
そして、ケプラーからフラーまでの
概念形成の隔たりのように
幾何学的概念革命には、
科学技術の研究開発に先行する原理の発見までの懐胎期間以上の
懐胎期間が存在する。

それは素材の変化からは求められない
未知(unknown)の数学的自然からなのだ。

科学的思考

科学的思考といわれる
ありふれた方法にこれまで
従属していた知。

その再構成ではなく
知への反発と放棄から
野性的思考は発現する。

しかし、それを待つだけの信頼を
持てないような科学的思考で覆われているから
シナジェティクスから去る人々は
シナジェティクスへ向かう人々よりも多いとしても
シナジェティクスは
見えない星々にあるのではなく
裏庭の岩石のような
ありふれた沈黙の中にあるのである。

自発的に、自律的に。

非圧縮力的宇宙観

人々は無意識に
ほとんどの構造にまだ<大黒柱>を求めている。

大黒柱ほど圧縮力の社会を象徴する構造言語はないだろう。

張力的世界とは何か。

動くモノは動くモノに作用する、つねに互いに離れていても。
たとえば、太陽系に浮かぶ惑星地球。

この大気圏内の非圧縮力的宇宙観は
まだ圧倒的に希薄である。

科学的反乱

テンセグリティ構造の歴史に於ける反乱と革命とは
1つの中心に対して中心化しようとする力学作用に対する
反乱的な力学の理論化と実践にある。

中心なきネットワークの構築方法こそ
局所的な破壊から致命的な破壊への連鎖を
無効化する科学的反乱の方法なのである。

移動パターン

労働力が不足している場所に人口を配分する以上に
過剰な都市人口を養う食料とエネルギーの不足を
意図的に分配する資本主義の狂気を扱う心理学はまだ存在しない。

人類全体を生産の循環の中に位置づけるイデオロギーもまだ存在しないが
部品生産とそのアセンブルシステムを
全地球的に位置づける物質の移動パターンは
よりダイナミックに進化している。

たとえば、PCや自動車の組立パターンが
かつて船舶の組立と同じようにコピーされてきたように
移動しながら、工業製品をより効果的に完成させる場合の
加速度的な生産性を最初に分析したのは
バックミンスター・フラーのデザインサイエンスである。

<クリティカル・パス>は、
デザインサイエンス革命の方法序説である。

有用性(utility)

テンセグリティが実用性に対して望ましい構造でないとするなら
別のテンセグリティを発明するか
さもなくば
テンセグリティに代わる何か別の構造を発見しなければならないだろうと
考えたのは1972以後であるが
テンセグリティ以上の構造は発見されなかった。

そして、その12年後、大気圏外からきた隕石からも
バックミンスター・フラーレンが発見された。

その自然の構造は、不可視の段階において
テンセグリティの最大の有用性(utility)を現実化している。

例えば、超伝導性、半導体性、磁性において。

数学的自然

構造とパターンの発見者であることを自認する科学者たちが
構造の革命や認識論の学派である以上に
バックミンスター・フラーによって実証された
メタフィジックスとフィジックスとの断絶と統合を
いまも乗り越えることができなかった事実と向き合う時に
シナジェティクスを学ぶこと以外の可能性はあるのだろうか。

ナノチューブやフラーレンの構造とパターンの
数学的な分類方法からも
こうした可能性と限界は明らかである。

数学的自然には
自然から構造を学ぶよりも
自然を構造化する方法が存在する。

レイマン

シナジェティクス原理に言及している論文や本からではなく、
また研究室やスタジオではなく
原理が誕生するモデリングの現場において
シナジェティクス原理の誕生に立ち会い
その爆発力を確認できたなら、

原理の存在の証明にために
シナジェティクス理論の開発者としてよりも
原理が導くデザインサイエンス革命の実践に
再び立ち向かうのである。

レイマンとしてレイマンたちと共に。

主体的個性の役割

シナジェティクスは
数学、物理学と
経験科学としての生物学と言語学
そして
メタフィジックスを含むばかりか
<クリティカル・パス>という
人間諸科学を包括した最初の科学哲学によって
認識可能なもの、なすべきこと、
実現可能な物理性と経済性を決定するために使用される。

この決定に主体的個性が関わる役割はほとんどない。

なぜなら、主体的個性が宇宙の中に存在する動機とは
依然無関係であるからだ。

見ることすらできないもの

「構造」という名詞の背後に隠れているものを
一つ残らず解放しなくてはならない。

バックミンスター・フラーは
その手段を<modelability>と名付けていた。

<modelability>をどう日本語化するか以上に
それなしでは
見ることすらできないものこそが
モデル言語である。

ありふれた言語の
予測できない結びつきの中に
<modelability>は現出する。