知識は
新たな経験を
これまでの経験と統合できるかにある。
しかし、シナジェティクスにおいて
これまでの思考とは
異なる方法で思考できるかは
同一のモデリングから
異なる方法で知覚できるかにかかっている。
つまり、同一の現象を
異なる方法で知覚することによって
ある<発見>がなされた場合、
発見後もそのモデリングは
物理的にはなにも変化させる必要はないのだ。
知識は
新たな経験を
これまでの経験と統合できるかにある。
しかし、シナジェティクスにおいて
これまでの思考とは
異なる方法で思考できるかは
同一のモデリングから
異なる方法で知覚できるかにかかっている。
つまり、同一の現象を
異なる方法で知覚することによって
ある<発見>がなされた場合、
発見後もそのモデリングは
物理的にはなにも変化させる必要はないのだ。
テンセグリティにおいて変化したのは
素材よりもその構造を定義するための原理を
構成するための概念モデリングである。
つまり、ギリシア時代においても
そのための素材が存在していなかったわけでもない。
多面体という固体的概念が
素材構成の可能性のすべてを制限していたのである。
その制限が解かれるまでに
25世紀間もの歳月を必要としたのである。
固体という概念は権力構造の主要な物質観であった。
その要塞建築の構造を形成するための。
シナジェティクスが解釈の過剰性から逃れているのは
解釈する側がシナジェティクスとデザインサイエンスとの
相互の相補性から捉えられないからではなく
シナジェティクスモデリングによる
圧倒的なモデル言語学が実践的に理解できなかったからである。
解釈の過剰性から逃れた
<構造と意味>の統合したモデリングは
<構造>と<意味>は相互に可逆的である。
直観的モデリングから
多くの原理を発見してきたシナジェティクスは
知性の形成が感性的直観に対立し
感性的直観は知性には還元不可能なものとする
哲学的前提を幾度も乗り越えてきた。
私はシナジェティクスモデリングの
クロノファイルを同時に見れる階層的な棚を
スタジオ内に作成している。
感性的直観によるモデリングは、時系列的に統合されて
最新のプロダクトのためのシナジェティクスモデリングから
その概念の起源が明白にされるだろう。
折り紙の幾何学の限界は
鶴が飛行できるような形態を幾何学性から解析できなかったことにある。
折り紙がたとえ<赤い薔薇>に折れるとしても
単なる<見立て>に始終する記号のテクノロジーである。
シナジェティクスは幾何学ではない。
そして物理学でもない。
シナジェティクスは存在のすべててを扱う。
シナジェティクスを学ぶなら
新しい原理の発見の場に立ち会わなければならない。
新しい理論の誕生に立ち会い、
その場の形成の起源とその爆発力を直視なければ
その物理的な応用範囲などは思い浮かばないだろう。
デザインサイエンスを学ぶなら
そのような原理と理論、そして応用方法が記された書物本ではなく、
そして、教室ではなく
まして論文や特許文献ではなく
爆発力を形成する出来事において
メタフィジクスが及ぼす社会との闘争に直面しなければならない。
すべての新しいアイデアには、呼吸をはじめた誕生日がある。
『シナジェティクス』は思考を検証するには有用だが
テンセグリティに関する検証では
テンセグリティの構造実験と比べれば部分的でしかない。
つまり、テンセグリティはまだ漸進的変化を遂げている。
前提条件を破壊する場合の実験こそが
知を形成できるのである。
しかし、その実験方法はプリセッションとして現れるのみである。
テンセグリティからの分析は
これまでの構造が持っている恣意性を明らかにし
自由への空間をこれから如何に享受することができるか、
そのための自律的エネルギーをモバイルシステムで
生み出す実験から
具体的なプロトタイプを経済的に物質化できるかである。
しかし、テンセグリティを生命との関係で構造化するには
個人は疲弊しすぎている。
12歳までの子供の教育システムと英才教育システムへの
構造的違和感なくして
テンセグリティ原理の力学的相互作用と
その優れた諸機能は感受できないのである。
バックミンスター・フラーは
しばしば20世紀のレオナルド・ダ・ビンチと形容されてきた。
芸術家・科学者(アーティスト・サイエンティスト)を
60年代以降の<独創性>によって図るのは
ある種の政治的意図から生まれている。
ーーーー<独創性>が自由経済の証として映るように。
独創性を、政治的、社会的要因によって影響を受けない
自律的な自然的要素とみなすのは、危険な視点である。
真の<独創性>とは、存在の起源にまで到達するビジョンである。
それは、共有された政治的、社会的現実を一瞬にして破壊する作用がある。
バックミンスター・フラーのクロノファイルから
実際に確認できることが
本当に存在したものとして認識されることは容易ではない。
長いテクストを伴う『シナジェティクス』でさえ
モデリングからしか解読できない場合がある。
60トンもある彼のクロノファイルに分け入って、
シナジェティクスについてモデリングのまま保存された
新しい<構造と意味>を解読する作業は
考古学に近い。
それは、フラーが亡くなった当時、西海岸に移転したフラー研究所での
シナジェティクス研究のための
その<思考の幾何学>における概念的な探査を
私が3ヶ月で中断した理由でもある。
それは、シナジェティクス的解決方法への問題意識がない時の
クロノファイルの探査をすべて排除したときである。
経験を通した理解は、つねに同時的でかつ非同時的であるからだ。