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リダンダンシ( redundancy)という概念の崩壊

構造とは何かという問いが建築領域で辿った物理的・数学的軌跡は、
建築学ではその問いを退け、
耐震、免震、制振の機能を備えた疑似構造によって
その問いかけは遂に無力になる。

しかし、バックミンスター・フラーの発見において完結する。
すなわち、共鳴型テンセグリティ構造原理の発見。
テンセグリティ構造は、耐震、免震、制振のどの機能も本質的に包含するが
それらの機能のためのどんな部材も存在しない。

テンセグリティ構造には、どんな多重化システムもデザインされていない。
すべての局所的破壊から構造の深刻な破壊に連鎖しないために
優れた外力分散機能が自動生成されているのである。

建築学は、いまもフラーによる決定的な<リダンダンシーという概念の崩壊>を退けている。

予め構造を構造材によって多重化する行為で
そして、人々を構造の安全性への広範囲な幻想に閉じ込めたままである。

<構造>の統合性

バックミンスター・フラーレーンの
構造安定性をテンセグリティ原理で理解する物理学者も存在しない。

なぜなら、バックミンスター・フラーが<構造>と呼んだものを
古いコードでシナジーを除外してコード化して
軽量化と安全性と経済性が融合した<構造>を阻止しようとする意志が、
さらには、テンセグリティを解釈する基礎を必要とする不安定なグリッドとして
人々に提示する専門家の行き詰まった意図が
<構造>の統合性の理解を阻んでいる。

シナジェティクスとデザインサイエンスとの融合のみが
軽量化と安全性と経済性が融合した<構造>を発見し物質化する。

原理とデザイン

日々のモデリングの中の陳腐化によって
引きずり込まれる突然の空虚こそ、
そして直ちに起こるモデル言語の誕生こそ、
構造原理という物理的存在形式を定義するだろう。

デザインサイエンスにおける
デザインとは
安全性、施工性、分解性、移動性、経済性、
そして軽量化を生成するための構造原理を
部分と全体の絶えざる相互作用から発見するだけではなく
それらを相互に調整する行為である。

地球の裏庭(back door)

限界集落は拡大しながら
耕作が放棄されていく無数の荒地を形成し、
農村共同体自体とさらに農村と都市とをより分け隔てているが、
モバイルシェルターや水の完全再生テクノロジーを含む
4つの無のテクノロジー(無柱、無管、無線、無軌道)は、
生産性を持たないこれらの領域を超えて互いに遊離した個人が再び接近し、
人類が共通に持っている地球の表面に対するこのテクノロジーとその権利を
最小限のコロニー間の相互交流の手段となることを可能にしてくれる。

われわれは、無意味な生業と不可避的な失業を繰り返しながら、
遂に、広大な地球の裏庭(背戸=back door)の内部において
生存技術の目的意識の形成とその技術習得のための生存自体が可能になるのである。

資本主義がつねに、ロボットと荒地を所有するがゆえに。

Cosmograpfy(コスモグラフィー)

既存のインフラに生存形式を限定している空間構造から
生存形式を開放するために
構造を破壊する。

しかし、無限定の存在が生存方法を
消去した限界に引き戻すために
永遠の構造を発見する。

どちらかが、シナジェティクスで
他方がデザインサイエンスである。

概念と物質は
相補的な行為が非同時的に存在する
<Cosmograpfy(コスモグラフィー)>によって統合される。

参考
宇宙線(cosimic-ray)とコスモグラフィー

コズモグラフィー―シナジェティクス原理

メタフィジカルな生物学的現象

エネルギー、食料、水の生産と再生の統合されたテクノロジーは
人類においては、分析的に分断されて形成され、
意図的に解消されていると考えるべきだ。

自然を形成する未知なる不可視の奥底から
現実を決定しているような
生の決定的なメタフィジカルな生物学的現象を
そうした政治的な変異の集合体に見てはならない。
ましてミスリードされてはならない。

プライムデザイン

思考の追従は、科学的態度の対極にあり
レトリックは、技術的手続の対極にある。
自発的で率直な話し方は、シナジェティクスに要求される。

機能を排除された形態デザインは、デザインサイエンスの対極にあり
部品交換の不可能な構造デザインは、
イニシアティブを放棄した宇宙ゴミである。

クライアントなき原寸大のプライムデザインは、
デザインサイエンスに要求される。