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住宅の終焉

住宅の終焉がやって来た。
震度7を複数回受けると
崩壊または、使用できない住宅から構成される都市は
生命の安全と発展を保障しない高価すぎる物質で溢れている。

都市の空間が建築空間によって開かれた場であるとするなら
そして、
構造がもはや望ましいものとして存続できないとしたらなら、
都市は消滅してしまうかもしれない。

自然が望む構造は、角度と振動に満ちている。

都市と農村における
人口のみの分散と集中の政治的経済的手法は
地震によって幾度も陳腐化されているのだ。

移動しながら生存するテクノロジー

移動しながら生存する軍事テクノロジーは
武器製造技術と相補的な兵站学を形成したが
デザインサイエンスでは
生活器製造技術と相補的で自律的な
エネルギーと食料の生産技術に転換される。

大規模災害では
エネルギーと食料の自律的生産技術が
軍隊も含めて完全に枯渇していることが明白になる。

軍隊は外部から常に支援される条件のみで内部を支援する。
移動する自律的内部はけっして形成しない。

地下資源に依存し独占するシステムに
敵対するテクノロジーを形成しやすいからだ。

生活器(シェルター)の無料化

「家の中で過ごすことはできない」
「雨だけしのげればいい」
「屋根があるだけでもありがたいんだ」
地震から3日目を迎え避難者の言葉を
再び聞く側になった。

国家による無意味な数々の経済的独占行為を承認する政治的改革は
大災害から誘引される貧困を根本的に解決できないばかりか
大災害を経験した個人が
受動性の否定をどれほど極限化しても
サバイバルの独自性と自律性は獲得できないかもしれない。
税収奪の手段と化した都市のインフラシステムと絶縁しない限り。

大災害を何度繰り返しても
国家に災害救助に関する
基本的な生活器(シェルター)に関する
テクノロジーの解放はどこにもない。

バイオスフィアと調和する科学的な生活器の無料化への
メタフィジックスは、まだ何処にもない。

脱復旧(deconstruction)

自然には復旧はない。
自然は、より高い安定と調和を求めて
振動によって再結合(つまり、現状回復)しているのである。

振動で壊れゆく人工物を再び現状回復させるほどの
非論理性と非経済性はない。

受動性への否定は、出来事への注意から始まり
受動性の批判に至る時は、寛大さが形成される。

宇宙は角度と振動数である。
それらと対抗し、敵対する批判なき受動的工学は
圧縮材の集積である城と共に衰退する。

Gimme Shelter3

デザインサイエンスは、根源的な受動性の否定である。

しかしこの否定は、多様に存在する見せかけの堅固さと確実さに対しては
予測的として理解されるが、地震に関する権力的な予知的似非科学とは異なる。

構造とパターン

構造とパターンは相互的に直接含み合う。

シナジェティクスから
構造とパターンが分離することはない。

不完全で非経済的な構造とパターンが
大地震で完全に、そして一挙に分離される時
人々はより柱のない空間に非難し、生活している。

より柱のない空間は
より経済的で、より軽い、
安全な構造とパターンを採用している。

相補的な規範

デザインサイエンスの視点は
知識と経験の統合点であると
同時に統合する前の知識を分散し破壊する原点でもある。

デザインサイエンスは二重構造を持つ。
直接的な理性の認識を行うが、同時に全体を俯瞰し判断するという
疑似権力的なものになる。

疑似権力的な社会性を抑制するのは
予測的クリティカル・パスである。

クリティカル・パスは
ポジティブなものとネガティブなものを
等しく扱う<相補的な規範>として提出する。

いわば、電子と陽子の相補的な相互作用として。

Gimme Shelter2

日本の高度成長期の平均的な人々が憧れた
都市生活の明確な基準であった団地の2LDKを再現すると
現在の平均的な人々が憧れる
平均的な生活水準以下であると言わざるを得ない。

建築空間は、当時もそして現在も
客体化及び服従強制の方式として機能しているのである。
(住宅は、住宅ローンの支払期限と調和した期間で設計される。)

真の空間製造技術とは
権力が引き受けた生命空間の領域が破綻する方法、つまり
エネルギーと食糧生産の自律性を生命空間に導入する方法である。
この方法は、大気圏外の宇宙ステーションの設計では前提条件である。

喜びと苦痛を分離するための
空間製造技術(=シェルターの量産化)は存在する。
なぜなら、平均的な人々の税金でその開発は、賄われたから。

インテリアデザイン

人類最古のインテリアデザインは
自然が形成した洞窟の側壁に描かれた壁画である。

現代のインテリアデザインや家具類は
しばしば規律訓練や矯正の装置として作られる。

それぞれの配置に個人が適応するように
巧妙な方法で空間が形成される。

彼らは、球状テンセグリティシェルターの内部を観る前に
その内部空間が自分たちの生活には不利益であると感じてしまう。

<規格的なもの>によってデザインされた
自分の所有する家具類は
標準化された空間をも肯定できるのである。
ーーーーーボタンからコートが作られるように。

自動車の原型デザインは
自分の所有する馬車の内部空間の再構成から始まったが
飛行機の内部空間の形成は、
鳥の飛行のメカニズムの分析から始まった。
そして、鳥の内部には生存できる模倣すべき
洞窟のような空洞はなかったのである。

より軽くより早く<動く空間>は
規律訓練や矯正の装置からは生まれない。

モデリングと経験

原理が発見される過程は
ありふれた局所的経験が互いに移動して
統合される過程なのだ。

バックミンスター・フラーにおいて、原理が発見される場所は移動したのだ。
それはもはや理論や実験にあるのではなく、
内的で交差したモデリングとその過程にある。

そのすべての過程の観察された<構造と意味>は
非同時的にしか理解できない。

この経験こそが、クリティカル・パスの確立への根拠となる。