デザインサイエンス」カテゴリーアーカイブ

シナジェティクスと直観

シナジェティクスは感性的直観に対立しない。

シナジェティクスは
知性には還元不可能なものとされている
感性的直観の本源的な生産性をモデリングに求める。

形態(form)とモデル(model)の相違は
メタフィジックスにあるだろう。

そして、プロダクトデザインと
デザインサイエンスとの圧倒的な相違は
目的論(teleology)にあるはずだ。

固体的空虚

人々はもはや消滅した構造が残した空虚の中でしか
思考することはできないのだろうか。

シナジェティクス原理の発見が
大地に依存しながらも地震を憎む構造の終焉であるとすれば
デザインサイエンスは反建築への起爆になるだろう。

移動しない構造は、思考の空虚を充填させるものでも
埋められた固体的空虚を穿つものでもない。

生き延びる構造は
振動数と角度から生成されているからだ。

シェルターデザイン

シェルターとは何か。

大地に働きかけようとしなかったなら死に絶えるように
バイオスフィアに働きかけようとする時にのみに形成される
自己のテクノロジーなくしては
生き延びられない。

テンセグリティ・シェルターデザインは
都市生活者のためのアウトドアへの新たな道具ではなく
バイオスフィアへのインドアなのである。

自己エコロジー

構造は大地に自らの自重を流す技法によって
その構造安定性と構造の自立性に関して
定義を失ってしまった。

建築の疑似構造は
大地は不動ではないことで
大地が生成された流体地理学を
けっして受容しなかった。
彼らは津波に対向できるより大きな固体を
<浮かぶ陸地>に建造するだけである。

流体地理学と共存できないゆえに、
同時に、エネルギーと食料の生産技術は
建築の疑似構造によって権力行使の中に組み込まれ、
さらに後には、
医療や教育、美術といった記号システムに統合された。

自己エコロジーは
<真の構造>の発見する自己のテクノロジーと共に始まる。

自惚れについて

黙々とひたすら構造とパターンを
発見しようと試みる。

その結果、発見された構造デザインを
他者にけっして原型をプレゼンしないまま
プロトタイプを再び黙々と制作する。

構造とパターンを最適な物理的モデルに変換した結果を
形態美やコストという<見える機能>から評価する知識から
けっして評価させない自由と経済的に自律する配慮は
他人の欲望を利用するデザイナーたちの
自惚れ(個人的獲得物質=for personal gain)からは生まれない。

自然の優れた構造とパターンには
もっとも経済的な構造安定性が共存している。
——–美が無意識と共存しているように

直観と美

エネルギーと食料、そして住居を個人が生産しない場合、
政治権力は意識や思考に作用する。
さらにいっそう個人の身体に対して物理的に働きかける。

人々を物理的・空間的に都市と農村に
巧妙に配置することによって
思考と消費の流れを作り出すばかりか
人々の無意識と直観、そして美を遮るまでに成長する。

政治権力が
呼吸、姿勢、モラル、身体動作、空間認識・住居や車のデザインなどを
人間に強制するだけではなく
その方法までも支配するという現実を理解する方法を
だれも研究しない。

エネルギーと食料、そして住居の包括的な生産方法を
個人がその歴史とノウハウを理解する過程で
そして、それらを直観と美のみにしたがって
自発的に学習する時、
政治権力の起源を想起することが含まれるだろう。

個人はことごとく遮られている現実を識るために、
そして、
それと絶縁するためのテクノロジーを習得する前に。

無秩序の秩序化

「防潮堤は景観だけでなく目の前の津波襲撃を
ブラインドする凶器の遮蔽壁となった」

津波に対する防波堤は
土木工事で富を稼ぐための
コンクリート(=固体的)な思考そのものである。

セメントで凝固させた硬化物(コンクリート)は、
無秩序の秩序というものを
分子的なレベルで組織してきた。

その無秩序な防潮堤は都市を取り巻いている。

無秩序の秩序化は
権力テクノロジーの基本的な方法論である。

防潮堤ほど、権力テクノロジーによる非構造化を
視覚化している高価な固体はないだろう。

無媒介な力

権力は、イデオロギー的ではなく、無媒介な影響力によって
無益な学習と労働を強制しつづける。

住宅とその所有にかかる金利合計は
最大の無益な学習と労働を生む。

動くテンセグリティシェルターのデザインは
反権力的構造に根ざしている。

つまり、イデオロギーによる反権力的構造ではなく
太陽系の引力、つまり宇宙における重力はつねに無媒介である構造を
生命が利用するデザインである。
(重力波を媒介する粒子は未だ未発見である)

<否定的無>から<自律的無>へと

無管、無線、無柱、無軌道という4つの<否定的無>は
構造の自律性のテクノロジーと
エネルギー・食料の生産性のテクノロジーによって
都市や農村から
分離可能な<自律的無>へと変換される。

すなわち、沿岸部に全人口の80%を閉める
現在の都市文明から
人口のない内陸部の極地へと向かうのである。

あるいは、珊瑚礁の小さな島々を移動し続けるのである。

自由と構造ーーー<アンチ・オデッセイ>2

先のブログは、映画<オデッセイ(ODYSSEY)>を見た後の私の感想だ。

火星の土とクルーの排泄物から土壌と水を用意し、ジャガイモの栽培に成功する。
しかし、糞尿のなかで生存する地球上の微生物群なしでは
クルーは火星でサバイバルできないという
NASAがこの映画のために提供した生物学世界像に私はとても失望する。
専門家によるこの生物学世界像は、明らかに微生物学的な水の再生利用方法に対して
無知である、そうでなければ隠蔽しているからだろう。

火星の基地シェルター内部のインフラは
現在の都市のインフラとまったく変わらない構造は
もっとも非経済的であり、絶望的だ。
(火星でのジャガイモ一個あたりの生産コストは膨大である。)

映画<オデッセイ(ODYSSEY)>は、
現在の世界中の都市のインフラを維持推進するための税金収奪を
長期間にわたって合法化する役目を担わされている。

<無管、無柱、無線、無軌道>の<4つの無>を
最新と思わされている科学テクノロジーに対峙させる構造を
デザインする生命が、唯一、太陽系宇宙に適応する生命である。