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自由と構造ーーー<アンチ・オデッセイ>

私にはただ、大地と空とシェルターがあるのみだ。
それで、一体何が私に欠けているだろうか。

シェルターとエネルギーと食料さえあれば
私は最大の宇宙エネルギーの実践者ではないか。
宇宙のなかで、自律した生命として。

その生命には、優れた受容器
つまり、最小限のエネルギー受容器としての
テンセグリティシェルターが必要だ。

それは、最初の監視されない自由と共に
太陽系における遠隔的な相互作用をする構造ではないか。

素晴らしい詩の一行に巡り会わなくとも
<バイオスフィア3>と共に生きることができる。

どこにも出かける必要のない
内部の<4つの無>を生きるのだ。  yk

無線、無管、無柱、無軌道へ

皮膜のない宇宙服では大気圏外では生存できない。

皮膜や外殻がないかぎり
すべての生命は宇宙では生存できないにもかかわらず
テンセグリティやジオデシックドームよる
大気圏内の宇宙開発は確実に遅延してきた。

バイオスフィアという
最大のインドア(=大気圏)が素晴らしくデザインされているがゆえに
アウトドアのドームテント以上に
モバイル用のインドアはデザインされてこなかったのだろうか。

初期モデルのバックミンスター・フラーのダイマクションハウスから
第2次デザインサイエンス革命による
テンセグリティシェルターのプロトタイプ完成まで60年以上を経過している。

デザインサイエンスが供給する
テンセグリティシェルターでの
モバイル用インドア生活は
すべての都市インフラを不要とするデザインがなければ
真のモバイル性の自由度から形成される
精神の自律性は実現できないという前提は
この半世紀間変わらなかった。

無線、無管、無柱、無軌道を実現する
デザインサイエンス革命による4つの無は
無為自然というテクノロジーへの進化過程に置かれている。

ありふれた外部

果てしない逃亡よりも
脱獄には外部がある。

宇宙の相互作用と繋がっている
可能な解決を受け入れる
開かれた外部が存在する。

無管、無柱、無線、無軌道で繋がる
ありふれた外部で
ふたたび満たされるだろう。

ありふれた外部を全的に物質化するのは
モバイル生活器である。

安全の概念

自動車や船舶、そして航空機の安全メカニズムと
人口統治という一連の政治的な安全メカニズムに関する安全の概念が
同一視される権力メカニズムを分析しない
疑似デザインサイエンスが、大学で先導的に実践される前に
1970年代のバックミンスター・フラーは、
移動する研究教育機関(Floating University)を構想し創設していた。
(1980年代のバックミンスター・フラー研究所にいた頃、
私はその大学の学生にシナジェティクスを個人教育していた。
たとえば、毎回場所を替えたレストランの窓側で。)

移動しない大学は、土地不動産の管理運営と退職金だけで
教育コストの大半を消費するメカニズムに取り込まれていたからだった。

安全の概念とテクノロジーが、高速で移動するテクノロジーによって
より加速度的に進化しているにもかかわらず。

土地不動産と都市のインフラに縛られた学問は、時代遅れである。

個人以外に

現実的な生存形式を探査し、その結果を記録し、映像化し、
そして数学的に、そして経済的にデザインする作業を
デザインサイエンスの過程にではなく
客体化あるいは服従強制の生存方法として機能させる目的に従事する人々は
その研究開発費を国家や大学に求めてきたことを疑いもしない。

しかし、20世紀の主要な産業のプライムデザイン
(例えば、自動車やPCなど)に関わったのは
国家や大学ではない。

個人以外に宇宙の原理を発見する機会を求めないという
経験的事実はまだ社会的知性ではないのだ。

移動パターン

労働力が不足している場所に人口を配分する以上に
過剰な都市人口を養う食料とエネルギーの不足を
意図的に分配する資本主義の狂気を扱う心理学はまだ存在しない。

人類全体を生産の循環の中に位置づけるイデオロギーもまだ存在しないが
部品生産とそのアセンブルシステムを
全地球的に位置づける物質の移動パターンは
よりダイナミックに進化している。

たとえば、PCや自動車の組立パターンが
かつて船舶の組立と同じようにコピーされてきたように
移動しながら、工業製品をより効果的に完成させる場合の
加速度的な生産性を最初に分析したのは
バックミンスター・フラーのデザインサイエンスである。

<クリティカル・パス>は、
デザインサイエンス革命の方法序説である。

有用性(utility)

テンセグリティが実用性に対して望ましい構造でないとするなら
別のテンセグリティを発明するか
さもなくば
テンセグリティに代わる何か別の構造を発見しなければならないだろうと
考えたのは1972以後であるが
テンセグリティ以上の構造は発見されなかった。

そして、その12年後、大気圏外からきた隕石からも
バックミンスター・フラーレンが発見された。

その自然の構造は、不可視の段階において
テンセグリティの最大の有用性(utility)を現実化している。

例えば、超伝導性、半導体性、磁性において。

レイマン

シナジェティクス原理に言及している論文や本からではなく、
また研究室やスタジオではなく
原理が誕生するモデリングの現場において
シナジェティクス原理の誕生に立ち会い
その爆発力を確認できたなら、

原理の存在の証明にために
シナジェティクス理論の開発者としてよりも
原理が導くデザインサイエンス革命の実践に
再び立ち向かうのである。

レイマンとしてレイマンたちと共に。

生産性

より高い生産力を獲得するために導入された
PCによる労働は
一層の密度を増すにしたがって
あらゆる生産力をさらに高める方法を導入し
絶えず応用せざるをえなくなったばかりか
それによって最小限の生活の質さえ
より近づきがたいものとなる事態は
より高い生産力を支える富の分配において
民主的な方法が導入されないように
デザインされているからである。

つまり真の<生産性>は
なにひとつ変化していないのである。
ーーーー労働が死の恐怖を呼び起こすかぎり

労働者が<生産性>という概念を教育されたのは
第2次世界大戦後だ。

働かない時間を生むための真の<生産性>
という概念が工場内で共有される前に。

70年代のバックミンスター・フラー

70年代のバックミンスター・フラーの
ジオデシックドームやテンセグリティの分析・解釈から生まれる
追従者のカウンターカルチャーは、依然
優柔不断な悪しき三角形主義の中に取り込まれたままでいる。

バックミンスター・フラーの分析・解釈から生まれるよりも
自然のジオデシック構造やテンセグリティ構造は
無数にあることを
発見し認識するがシナジェティクスである。