デザインサイエンス」カテゴリーアーカイブ

バイオシェルターによる稲作

他の天体への移住計画や宇宙開発は
つねに圧制や課金の手段、そして隠れた抑圧の道具と化す。

映画「オデッセイ」では
自家栽培したジャガイモで食い繋いでいくシナリオによって
貧弱な農業生産手段でしか
サバイバルできなことを刷り込まれるのだ。

火星で稲作ができなければ
火星での人類のコロニーの発展は期待できない。

水も空気もない火星でこそ
バイオシェルターによる
稲作のシナジー的食料生産性と自律性が証明できるのだ。

排泄物から水を完全に再生する技術は
火星計画を推進するNASAにはまだ期待できない。

プライムデザイナー

シナジェティクス的思考とは、
非デザインサイエンスにできるだけ接近し、
それがモデル言語で結実する磁場に留まることによって、
はじめてデザインサイエンスを作動させる一つの操作主義のことだ。

原理の存在と共に絶えず想起される思考方法なのだ。

この方法を習得したプライムデザイナーは
私の知る限り、3人しかいない。

エフェメラリゼーション(非物質化)

プラトンからバックミンスター・フラーに至る幾何学による
原子論または素粒子論という根源性という方向から
シナジェティクスは生まれた。

しかし、プラトンの多面体から原子核構造に至るまで
経験的な方向での連続的な技術の歴史からは
主体の理論が背後に残されてしまう。

バックミンスター・フラーにおいては
デザインサイエンスで主体の理論化と実践化がなされている。

物質化という行為とプロセスなくして
エフェメラリゼーション(非物質化)という客観性は生まれないのだ。
数学というメタフィジックスも含めて。

原理的選択

デザインサイエンスとは何か。
思考の根底にある<原理的選択>の場の発見と
その場の発生条件をデザインする行為。

原理的選択によって
知識や行動様式、感性と鋭敏性などが
選択されるのではなく制限されるのである。

デザインサイエンスは
あまりにも広範囲ゆえに。
専門分化からは理解できない。

とりわけ、美学的な関わりは僅かである。

地球寒冷化の予測

構造がその原理をむき出しにするのは
もはや経済や戦争の危機的情況下にではなく
生命が死と直面する劇的な自然変動の側においてである。

地球寒冷化に耐えられるどんなインフラも
都市には存在しない。
(南極基地では雪を石油エネルギーで溶かして
飲料水にしなければ生存できない)

鋳型

個性観と正義観の同一性は
権力の効果であり
その優れた道具としてデザインされている。
移動可能な工業製品のように。

例えば、空間構造は
精神構造を作り出す鋳型なのある。

見えない鋳型こそ
権力によって制限されていることは気づかれない。

たとえば、廊下と結びついた学校の教室は
小さな個室に繋がる病院の廊下のデザインと同一ではないか。
病院の待合室が学校では教員室に変わる程度のデザインで
われわれの個性観が形成されているにすぎない。

窓と自由に開閉できるドアがなければ
どれも獄舎建築である。

哲学行為

〈生存のテノロジー〉と〈自己のテクノロジー〉は
その重要性と自立性ゆえに
デザインサイエンスのクリティカルパス方法に組み込まれたまま
その重要性と自立性に関して
建築や教育、そして数学や医療からも
一定な距離を置いて絶縁している。

こうした道徳的な絶縁は
道徳的主体としての自己組織化のための
自己のテクノロジーを要請する。

重要性と自立性を維持しながら
テクノロジーを発見し、物質に変換するデザイン行為以上の
重要な哲学行為はあるのだろうか。

プライムデザイナー

労働力が最も不足している場所は
食料(遺伝仕組換えを除く)と
エネルギー(原子力から生産される電気エネルギーを除く)を
生産する産業だけではなく
全人類を養うための
食料とエネルギーとシェルターの生産方法と手段を
同時にデザインする産業である。

食料とエネルギーを相互に関連させて
生産するシステムをデザインする場所へ
才能ある人間を配分するシステムができていないのである。

つまり、包括的なプライムデザイナーの教育とその方法は
もっとも不足している。

それらを、それらに無関心な政治家たちに委任したから。