デザインサイエンス」カテゴリーアーカイブ

エンジニア(engineer)

エンジニア(engineer)は、エンジン(engine)を設計できる。
エンジンとは内部に生む行為である。
エンジニアリング(engineering)は、その行為の工学的な体系である。
その体系は誠実な天性(genuine)から
生まれる発明の才(ingenuity)に基づいている。
発明の才(ingenuity)だけが、純真で率直なメカニズムを見つけ出せる。
すべてのエンジニアリングは
先験的な複数の原理との調整にある。

<開発不可能>という概念

20世紀中に開発不可能だと言われていたが
構造が簡単なため大量生産を可能にして
膨大な富を形成したのが受賞理由だとする
政治経済のシステムと
開発不可能だと言った権威ある科学者や技術者が
開発リーダーになれるシステムとが
科学が産業をリードし産業が経済を形成している事実と
異なっていることが問題なのだ。
経済が開発の動機を形成しているかぎり
<開発不可能>という概念によって研究している人々が
つねに大多数である。
地震や噴火の予知研究なども
同じ概念を支持する人々の
単純な政治的補助金獲得技術で成り立っている。

安全率(safety factor)再考

台風に関して、過去最強、観測史上最大は
せいぜい半世紀以内の記録の比較。
この程度のスパンで、バイオスフィアの傾向と対策は捉えられない。
専門家とメディアは、3.11の時には
過去最強、観測史上最大規模の被曝とは言わなかったが
津波や地震、そして台風などの自然災害による被害は
より大きく見せたい習慣がある。
これらは常識的な習慣ではなく
安全率(safety factor=予測される破壊または正常に作動しなくなる
システムへの最小の負荷と最大の負荷との比)を
科学的に分析しないまま、
システム自体の改善を包括的に回避する計画的な行為なのだ。
安全率に基づく人間による改善や改革は
ほとんど何の危険(リスク)も負わないシステムにとって
過去最強、最大規模のリスクだからである
危険のない試行錯誤に陥った生物は短命である。

続)分断された危機

バイオスフィアは一つであるが
火山学と地震学、
そして地球生物学と宇宙物理学は
それぞれ相互の関係を失っている。
そして、それぞれが
異なったスパンの予測ばかりしているのは
人類の危機に関する予測がお金になるからだ。
分断された危機こそ
人類の生存にはもっとも危機である。

スポーツ解説者

「すべては結果だ。過程ではない」
「すべては過程だ。結果ではない」
という2つのタイプがあるが、どちらも負けたときの解説だ。
しかし、最近は失敗した、あるいは失敗しそうな
科学論文の解説にも使われている。
真に未知なることへ挑戦した経験がない人たちの言葉は
すぐに受け入れられる。

デフォルト(default)言語

発端の剥奪(人工中絶=ab-original)とは
デフォルトの剥奪、または
デフォルトからの離脱も含まれる。
デフォルト(=自動的に定まった標準 default)とは
起源(origin)そのものである。
しかし、デフォルトは
意図的に中途離脱によって欠損する怠慢な行為を意味するように
すっかり変容させられてきたのであるが、
同時にデフォルトという自然状態では
敗訴させる記号言語の構造をこしらえてきたのである。
シナジェティクスのモデル言語は
このデフォルト(default)という奪われる前の
最初の構造にもっとも接近する。
たとえば、テンセグリティ構造の発見のように
自然界では圧縮材だけの連続した構造は存続し得ないという
デフォルト言語を科学的に視覚化したのである。

地球温暖化説

昨晩のNHKでは
広島の大規模土砂災害が
地球温暖化説をもとに解説された。
地理学なき土地資本主義の犠牲者は
間違った理由からふたたび埋葬される。
局所的な事実にこだわる科学者を信じてはいけない。
彼らが終身雇用された国家公務員だからではない。
二酸化炭素をお金と交換するシステムに、意志を託してはいけない。
そのシステムが原発を輸出しているからではない。
真実は、事実を統合したものではないからだ。
事実はつねに編集され、真実は発見されるのみである。

教師

教師とは
教師が他の教師を教えることに成功した
訓練された再分配システムのことである。
創造性は
この再分配システムに不要であるばかりか
分配の効率を阻む存在である。
こどもの個性と自由は
この分配の効率の範囲内で許容されているに過ぎない。
外部のすべての教師は
時代遅れである。

環境デザイン

実践によって環境をデザインできる。
しかし、環境を支配できないのは
人間は環境の一部でしかなく、
どの部分からも全体から見通すことすらできないからではなく、
「環境とは、自己を除くすべて (R.B.Fuller)」だからである。
そして「宇宙とは、自分を含むすべて (R.B.Fuller)」であり、
自己を除外して全体は存在しないからである。
環境デザイン理論は、洞察の一形式であり
ダーウィンから始まった生態学的思考形式の一つのタイプでしかない。
環境の部分も全体も
自己を除いて互いに繋がっているにすぎない。
こうして、科学的行為に自己を除いて
投影された理論を求めている人々を
知的だと考える習慣がまだ生き残っている。