具体性に置き換えるプロセスは
特許権の取得方法に関わっている。
原理の発見者でなくとも
特許権はその応用技術という
無数の具体性によって取得できる。
原理の発見者の優先権を
法律的に無化するための
グランチ(=法律家資本主義)の最大の戦略である。
「デザインサイエンス」カテゴリーアーカイブ
具体性について
具体性に置き換える認識上の誤謬は
グランチが意図的に引き起こしている。
武器製造のテクノロジーの歴史では
圧倒的に理系学生の青田買いは
教育的効果の一つとして公認されてきた。
具体性に置き換える認識とその教育は
個々人に小さな権力構造と専門分化の加速とを
手っ取り早く再現する習慣に過ぎない。
具体性に置き換えるプロセスでは
メタフィジックスへの認識が
ほとんど生成されないばかりか
観察行為が不在になるように
試験を前提にした学習などによって
情報が予めパッケージされるのである。
そして、未知なる存在への探査方法の情報は
このパッケージには含まれていない。
未知なる存在への探査こそ
具体性に置き換える認識方法を
破壊するシナジェティクスの起源である。
シナジェティクスは存在のすべてを扱うのである。
続)瞑想
私は1995年から平均5時間しか睡眠しない。
シナジェティクス・モデリングで
毎朝平均2時間、瞑想する。
この瞑想なくして
客観的で予測的なデザインサイエンスは
実践できなかっだろう。
構造とパターン
<構造とパターン>は
つねに単独者が発見してきた。
そして、彼が発見した<構造とパターン>を
原寸大で最初の構造実験をする場合
誰の許可も不要だ。
構造実験がなければ
構造家は構造計算を検証できない。
(ほとんどの構造家は建築コードのユーザである。)
<構造とパターン>はシナジェティクスに属するが
構造実験はデザインサイエンスに属する。
ジレンマ
効果的な解決方法は
実際の問題から生まれる。
しかし、実際は問題よりも
その解決方法の方が少ないから
問題を減らすには
問題を発見し、増やさなければならない。
ブーメラン
“Man knows so much and does so little. ” RBF
これは彼の忠告だろうか。
否、天才たちの仕事を伝記のように
尊敬ばかりしている主観的傍観者に
容赦なく飛来するメタフィジクスのブーメランだ。
物質の遅延
思考から望ましくない余波が生成され
行為から予期しない副産物が生成され
問題解決の方法はついにやってくる。
——風が吹く前に。
思考の副作用(side effect)は
主観的であり
行為の副作用(プリセッション)は
客観的である。
物質化は思考よりも遅れてやってくる。
デザインサイエンスは
遅延反応物質の過程にある。
既製品
可能なかぎり既製品を使うと
自分でコントロールできないことを既製品に代用させ
自分でコントロールできることを
増やせるようになる。
バイオスフィアで入手できるすべての元素は
初期の既製品である。
人間が核分裂をさせない限り、それらの既製品は増えも減りもしない。
それ以外の既製品は
自然が許容したアブストラクトである。
その機能は重さもなくつねに増加するだけである。
すべての産業化はこの神秘的な抽象性に支えられている。
実践
デザインサイエンスを実践と切り離した
シナジェティクスモデルの限りない再現は
他人の思考方法を投影した3Dオブジェに過ぎない。
半世紀間を超えたバックミンスター・フラーによる
シナジェティクスの膨大な試行錯誤から選んだ
理解可能な複製から何も学ぶことはできない。
表面材のないジオデシック構造や
ゴム紐や釣り糸のテンセグリティモデルなどは
まったく無意味なのだ。
シナジェティクスを学ぶことは
行為とメタフィジックスを分離させることではない。
自然は、主観的に、美的に実行しない。
シナジェティクスとデザインサイエンスは
相補的な行為なのである。
———原子核における電子と陽子のように
続2)複製モデル
テンセグリティのリアルなユーティリティへの変換を
もっとも怖れたのは、建築家と彫刻家である。
彼らは軽量化と量産に無関心である。
