ベクトル」カテゴリーアーカイブ

移動と伝導

見ることは、宇宙的である。
聞くことは、地球上に存続する数千種の言語のように、
民族的である。
人間の視覚神経は聴覚神経よりも遙かに太い。
しかし、物理的現実を、
視覚的に認識できるように脳(網膜も脳の部分)が変換できるのは
可視光に反応する知覚領域の部分だけである。
音速は、一秒間に340メートルであるが、
光速は、30万キロメートルである。
認識するためのこれらの異なった知覚器の神経束の各直径は、
波の移動速度を反映しているだろう。
実際、神経繊維自体の伝導速度も、
その軸索の直径(と髄鞘による被覆の有無)によって決まっている。
移動速度と伝導速度にはある種の比(ratio)が存在する。

現実

概念に重さはなく、
現実は、物質的である。
概念は、超物質的であるが、
観察し、観察される存在は、
すべて物質的である。
自己は、超物質的であるが、
自己を観察するすべては、物質的である。
情報を行為に変換するのは、
自己である。
これ以上の現実があるだろうか。

現在

現在の出来事とは、過去の結果や未来の兆しではなく、
非同時的な過去の反作用であり、非同時的な未来の結果である。
すべての現在は、
主観的で客観的な過去と未来に作用する物理的な支点である。

お金と富

金融危機が生産システムの崩壊をもたらすのではない。
生産設備の所有権強奪が危機をもたらしている。
そして、より多くの人々がこれまで以上に
お金のために生きていかざるを得なくなるだろう。
金融危機を起こすには、お金でお金を稼ぐ欲望を高めなければならない。
それは、自分たちのシナリオのために作られた複数の人生プランを提示し、
人々に選択させることによって遂行される。
たとえば、より多くのお金と保証(そして保障)を求めて、
両親は子どもの学校の成績を上げさせようとする。
成績の向上は、元金の損失のない暗黙のレバレッジ効果を生む手段であった。
しかし成績と真の理解の違いは、お金と富の違いほどある。
実際、膨大な不換紙幣を刷って真の富とを交換し、
それらを独占している連中が、
人々の永久的な奴隷化を計画しているのである。
そして、日銀の金庫には金(ゴールド)はまったく保管されていない。
この狡賢いシステムには、お金と富との違いを教育しない意図的なバグがある。

究極の手段

バブルや不況は偶然の産物ではなく、
ビジネスの究極の手段である。
奪うか奪われるかは経済理論ではないので、
彼らはつねに第1級の経済学者や数学者を雇用する。

仕事

人間は仕事を作り出せるが、
仕事も人間を作る。
お金で人間が変わりやすいのは、
欲望をお金で実現できるからだ。
ライフスタイルやビジネスをお金で買う仕組みが、
戦争を莫大なお金と交換できるシステムに作りかえてきた。
何かを買うために働くと奪われるシステムは、
教育課程でインストール済みだ。
植民地での初等数学のプログラムが、
利子の概念を理解させるためであったように。

モノレール

仕事やお金で楽をしている間に、
行き先は変えられた。
金融恐慌ではない、
第3次世界大戦が始まったのだ。
真実を扱えないことで、
誰もが過去から、未来を学ぶことができない。

左右の概念

右の反対は、左である。
人類は科学的経験を蓄積した結果、
左右の概念から、
非同型なネガティブとポジティブの概念を発見した。
北極の反対は南極であり、内部の反対は外部である。
凸の反対は凹である。
そして、20世紀の素粒子物理学は、
非鏡像的な空間反転(パリティ)の概念と
さらにその対称性の破れを発見した。
にもかかわらず、
左右の概念は、未だ西部劇のような
2大政党制を維持している。

世界の天気予報

金融力は、ロンドンから、
エネルギー力と軍事力は、ワシントンから、
宗教力は、ヴァチカンから、
資金力(あるいは借金力)は、東京から。
そして、
北京の軍事力(第7艦隊を無能化した潜水艦)と
モスクワのエネルギー力から、
すべての流れが入れ替わる。
金融破綻は表向きの天気予報にすぎない。
イデオロギーと富の支配に費やされる
すべての無駄遣いが、
前例のない地球温暖化の最盛期をもたらすだろう。

“Think Global, Act Local”の起源

テンセグリティモデルに外力を与えると、
外力を分散するために振動する。
張力が高ければ、目に見える振動は短時間で終わり、
張力が低ければ、目に見える振動は長時間続く。
テンセグリティは、他の物体(たとえば空気)とつねに相互作用している。
テンセグリティは、より軽く構造を効果的に維持するために
振動を採用したのである。
自然は、システムの構成要素間のもっとも経済的な自己組織化において、
“Think Global, Act Local”を採用しない。
しかし例えば、お金でお金を稼ごうとする場合には、
“Think Global, Act Local”は有効だろう。
“Think Global, Act Local”は、政治的で経済的なモラルかもしれないが、
科学的原理ではない。
ゆえに、エコロジーの方法論でもない。
最近、私は、”Plus81″のインタビューで
“Think Global, Act Local”の歴史的起源に言及した。
Think Global, Act Local: Creators’ Talk
http://www.plus81.com/plus/review/think_global_act_local_creator.php