ベクトル」カテゴリーアーカイブ

情報修羅道2

価値観は情報量が形成する、という情報修羅道は、
未知(unknown)なる存在に対する恐怖心が引き起こしている。
知らないということが、発明や開発にどれだけ影響を与えているかという科学的な探査が決定的に不足している。
たとえばこどもは言語を習得する時期に学校には行っていないという学習原理は、人類の生存に不可欠である。
この時期に学校に行かせる全コストを教育費から削除してきた理由を考えれば、
10代前半までのネット経験におおきな格差が生まれるのはほとんど無視できる。
少なくともこの格差が常識を増大させることはあっても、人類に影響を与えるテクノロジーを生んでいるとは言えない。
PCやブラウザ自体が大学の外で開発された事実に注目しなければならない。
読書量がインテリジェントを向上させるとは限らないように、ネット経験量は動機づけを生まない。

価値観は情報量が形成するという情報修羅道の蔓延は21世紀の教育の危機である。  Y.K

情報修羅道

「2005年では、PCから利用する人が4000万人、携帯からのみ利用する人が3000万人、インターネットを利用しない人が5000万人、特に若年層においては、PCを入手するために必要な数万円が払えないために、携帯からのみ接続しているユーザーが多く、数百万人に達する」らしい。
これらが正しい統計だとすると、
「携帯のみを使う場合は、知らない人や知らない知識に出会う可能性がPCを使うときに比べると格段に少なく、若いときに5年以上のネット経験量の差がついてしまう。価値観がつくられる10代前半までのネット経験におおきな格差が生まれるのは問題だ。」という推論が専門家の間でなされる。

こうして価値観は情報量が形成するという情報修羅道が21世紀の常識になってくる。かつて100円マクドナルドハンバーガーが10代に定番化した理由は、10代前半までの小遣い範囲での外食経験におおきな格差を生じさせるためであった。この時期の食体験は一生を支配するという仮説理論は、先行した情報修羅道である。

人間は多様化が許されている。
価値を選択する以前のこどもにも。
しかし、これらは両親の価値観で決定されている。
ほとんどの30代を中心とした両親たちは情報修羅道という情報グローバリズムに餌付けされている。
PTA以上に強力なこれらの教育ロビーイストたちはPCで年収を増幅させた人たちである。  Y.K

地産地消VSグローバリズム

食料生産だけでなくエネルギーに関してもアメリカやEUはもともと地産地消型であるが、
日本が種子や農薬、肥料を輸入しているかぎり、
見かけ上の地産地消はグローバリズムの基本的戦略である。

この見かけ上の地産地消は食料自給率を短期間に経済的に(=脱石油資本的に)向上させる方法であるが、朝鮮半島の有事に備えた、国民向けの兵站学(ロジスティックス)でもある。  Y.K

情報

著作権法が
生物のDNAが今のところ未だ無料だという前提に触れたがらないのは、
地下埋蔵資源はそれを埋蔵する土地を所有すれば、
すべて所有できる法律を作成した連中と事情は同じである。  Y.K

地獄

平和な世界が不都合な人たちがあんなに自惚れていられるのは、
平和のすぐそばに
墓ではなく
無数の地雷のように地獄を用意しているからだ。

これが、地獄を爆弾よりも畏れている21世紀の暗黒時代の姿なのだ。  Y.K