裏庭(背戸)」カテゴリーアーカイブ

単位

単位を貰えないことで学生が自殺したニュースを見た。
そもそも単位は宇宙に属する崇高なモジュールだ。
宇宙の単位は、知性そのものだ(たとえば、電子と陽子の質量比など)。

学ぶことと実践することを分離させ、ある時は分裂させ、それぞれ傍観することはもっとも知性を必要としない簡単な行為に属する。

こうした簡単な行為には、ほとんど宇宙と無関係な、つまり自己に関与しない締め切り日がある。
教師は、締め切り日がなくとも学習や仕事は可能であることを教育しなくてはならない。  Y.K

苦労

苦労すると偉くなるという人がいる。
たとえば、私の両親。
だから、私も一応苦労してみた。

しかし実際は、苦労して苦労して、そして苦労して人々はバカになっていると認められないほどバカになっているのだ。

私は数学で苦労していないから
いまでも数学をしている。  Y.K

擬自然化

人間を創り出した自然は自らを擬自然化するだろうか。
自然はシナジーである以上に擬自然化は、未だ言語化できないだろう。
<宇宙はテクノロジーである>といったバックミンスター・フラーは、
擬人化されない宇宙神を控え目に伝えたのだ。
それ故に、ハーケンの「自己組織化」よりも擬自然化に成功している。  Y.K

擬人化

自然を翻訳できると考える人は擬人化するのが好きだ。
「自然にやさしく」とか、「傷つきやすい地球」とか、
よく考えると、企業の広告コピーばかりだ。
擬人化は宗教とビジネスの得意とするうぬぼれた翻訳だ。  Y.K

犬格

自己プログラムする自律的なしっぽのようにふるまうことに期待して
制作中のプロトタイプのしっぽに、
私の散歩をうっかり頼んでしまったので最悪の組み合わせになっている。

しっぽは犬格(=人格に近いプログラム)があると思いこんでいる。
当分、しっぽが帰るまで犬のしっぽブログはお休みしなければならない。Y.K