裏庭(背戸)」カテゴリーアーカイブ

獣医のペット化

野生動物はほとんど携帯電話が通じないエリアに住んでいると考えていい。
ペットショップのエリアマップは獣医のいるエリアマップと重なり、携帯電話の圏外エリアと一致するだろう。

獣医は野生と隔たって生きている。
野生を駆逐したところで都市の獣医の仕事は形成されている。
野生動物を治癒する獣医は、こうした環境からかけ離れた環境を選んで住むしかない。

傷ついた野生動物を携帯電話が通じるエリアで営業する動物病院に連れて行くことは時として、助かる野生動物を死に至らしめる。

ペット専門の獣医に、野ウサギや野鳥の治療法や回復するまでの一時的な飼育方法を期待することは野生動物にとってかなり危険な医療行為を助長させることになるからだ。

美容整形外科医に心臓手術を期待してはいけないように、
動物の医療には動物の種類ほどの専門性が必要だ。

都市部のペットショップのアフターケアのような動物医療に甘んじているプライドのかけらもない獣医たちに、野生動物の治療をけっして託してはいけない。

心ある獣医は、治療可能な動物の種類を看板に明記すべきである。
野ウサギの治療と猫の治療は月とスッポンである。
動物を愛する信頼すべきアドバイザーを求む。  Y.K

神秘

毎年全世界で出版される無数の科学論文に価値のあることがただ一つある。
宇宙の神秘は科学者になる動機にはなっても、科学者の研究テーマにはならないということだ。  Y.K

日本ミツバチ

日本ミツバチが帰ってきた。
私がここの見晴らしの良いアトリエに引っ越した時の先住者は、
屋根裏のヤマネと出入り口の床下にいた大きな青大将とこのミツバチであった。

スズメバチの集団に続けざまに襲われて個体数が激減していくミツバチを無視できず、
昆虫網でスズメバチを捕獲してゴム草履の裏で叩き潰すのが
晴れた午前中の日課になっていた。
スズメバチに噛み殺された大量のミツバチと分解したスズメバチ死骸はアリが群がる前に
スズメバチの同僚がすぐに引き取っていくので、
巣箱の周辺はすぐに何もなかったような状態になる。
だからずっと見張っていなければ、ミツバチの悲劇は分からない。
ある日、スズメバチの集団は途絶えた。
私の攻撃ではなく、ミツバチがすっかりいなくなったからだ。

そのミツバチが木造の建物の西側の壁面の古い巣に2年ぶりに帰ってきた。
最近、炭火を興してお湯を沸かしているといつも顔の周りにやってくる。

日本ミツバチは新しい木で作った巣箱よりも、古い黒ずんだ木の巣箱を好む。
もっとも私がこしらえた巣箱ではなく、壁面の羽目板の隙間を利用した彼ら独自の巣だ。
この巣は、私のアトリエの入り口から3m離れた位置に面しているので苦労なく観察できる。
性質がおとなしく、攻撃はしないが、
黒く長いフードを付けたマクロレンズを接近させると、羽音はすぐに激しくなり、
出入りの様子が変化する。

蜜は少しずつしか形成されないため、一つの巣箱から2年に1度しかハチミツをとれない。
巣別れの時期までにもちろん新しい巣箱を用意できたらいいが、
あのスズメバチのギャングとの抗争に私が積極的に参戦しなければ、
日本ミツバチの神経質で巣を放棄しやすい性質からすると、
敵が頻繁に巣を攻撃すればすぐに引っ越しをすることだろう。

低温でも活動性がある日本ミツバチは、豪雪地帯で外敵に襲われつづけても、
その富んだモバイル性によって生き残っている。

日本ミツバチ
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ゼンマイとワラビ

ゼンマイは下ごしらえにもっとも手間のかかる山菜である。
乾燥して保存食に適しているのは、栄養価も高く強壮、補血、利尿、血圧降下などの薬効も
長い経験から認められているからである。常食しても健康によい。
しかし、ワラビには発ガン物質がある。
(その強い毒性は、1983年にワラビから発ガン物質プタキロシドが分離され、
実験から牛の急性ワラビ中毒と同様の症状を起こすことで確認された。)
したがって、春の牧場ではワラビの除草剤が散布されている。
その薬害もかなり強いモノだ。
牧場でのワラビの除草は、牛の発ガンは防止できるが牧草には危険だ。  Y.K

住宅付属地

源流から遠ざかるにつれて、絶え間なく汚染されるにも関わらず、
自然農は源流域では浸透していない。
りんごやダイコンのような高濃度の農薬作物が主流である。
農薬汚染は源流からすでに深刻である。

なぜ農薬が生産され、使用されるかについて
考えたり実際に生産者に聞き取り調査などをしてきたが、
最近農薬は化学からではなく、
減収に対する強迫が作りだ出すことに気づいた。

自然農による農作物が一般的に高価なのは、
少量生産という市場経済ではなく、
生産者が巧みに減収に対する強迫を消費者にまで伝えたからである。
(実際は自然農の生産性は低下しない。
むしろ農薬や手間などの省力化によって生産性は向上する傾向にあるが、
一部の似非自然農業者は依然として意図的に
手間をかけた高級食材としての商品開発に熱中するだろう)。

一方、自給自足が都市近郊の「住宅付属地」に採用され発展するためには、
経営状況の悪化により現金収入がたたれようとも、
菜園で「とりあえずは安全に食べていくことができる」という強い不安と恐怖を必要とする。

自然農はこうした人間の不安と恐怖の克服から始まる。
その不安と恐怖の99%は
「自然農はこの楽園を一切損ね壊すことのない栽培農だ。
耕さず、肥料農薬を用いず、草や虫を敵としないところに
われわれの生命体は約束されている。」
という直観を深く疑っているのが原因である。  Y.K

過疎vs過密

脳の機能が意識をつくるという心理学の最近の発見によって、
「興奮するからアドレナリンが増加するのではなく、
アドレナリンが増加するから興奮する」ということが証明された。
ならば、「過疎だから寂しいのではなく、
寂しいからより過疎」になったのである。
過疎は行政機能や生活の利便性の低下からますます過疎になるのではなく、
もともと寂しい村の人間関係が子供たちを都市に向かわせたのである。
では都市はなぜ過密なのか。
寂しいからより寄り添うようになったのである。  Y.K

川岸

私は森をあまりにも重要なものと思っているので、
杉を植えた人たちと真面目に話をすることができない。
里山を流れる川岸は、これらの遺棄物でいっぱいである。  Y.K

フキノトウ

冬眠から目覚めた熊は最初にフキノトウを食べる。
フキノトウは春のことしか考えられないデザインをしている。
寒さに耐えるように、ツボミを何重にも苞が取り巻いている。
だから一斉に生えるのだ。  Y.K

帰農 VS 帰工

退職後は、帰農によって、自分の食べ物や身の回りのものを自分で作れる生活を人間の原点にできると考えるならば、
帰工によっても、自分の家や自動車、そしてパソコンを自分で作れる生活を人間の原点にできるはずだ。

農業はもっとも長い歴史をもつテクノロジーである。  Y.K