シナジェティクスは超越論哲学か

モデル言語は、分析や解釈からは生まれない。
モデル言語はシナジーを奥深いところで性格づけている一つの現れに違いない。

シナジェティクスほどバックミンスター・フラーという創始者の
思想の解釈の過剰性から遠のいた学問はないだろう。

若きバックミンスター・フラーは
先天的認識がどのように可能であるのか
その可能性と根拠についての問う認識において
もっともカントに接近し、
当時の相対性理論の希有な理解者としてアインシュタインと邂逅する。

バックミンスター・フラーを
プラグマティズム(アメリカ合衆国の哲学)に閉じ込めた
ヨーロッパ経由の日本の哲学者たちは
自らの解釈の過剰性で時代遅れなのである。

哲学的認識のシステムとしてのシナジェティクスは
モデル言語の発見に満ちている。

モデル言語は先験的であり、現在も先験的に生成され続けている。
すべてのモデル言語をシナジェティクスモデルとして
視覚化可能にする操作主義において
シナジェティクスは超越論哲学を超えた最初のメタフィジックスである。

シナジェティクスは、重さのない自然の諸原理の発見を誘導するシステムである。

4つの無のテクノロジー

大災害時に破壊された都市のライフラインが修復されるまで
無管(有管から無管に、つまりバイオトイレ・風呂を含む複合発酵による水の完全再生)、
無線(有線から無線に、つまり、太陽光発電や携帯電話など)、
無軌道(軌道輸送から無軌道輸送に)、無柱(体育館などの軽量構造物の避難所)の
<4つの無のテクノロジー>に依存しないかぎり
生命は安全に維持されない。

都市のライフラインは、真の生命維持装置ではないのである。
平時における大企業と国家のための課金装置である。

軍隊の給水車や移動トイレ・風呂、大型テントなどは
まだ戦争機械の一部(=兵站線)でしかない。
公共インフラという社会資本は、
依然、宇宙資本(=宇宙テクノロジー)とは無縁である。

宇宙での移動のためのすべての道具と住居は
無管、無線、無柱、無軌道のテクノロジーを前提にデザインされている。
ライフラインの宇宙工学から
住居を包括的にデザインするのは、デザインサイエンスだけである。

住宅の終焉

住宅の終焉がやって来た。
震度7を複数回受けると
崩壊または、使用できない住宅から構成される都市は
生命の安全と発展を保障しない高価すぎる物質で溢れている。

都市の空間が建築空間によって開かれた場であるとするなら
そして、
構造がもはや望ましいものとして存続できないとしたらなら、
都市は消滅してしまうかもしれない。

自然が望む構造は、角度と振動に満ちている。

都市と農村における
人口のみの分散と集中の政治的経済的手法は
地震によって幾度も陳腐化されているのだ。

移動しながら生存するテクノロジー

移動しながら生存する軍事テクノロジーは
武器製造技術と相補的な兵站学を形成したが
デザインサイエンスでは
生活器製造技術と相補的で自律的な
エネルギーと食料の生産技術に転換される。

大規模災害では
エネルギーと食料の自律的生産技術が
軍隊も含めて完全に枯渇していることが明白になる。

軍隊は外部から常に支援される条件のみで内部を支援する。
移動する自律的内部はけっして形成しない。

地下資源に依存し独占するシステムに
敵対するテクノロジーを形成しやすいからだ。

概念モデル

見るためだけのテンセグリティモデルは
シナジェティクスに対して盲目となる。

テンセグリティは
発見された概念モデルからデザインされる。

純粋な概念モデルは、どんな構造にも似ていない。

放散虫やフラーレンでさえ、自然を模倣したのである。

美しい皺

<構造>という一見単純で身近な言葉の背後に隠れている不完全さを
一つ残らず解放しなくてはならない。
その瞬間的な崩壊によって、人々は圧死してきたのだから。

地震の周波数によって瓦解する脆弱な仕組み以上に
振動を拒む傲慢で虚しい概念によって
維持されたその不完全さは、
構造安定性に対して無数の思考上の断層を形成しているのである。

それに対して、自然の断層は剪断応力が岩盤の強度を上回った場合に
岩盤が割れてエネルギーの分岐点である断層が生じる。

岩盤を割ることによって、地震のエネルギーの一部を解放する断層は
圧縮応力と引張応力のいずれかまたは両方によって形成されるのである。

すべての断層は、バイオスフィアのエネルギー計算によって
動的均衡を形成している。

本来は、バイオスフィアの表皮の美しい皺なのである。

生きて動く老化なき皺なのである。

先験的思考

先験的シナジー情報は、思考からは到達できない。

先験的思考力によって獲得された全情報は
思考した人には属さない。

先験的なシナジー情報は、すでに宇宙に存在しているが
それらは、しばしば観察結果には現れない。

観察結果は
先験的シナジーに含まれない
自惚れた理論によって変化するだろうから。

先験的思考は存在するが
それを証明することは
シナジェティクスの目的ではない。

シナジーを求めて

地震学という科学では
現在の情報から全体や未来は予測できない。
観測され蓄積された過去のデータから
過去の事実を<未完成な理論>から解析できる段階にある。

シナジェティクスにおいては、
〈昨日〉の情報や方法に対して
いかなる差異を導入できのか、
一つの僅かな差異を概念モデルの<現象>から求める。
しばしば、その差異が新たな構造とパターンの発現として認識されるまでになる。

想像し得る一つの全体や未来の計画から出発して
<現在>を理解しようとはしないというメタフィジックスが前提にある。

なぜなら、シナジーはどの現在の部分的情報からも
シナジーを形成する全体情報は予測できないという無数の経験と
その経験に基づいたシナジーの発見があるからである。

『シナジェティクス』は、
エンドレスなこれらの発見のインデックスに満ちている。
『シナジェティクス』のインデックスは
未知なる分類学からやってきたのである。

全体はつねに想像し得る一つの全体を超えているがための分類学を
樹立した『シナジェティクス』は、インターネット社会が到来する前に
1975年、ディレクトリ型検索エンジンの原型を最初に書物に導入している。

☆この驚くべき方法は、つねにその内容と不可分にある。
SYNERGETICS

生活器(シェルター)の無料化

「家の中で過ごすことはできない」
「雨だけしのげればいい」
「屋根があるだけでもありがたいんだ」
地震から3日目を迎え避難者の言葉を
再び聞く側になった。

国家による無意味な数々の経済的独占行為を承認する政治的改革は
大災害から誘引される貧困を根本的に解決できないばかりか
大災害を経験した個人が
受動性の否定をどれほど極限化しても
サバイバルの独自性と自律性は獲得できないかもしれない。
税収奪の手段と化した都市のインフラシステムと絶縁しない限り。

大災害を何度繰り返しても
国家に災害救助に関する
基本的な生活器(シェルター)に関する
テクノロジーの解放はどこにもない。

バイオスフィアと調和する科学的な生活器の無料化への
メタフィジックスは、まだ何処にもない。