シナジェティクスの思考とは、
非シナジェティクス的思考という圏外との境界に留まり続け、
それがデザインサイエンスという有限な物理性へと
現実化するテクノロジーを伴った経済的な合理性によって、
シナジェティクスに息づく自然のデザインを作動させる
一つの直観的な方法なのである。
非シナジェティクス的思考と共に
絶えず想起せねばならない
自然へのメタフィジックスは、
もう一つの現実に属する。
シナジェティクスの思考とは、
非シナジェティクス的思考という圏外との境界に留まり続け、
それがデザインサイエンスという有限な物理性へと
現実化するテクノロジーを伴った経済的な合理性によって、
シナジェティクスに息づく自然のデザインを作動させる
一つの直観的な方法なのである。
非シナジェティクス的思考と共に
絶えず想起せねばならない
自然へのメタフィジックスは、
もう一つの現実に属する。
教育が自己のために生きる目的と
矛盾しないかぎり
絶えず自らが自己とともに生きる行為を
利己的と見なすであろう。
自己に対して生きる目的と行為が失われるほど
プリミティブな動機は、つねに背後に曖昧に残されてしまう。
忘れ去られるように。
発明の才をより自発的にするためには
技巧を凝らす時の受動性に対して
より反発を感じるようになるだろう。
発明は
個人の固有性としてではなく
前提条件を破壊するための
戦略として理解されるべきである。
「次世代に地獄を託す」決定(バックミンスター・フラー)は
つねに民主主義的になされる。
強行採決という
反民主主義的なプロセスと
それを反論する根拠は
どうでもよいのであって
それを言い渡す側の力を行使しているだけである。
システムへの還元操作によって
法が制定可能なのである。
権力は、議員とメディア、そして
議員ではない人々を基点として、不平等で不合理なゲームを永続化する。
経験と意味作用の数々を破壊する心理ゲームの前提条件は
自在に書き換えられる。
あらゆる退屈な手続きは、
高い報酬と共に
主体の無化へと誘導する。
自由を奪うには強い権力は不要だ。
言論よりも経済的な自由を
少しずつ減らせばいいのだ。
人々は自分のために
自分の利益のために
そして、自分の家族のために生きる。
しかし、それらの目的に生きる者が
絶えず自己とともに存在することにはならない。
さらに、自己を含む宇宙のために
存在することへの移行は
有限性に自分自身が繋がれている幻想に
直ちに呼び戻されてしまうだろう。
税金で構築される国家の安全システムこそ
この有限性という幻想の終着駅である。
安全システムが
たとえば異常気象による短期間の異常な雨量という概念で
自らをシステムから免責できるのは
この局所的な有限性なのである。
(利根川水系という浮かぶ都市に住んでいる前提条件こそ
無限性に基づいた自然が導く安全へのテクノロジーを生むに違いない。)
安全メカニズムを機能させているのは
国家権力であるが
福島原発が生成するトリチウムの水蒸気雲は
植物の光合成レベルの安全メカニズムを
短時間で変容してしまったが
彼らはその過程で死滅するわけではない。
植物には
少ない太陽光でも生存可能な
葉緑体とミトコンドリアを用意できる
テクノロジーがある。
大気圏内の安全性を制する人類の軍事テクノロジーは
植物ほどにも達していない。
私はシナジェティクスの後継者ではない。
物理学に後継者が存在しないように
後継者はなにも挑戦しない。
私はつねに動的に安定する構造の発見者である。
そして、プライムデザイナーの教育者である。
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