想像力

独自な<構造とパターン>に関する理論や発見は滅多にない。
如何に既成の<構造とパターン>から自由になれないかを表している。
しかし、この現実は<構造とパターン>は
自然の観察から発見されるよりも
人間の想像力が先行して生成する事実と矛盾しない。
自らの想像力から自由になることが
もっとも困難な想像力だからだ。

デザインの目的

科学者は原理に接近する理論を作り
芸術家は美の形式を作り出す行為に集中する。
デザインするという究極の行為は
われわれの思考形式によって
宇宙のデザインを発見するという
矛盾した段階に至るのである。
そして、その非人格的なデザインの目的意識に気づくのである。

他人の思考

何かに心酔することは身を委ねる行為である。
熱狂的模倣は知を愛する代理行為でもない。
心酔や熱狂は他人の思考の巧みな変容形態である。
種々の変容形態が絶えず選択できる思考停止の時代に生きている。
思考停止こそ、新たな消費形態の不変的な根源であるから。

思考する手

フォトショップが絵を描く才能を機敏に反映しより拡張したように
プロダクト革命にとって<手>は
思考する最初の精緻な3DMAKERである。
手は、3次元の軌跡を描いていく
船の舵を取るようにデザインされている。
手は原初的でありながら
3次元の最適なサイバネティクス(cybernetics)である。
現在の3Dプリンターが
<思考する手>を複製する機能であるかぎり
プロダクト革命を連鎖的に引き起こす新たな道具類は
ますますこの<思考する手>に依存するだろう。

専制への予防

縄張りのある領域(ドメイン)の内部には
無数の絆がある。
長さの単位が長さを測定できるように
縄張りや手綱や絆という概念が領域を形成している。
歴史的にその領域の外側は、つねにその内部よりも広大だったから。
自由とは、そのような概念操作から
領域の内部や外部を形成しない<デフォルト空間>である。

自己愛

自己愛は自分の一部であるから、
自己を冷静に外から見つめるということは困難だ。
見る行為を妨げる存在がどうして愛と呼ばれるのだろうか。

構造とパターン

構造とパターンは反復される記憶にすぎないから
実際には新しい構造とパターンを観察しても
独立した思考や感情は生成されない。
細胞という概念は観察から生まれなかっただけではなく
ジオデシックスも細胞テンセグリティという概念も
電子顕微鏡という道具の進化からは生まれていない。
既成の構造とパターンから真に自由であるためには
反復される言葉や映像、そして
それらの条件反射から逃れる方法を必要とする。
構造とパターンは
ほとんど観察の対象にはなく、数学的自然観に依存している。
私の場合、数学的自然観は
ほぼアプリオリに刷り込まれていると感じている。