流体地理学

宇宙論的な視野が誘導する地球を外部から見る行為が
1940年代のダイマクションマップの開発の根拠となる<流体地理学>
(=一つの海に浮かぶ島々という流体の連続性)を形成した。

この宇宙論的な視野が、その後のグローバリズムの理念にとって替わったのは
超国家的権力構造によって、遠隔から支配する軍隊と基地、そして
高性能な小型武器の開発が最優先されたからに他ならない。

自然と出会うためのテクノロジーが
人間の居住可能な場を生み出すはずだが
極地における居住可能な場のほとんどは、軍事テクノロジーによって形成されてきた。

同時に、バックミンスター・フラーによって創始された<流体地理学>は、
流動する大地を前提にしたモバイルテンセグリティという
最小限の移動可能な極地用の構造デザインと融合したのである。


『宇宙エコロジー』(バックミンスター・フラー著、梶川泰司訳 2004)
第7章 <流体地理学の誕生>自己エコロジーのための全方位カメラ(ジオスコープ)参照

稀少性

贈与経済学者は死んでしまった。
その構造を研究する哲学者もいない。

絶えず稀少性を独占する経済システムは、
有限な資源とエネルギーという不活性的で非再生的な自らのシステムによって
人類の生命を危険に晒す。
そして、稀少性は戦争機械のエネルギーである。

真の稀少性とその神秘は、
宇宙の元素の存在度とその分布パターンにしたがって再生される
物質と生命の相互作用に備わっている。

ユーティリティとエンジニアリングと、 そしてシナジェティクスとの空隙を埋めるもの

シナジェティクス的思考の黎明さは
20世紀を代表するヨーロッパの哲学者や
アメリカ国内の数学者たちの言及を遠ざけるほど
独創的であった。

見失った思考体験をそこに再現するためではなく、
モデル言語の様々な可能性に近づけるための原型的思考方法を
バックミンスター・フラーが開示したのは
1940年代である。

テンセグリティ・ジオデシックスから
派生する種々のユーティリティとエンジニアリングと、
そしてシナジェティクスとの空隙を埋めるのは
幾何学にはない原型的思考である。

ジオデシックス理論よりも前に
テンセグリティ原理を発見した
非論理性と論理性から未知の領域を侵犯するフラーの思考の黎明さは、
現在の教育システムや幾何学的党派性からは
けっして複製し再生されないように企てられたのではない。

それは素晴らしい言語の機能ではないだろうか。
宇宙の結合と解離の不変的システムを理解し、再生するために
発見された言語の特性なのだ。

起源論的思考

シナジェティクスにおける起源論的思考は、
幾何学にはない。

批判であると同時に存在論的であるような、
形態と数字の相互作用から
思考形式に及ぶ本質的な探査は、
ギリシア幾何学を起原としない。

驚くことに、この起源論的思考は
アインシュタインに始まる操作主義的な哲学的系譜として
『コスモグラフィー』(バックミンスター・フラー著、梶川泰司訳 白揚社)まで考察されなかった。

反・人工物

シナジェティクスは、
新しい幾何学の<啓蒙>の手段でもなく、
宇宙のシナジー現象を無料で模倣しながらも
教師たちの知の独占意欲をかき立てる
プロパガンダ用アイテムの宝庫でもない。

多面体愛好者たちのプロパガンダ用教材が
シナジェティクスのモデル言語を翻訳したことがない。
それらの<多面体>という概念自体が、
ギリシア時代の大理石の加工技術から形成された<固体>概念による
認識方法とその限界を表している。

固体的多面体の世界観は、バックミンスター・フラーレーンの
構造的安定性を証明できなかった。

シナジェティクスは、すべての教育的な<啓蒙>を批判し、
<概念の牢獄>から脱出するための爆破または離脱システムなのだ。

このシステムは、人間がデザインする人工物ではない。
 

反転操作による多極化

エスタブ・軍産リベラル系のマスコミや言論人が
法律家資本主義下の軍産支配を打ち砕くための
ロシア傀儡の疑似ニュースを
多数派のように見せかけて非難する日は
日本ではやって来ないだろう。

マスコミの言論人の質が最初から低下させられて開始しながらも
人々に広く長く、否定ではなく、軽蔑でもなく
多くの人々は軽信して、幻想に満ちた<個性>と<個人性>を
ただ生きているだけだからだ。

つまり、より強化する軍産支配はこれからだったはずが
世界はすまます多極化する速度を上げている。

世界権力構造の多極化は、第2次世界大戦から始まった。
最初は、イギリス大英帝国とアメリカ合衆国という
内部と外部の入れ替わりと同時の最初の<極性の反転操作>だった。

このトポロジー的反転操作こそ、イデオロギーを超えたグランチの
ノウハウと腕力である。

双頭の龍の脳は、入れ替わっても変わらぬ双頭である。
この双頭の龍(=安物の西部劇に飽きた人々でさえ、命をかけて互いに熱中してきた)は、
今や世界中で複製されている。

焚火

確実性を求める人生は退屈だが
可能性を探査すると
ついに自分のことはどうでもよいことになり
早く短く時が過ぎていくとき
焚火で過ごす長い夜がやって来る。

星空を渡る夜鴨とコウモリを背景に
朝焼けに繋がる星々が強く輝くとき
背戸の獣たちは
焚火から静かに去っていく。

環境デザインの秘法

アルチュール・ランボーの詩を
学校で学ぶことを拒否できるように
シナジェティクスを学校で学ぶことを拒否できる。
まちがった刷り込みを拒む自由は
重要な自己のテクノロジーである。

なぜなら、シナジェティクスをマスターした人は
けっして現在の学校の教師にはならないからだ。

アンチ・プロダクトデザイン

デザインサイエンスから学んだことは
経験の目録全体が同じでも、
経験を系統立てて述べる方法は絶えず少しずつ変化し、
思考過程に他者が参加すれば、常に自発的な思考が継続できることにある。

デザインサイエンスとプロダクトデザインとの違いは
すべての方法は目的意識(=know why)が先行することにある。
デザインサイエンスに、プロダクトデザインコースは存在しない。

自分が関与したい領域のすべての知識と手法(=know how)を学んでから
目的を達成するデザインを形成することが
もっとも効果的だと思考する疑似<システム>は
シナジェティクスにも存在しない。

シナジェティクスは幾何学ではない

幾何学を学んで、
動力学的なシナジェティクスモデルの運動の分析は
困難である。

シナジェティクスは幾何学を基盤とするのではなく、
生命科学や核物理学を基盤とする包括的科学である。

例えば、テンセグリティは、原子核構造から生まれ
原子核構造モデルそのものである。
さらに、テンセグリティ理論がなければ、
細胞の働きも細胞の構造も理解できなかった。

階層構造

シナジェティクスにおいては、可視的な形態と不可視の概念との関係が
それまでの構造を革命的に変えてしまった。

この構造的変化(シンタックス)のため、言葉と観察方法に対して、
今まで到達不可能であったモデル言語が誘導され、転位し、さらに翻訳され
遂に数字と形態の間に新しい相互関係が発見され
階層的な序列構造が露わになった。

それは幾何学とはほど遠い領域(=『コスモグラフィー』)である。

コスモグラフィー(=シナジェティクス原論)再考

シナジェティクスに対してある距離を置いて
デザインサイエンス・プロダクトでフラーの概念を複製するような関係を求めている人々、
つまり、バックミンスター・フラーに距離を置いて複製するだけの人々に、
発見されるシナジェティクス言語のモデル化の収穫の経験がないまま
シナジェティクスを直接的に探究する代わりに、それについて語るばかりか、
デザインサイエンスについて批評する人々に、
コスモグラフィー(=宇宙形態論)は期待できない。

コスモグラフィーなきシェルターに、物理的な有用性も概念の永続性もない。

シナジーの分析方法とその過程

シナジーの分析は、観察者の外部で、観察者への境界を確定する。

観察者に近接しながら観察者の現在性とは異質な存在として、
観察者の局所性を包含し、時間の外縁で、
宇宙の先験性と共に発見される。

シナジーの分析方法とその過程こそ
シナジーの発見者の特権である。

モデル言語生成の<場>

先験的なモデル言語の生成は、こどもが得意だ。

言語の生成過程を加速する触媒作用のための<場>以外に
何の目的が学校にあるのだろうか。

学校と教師とPTA(それらを受容する不動産としての建築物)は、
陳腐化した産業社会で作られた知識によって
作動してきた人工物の一つである。

こどもの直観は、陳腐化しないようにデザインされている。

全体性

シナジーとは、その全体性を記述することも
その現在性を回避することも不可能な原理である。

しかし、人類の言語は、
太陽系から細胞に至るまでシナジーには不向きだ。

だからこそ、モデル言語が発見されてきた。

絶対的視点

シナジェティクスモデルを作成するのは
絶対的視点、第3者が再現可能な視点を発見するためではない。
自己との対話の過程を外部から見るためだ。

絶対的視点は、自己を排除した観察者からは生まれない。
絶対的視点は、つねに発見された概念から生まれる。

絶対的視点は、メタフィジックスに属する。

生活水準(=自分以外の環境)

バックミンスター・フラーが、『クリティカル・パス』において
真理を語ることによって、自分と権力構造との関係を危険に晒し、
自分の生存さえも危険に晒す書だったのは
彼が死を意識しはじめた最晩年(1981年)を待って書き記したという事実にある。

宇宙の構造と世界権力構造との違いについて
発見され経験された事実を語られる読者は、遂に宇宙の物質間におけるフラーレーンのような
反権力的構造(=大地から自立し重力から離脱するテンセグリティ構造)としての
真理を受け入れなければならないだろう。
ーーーーーー反・超専門分化として機能する宇宙の「部分からは推測できない全体のシステムの働き」は
まだ到底社会構造には反映されていないという事実と共に。

実際、より多くの学生たちは、より専門分化された学問と職業を追い求めている。
ーーーーその動機がより高い生活水準(=自分以外の環境)ではなく
より高い収入(富による自分だけの環境)を求めるためだとしたら、
そのシステムの致命的な矛盾を生きる
反超専門分化としての包括的な人間形成はなくなるだろう。

アイデアとその独自性

独自なアイデアを発見する行為は、
宇宙のなかの人間としての尊厳と
既知となった思考方法の模倣への羞恥心を呼び覚ますことで、
自己を外から見る役割を演じる以上に、
アイデアはアイデアの発見という概念によって、
アイデアの独自性は否定されるのである。

自然

自己による自己と宇宙との相互関係における
「自己探査」なしには、自己のテクノロジーは体認できない。

自然には、自己のテクノロジーと宇宙との関係が含まれている。

現実化の過程

シナジェティクスの発見には、
数学的自然から連れ出すのに特別な瞬間と言語化できない
時と場所があり、
さらに、モデルから生成される原理の解読にも
時と場所があるという現実化の過程が存在する。

その現実化の過程は、
つまり、文献や読書に依存しないか、
またはそれらの行為とは無関係という探査方法は
直観的にしか体認されないので
権威に裏・深淵された世界に生きる人たちには
到底受容できないのである。

教理的フラー主義者

宇宙の英知は無尽蔵であるから、発見によって
シナジェティクスの重要なモデルは増えるばかりである。

シナジェティクス批判とは、
既知となったジオデシックスモデルやシナジェティクス・モデルと
結びついた教理的フラー主義者、
そしてそのフラー主義者と結びついた
デザインサイエンスなき退屈な三角形化モデルを、
可能な限り広い範囲で暴き出す行為である。

そして、シナジェティクスモデルの発見以上に
シナジェティクス批判はないのである。

抽象化の未熟さ

直観を駆使することしか脱出できない領域を思考する時に、
他人の権威を受け入れてしまうような志向にとって、
シナジェティクスの操作主義とは、
数学的な抽象化の未熟さの状態から脱却させる過程となる。

抽象化の未熟さほど
数学的自然から遠ざかるものはない。

自然の構造

建築物は、構造自体に依存して自立するものではない。
基礎は大地に深く連続し、さらに自重を大地に流すことによって
重力に見事に身を任せる。

あらゆる圧縮材をより強くすればより太く重くなり、
そして結果的に高価になるような
構成要素間の相互関係からなるこの疑似構造メカニズムは、
互いに原因と結果を循環する関係に陥っている。

同様に、国家と超国家的企業体による世界権力も権力構造自体で自立するものではない。
大地から奪うエネルギーと食料(メーター管理と流通システムによる)の独占支配によって、
それらに従属している関係を、インフラの税収奪で反転させるメカニズムなのだ。

土地資本主義によって増殖した建築物は、権力構造と反復関数系で繋がっている。
地震や津波、そして急激な寒冷期の到来のような
強大な自然エネルギーによって、人工的で重厚な固定的構造物は緊急時を回避できない。

本質的な自然の構造は、連続する閉じたネットワークによって
柔軟な強度をシナジー的に形成する。

黄昏

アメリカの大統領が替われば、日本の政治・経済が変化するが
沖縄が変われば、日本人が変わる。

世界の権力構造にも、相互関係の段階がある。
その相互関係が、段階的な黄昏なのである。

エネルギーと食料の不足を想定した支配の。

満月の夜のシナジェティクス焚火

月が接近すると引力はより増大する。
そのことで、大気圏内のエコロジーが変わる。
満月の夜は、焚火がいい。

炉と煙突のない焚火は、閉鎖空間ではないと思われている。
だから、焚火から煙を減少させるためには
多くの酸素(または風)が必要だ。
同時に、多くの酸素によって急速に薪は消費される。

薪がより少なく、煙のより少ない焚火、つまり
ロケットストーブのように
吸気を引き込み、未燃焼ガスを二次燃焼させるという方法が
焚火にも応用できる。

つまり、流体が流れる経路に穴をあけると
そこから吸気を形成するというベルヌーイの原理は
焚火を無数の煙突がある一つの閉鎖空間に見立てることが出来る。

焚火に、明確な内部と外部が形成された時、
少ない薪でより長く、煙を減少させる焚火の方法が
より長い燃焼経路にあることが分かったのである。

より長い燃焼経路は、シナジェティクスの最密パッキングとその隙間の概念からやってくる。

この動力学的なシナジェティクス焚火も満月も
ともに互いに張力(=吸気)に変換された効果なのだ。
(この方法には発見と発明が共存する。)

濡れた薪や腐食しかけた倒木ですら燃える
シナジェティクス焚火は、緊急時の基本的な生存技術の一つである。
(ムービーなどで、共有すべきデザインサイエンスの基本技術でもある)

思考の辞書(thinktionary)

シナジェティクスのモデル言語において重要なのは、
思考されたモデルよりも、思考されなかったモデルの<構造と意味>にある。

シナジェティクスを体系化するための思考の辞書(thinktionary)は、
クロノファイル化されたモデル言語そのものである。

☆thinktionaryは、1927年のバックミンスター・フラーの重要な造語の一つである。
概念の時間的推移が、辞書化(タグの相互関係)と融合したのである。

脱獄

暗黒時代は千年以上も続いている。
しかし、概念の牢獄から脱獄できなかった歴史はない。

脱獄の概念という鍵を発見したシナジェティクスは
大理石の多面体から脱獄したのである。

Synergetic’s Index

『シナジェティクス』のインデックスは、
Synergetic’s Index
数学、幾何学や図学、そして科学の標準化されたインデックスに似ていないのは、
シナジェティクスの複数のモデル言語を、
それらのシンタックスにおいて差異化し、
それらに固有に形成されたセマンティックな持続において
類別しているからだ。

シナジェティクスは
このインデックスに接続するシナジェティクスとして誕生した。

テンセグリティの技法

いかなる科学的・数学的技術も、いかなる職業的なノウハウも、
先行する尊敬すべ探究技法への習練なしには獲得されない。

テンセグリティの技法ほど
張力(すなわち、引力)に対する配慮を感じさせるものはない。

テンセグリティモデルは、もっとも<細胞>に近い。
その時々の生命の流れとシンクロする
太陽系の<閉じたネットワークモデル>なのである。

そして、<細胞>に内在する微小管、アクチン骨格などの細胞骨格による不連続な連続こそ、
非生命と生命の境界ネットワーク(膜輸送機能)を再生する。

大黒柱への畏敬と残像がまだ支配的であるかぎり、
張力に対する太陽系の配慮はまだ社会化されていない。

気楽なメタフィジックス

幾何学愛好者が
シナジェティクスを批判するほど
シナジェティクスによる存在論が試行されないのは
完全に不調和で分裂している国家が実現されているからだ。

互いに異なる利害を生むための
異なるアイデアをめざすだけの個性によって、
互いに理解しない人間同士をバラバラに束ねるテクノロジーを開発しながら
税収奪から逃れる企業と税収奪に飢えた国家との間で、
幾何学愛好者たちは気楽なメタフィジックスを奏でている。

気楽なメタフィジックスから
エネルギーも食料も、そしてシェルターも生産されない。

概念とアイデア

アイデアに関する規律のあり方を、
ハッカーだけが断ち切らねばならないと考えているわけではない。

どんな新しい概念も、異なった人間が、
同じアイデアから同時に発想できないという経験は、
アイデアを得る豊かな源泉の一つだ。

しかし、大学や企業内の研究成果で、
アイデアが同時に複数の人間に存在するのは
すでに、アイデアに対する腐敗した環境にいるからに違いない。

異なった経験よりも
アイデアの違いを求める個性は、腐敗した環境を助長している。

有用性(ユーティリティ)

物質的な試行錯誤によって、想像力ははじめて加速する。
自由な思考力だけでは、原理は遠ざかるばかりだ。

ユーティリティ(有用性)と神秘を接近させない人々が
シナジェティクスを
ユーティリティの変容と技術的な透明性とを相互に絶縁させている。

シナジェティクスほど、
ユーティリティに接近できるメタフィジックスはないのだ。

権力の起原論

権力のメカニズムと権力の力学の総体を研究する研究者は
権力の起源の関する考古学を持たなかった。

『クリティカル・パス』(バックミンスター・フラー著 梶川泰司訳 白揚社)は、
権力の起源の関する考察から
国境を越えた見えない<グランチ>の包括的な動きを予測した最初の書物である。
(<強欲な法律家資本主義>という現在の経済学者が使用するタームは、
この訳書から生まれている。)

権力の起原論なき権力の力学の総体からは、
<強欲な法律家資本主義>の黄昏を予測できなかった。

個別の考察

どれほど専心しようとも<個別の考察>だけでは予測できない
統合化されていく自己投企によって現れる普遍的に有利なシナジーの重要性は、
<宇宙のなかの人間>から発見されてきた。

それは、<個別の考察>を支える個性的な人間ではなかった。

思考の考古学

テンセグリティ原理が発見されるまでには、飛躍の諸段階がある。

最初の段階には、バックミンスター・フラーの真の自己に関する
先験的認識(メタフィジックス)が関わっている。

それこそが、ジオデシック構造の発見よりも
テンセグリティ原理の発見が先行している驚くべき歴史を説明するだろう。

テンセグリティの原理の発見の諸段階は、
ダイマクションハウスの開発時に想起された
中央の圧縮材(マスト)の分散化に関する、もっとも難解で長期に関わった
モデル言語の読解の実践過程として捉えられる。

この解読の過程こそ、<思考の幾何学>への考古学でもある。
そこでは、モデル言語が技法に変換されていく自己認識が圧倒的に先行する。

コマンドなき減築や増築

改築の坪単価が変化しないならば、
減築しても、スモールハウスにはならない。
減築に素材の破壊と廃棄が伴う限り。

宇宙の元素群は、減築も増築もしない。
結合と分解だけである。
そして、元素というモジュールには劣化や老化がない。
減築も増築、そして破壊と廃棄は、
人間の経済活動の合理化の結果生まれた概念である。

真の結合と分解のエネルギーは
しばしば太陽光エネルギーで賄われる。

建築は19世紀の思考形式の反映によって
産業を維持しているが
他の天体の生存空間には
けっして採用されない形式だ。

減築や増築の概念を陳腐化したシェルターは存在する。
その結合と分解は、コマンドから始まる。

真のコマンドは、
自然に属する重さのないメタフィジックスから生まれる。

電磁誘導装置

領域的、部分的な知識ではなく普遍的包括的な知を求めるメタフィジックスは
形而上学と訳されたまま抽象的な思弁哲学に堕落させられ、
<直観>と共に、現在すべての義務教育課程で完全に除外された。

はじめから非同時的で無尽蔵にデザインされている
子どもの直観に基づいた動機と自発性は、社会にとって潜在的な脅威だからである。
この脅威は他国の軍事力以上である。

<直観>と<直感>の区別に、哲学的な素養は無関係である。
インスピレーション(精神における電磁誘導装置)は直観に含まれるから。

シナジェティクスは、
このインスピレーションに従って生きると
自己のテクノロジーがどのように変化するかに関わっている。

そして、直観的な基礎による見解こそ自己のテクノロジーを担っている。

破棄して残るもの

原理の発見方法はこれからも存在しないにしても
蓄積から遠ざかる技法は存在する。

モデリングによる思考というべき
これまでの思考方法の破棄なしには、
シナジェティクス原理に遭遇することはできないだろう。

シナジェティクス原理に遭遇しても
それが原理として見立てられるかどうかは、
破棄して残るものが決定する。

不動の地盤

未知の断層は、科学者ではなく
地震によって発見されることがほとんどだ。

大地震の予測は、科学的には不完全であるにもかかわらず
既知の断層によって作られている。

これほど危険な予測はないのだが
地震によって発見される断層を科学研究費で研究する地震学者ほど
不動の地盤はないのだ。

無対称性

人間はあらゆるものを発明することができる。

非対称性ではなく、無対称性に
魂を奪われやすい人間には
考える能力を与えられたのだ。

軽薄で嫉妬深く、気まぐれで偏見に満ちた不公平な世界や
他人の価値基準を変える方法を除いて。