大量破壊兵器

金融商品(デリバディブ)という
21世紀の見えない大量破壊兵器を作成した専門家は
経済学者ではなく、数学者や科学者である。

リーマンショックだけでも
その被曝者は、5千万人を超えていた。

個人住宅の所有は、金融兵器製造の始まりである。
生き残るためには、住宅を決してローンで購入してはいけない。

モバイルシェルターは、政府と銀行によって計画的に製造されてこなかった。

階層化

シナジェティクスは、複数のモデル言語を
それらの多様な現象的存在において差異化し
それらに固有の永続性において
階層化するシステムである。

権力構造から一時的にステップアウトした広島スピーチ

「国家は犠牲と協力で人々が団結するストーリーをこしらえ、
優れた功績を認めるようになります。
しかし、自分たちとは違う人々を抑圧し、人間性を奪うため、
こうしたものと同様のストーリーが頻繁に利用されたのです。」
———2016年5月27日 オバマ大統領の広島スピーチから引用

これは、アメリカの現職大統領が自ら権力構造から
最初にステップアウトした公式スピーチかもしれない。
これが、ノーベル平和賞の唯一の役割かもしれない。

「核保有国は、恐怖の論理から逃れるべき」だが
その恐怖の論理を人々に教育しているのはその国家だけではなく、
被曝者の悲惨な人生も自分たちとは違う敵国の人々を抑圧し
その論理の構築に頻繁に利用される幻想メカニズムは
いまや市民社会に浸透したのである。

その幻想メカニズムがすべての核を生産しているのである。

物質(ウラニウム)と精神の分裂エネルギーこそ、
権力構造を効果的に維持できるからである。


step out=一時的に引退する行為

アンチ・トレードオフ(Trade-off)へ

デザインサイエンスにトレードオフ(Trade-off)は存在しない。
トレードオフとは、
一方を追求すれば他方を犠牲にせざるを得ないという段階の概念である。

シナジーが、より少ない資源、エネルギー、時間によって
効果的な機能を生成する過程に
どんなトレードオフも存在しない。

トレードオフ(Trade-off)を必要とする存在形態は
予測される部分の寄せ集めの全体にすぎない。

G7のデフォルト

デフォルトとは、成すべきことが成されない状態を意味する。

権限があるにもかかわらず
何もしない人々を自由に批判できるが
彼らを罰することができない構造こそが
中国、ロシアが参加しない西側諸国における
非公式な「世界政府」を支配する
法律家資本主義のデフォルトだったのである。

グランチの黄昏

原子力発電所を54カ所も製造し、
究極には技術的にも政治的にも不可能になり
管理不可能な永続的な破壊力を持つ200トンのウランの核反応を
地下で地下水で冷却し維持することしかできない以上、
医学によって平均寿命を調節できるばかりか
生物を繁茂させ、DNAを改造し、
社会全体を統御し弾圧し抑圧もできる政治権力構造は
廃れただけではない。

人間的な主権から完全に逸脱したという正しい認識を
権力が自らの間違った対処から確立してしまったのである。

しかし、それは彼らの分裂し燃える黄昏から逃亡する自由が
奪われ、そして、被曝した後だったのである。

メタフィジックスの段階

シナジェティクスが原理的発見の場を生成すると共に、
デザインサイエンスによって
知性、行動、知覚や感性という全体を拘束する
生産的選択に関わることが可能になる。

そのすべてによって原理的選択という
メタフィジックスの段階にいる。

緩慢な死の予告

基地の経費のすべてを負担している政府の行為が
増大する富の漸進的な固定化であるように
仮設住宅による一時的被災者救済の形態が貧困化の主要な原因であり
その獄舎建築的デザインで矯正されていく仮設空間による共同性の破壊こそ
あらゆる生産的な富の緩慢な死の予告なのである。

寝室と庭のない固定化された仮設住宅の建造と撤去(その後は海外に輸出される)は
いまや定番化した
もっとも醜い建築ビジネスである。

知られていないクリティカル・パス方

クリティカル・パス方は、
様々な困難な課題に関して可能な解決が与えられる条件を列挙して序列化し、
その課題を構成する諸要素をすべて相互に定義づけることである。

まだ知られていないクリティカル・パス方は存在する。
それは、種々の解決方法がより効果的な方法をもたらそうとする課題において
課題そのものが解決方法によって
誘導され転位していく方法である。

揚力とは
物体と流体に相対速度があるときに発生する力(動的揚力)であるが
動的揚力としてのマグナス効果の発見は、
後のライト兄弟の飛行実験には関与しなかったが
コアンダ効果はコアンダ=1910で採用されている。

これらの時系列的進展からも
揚力という課題そのものが、その解決方法によって
航空機の構造自体が開発されていたことを説明する。

この種のクリティカル・パスはシナジェティクスから生成可能だ。

シナジー再考

人々がシナジェティクスに対して求めることができるのは、
非論理性の未知そのものからである。

そして、現実的なフィジックスと非存在なメタフィジックスとを、
真実に等価な一つのビジョンの中で
一つに統合する操作主義によって、
世界の本質を捉え直す可能性が開かれるのである。

等価な一つのビジョンの段階と
シナジー現象の現実的な複数の経験と発見とは
互いに相補的である。

非論理性なきシナジーは
どんな現実も形成しない。

矯正する空間

住宅の空間機能は人間の意識を
矯正する空間になるばかりか
精神病を発現させる可能性が高い。

仮設住宅でその隠れた機能は
短期間に、そして
最大限に現実化する。

本来の空間機能は
物事の在り方に気づき、同時に自己との関わりを向上させる。

自分を住み家を、自分で作り出し
自分で管理し、修理できない哺乳類は
人類だけである。
住み家制作を専門分化し、その所有のみに従事したのは
怠惰に矯正された結果である。

これまでの住宅の空間機能に
エネルギーと食糧、そして水の包括的な再生装置が
まだ組み込まれていないのは、
意識的な進化を自負する哺乳類としては、もっとも不完全で
不健全である。

シナジェティクス3へと続く

驚くほどシナジェティクスが枯渇していると感じ
デザインサイエンスが21世紀で
もはや望ましいものでないとするなら
クリティカル・パス方法を更新し
新たなデザインサイエンスを発明するか
シナジェティクスに代わる
別のシナジェティクスを発見しなければならない。

さもなくば、バックミンスター・フラーなき
1983年以後の停滞した余分なものとしての
シナジェティクス3に違いない。

シナジェティクス3の探査が
デザインサイエンス革命という課題によって支配されていないかぎり。

浮遊する構造

構造物の基礎部分が大地に依存するかぎり
そして、大地にその構造物のすべての自重を流し続けるかぎり
すべての構造は、マントルに浮かぶ大地につねに浮遊しているのである。

不動産を支える疑似構造学が
注文住宅のオリジナルデザインによって
建築ビジネスに埋没している間に、

外洋の荒波や乱気流でも
破壊されないで快適に浮遊する空間構造は
すでに開発済みだ。

船舶や航空機以外で大気圏内を浮遊し移動する空間構造は
テンセグリティによって
もっとも現実化したのである。

すべての浮遊し移動する構造は、
もっとも安全である。

構造はその定義と共に崩壊した

解体すべきは、十八世紀以来、構造の幾つかの本質の定義に使われてきた
特性、アプリオリな固体的概念、安全性、経済性、耐久性などの総体である。

構造の定義の重要さは、想定した範囲内では崩壊しないと断言してきたことよりは、
むしろ構造の定義は、構造の発見によって
つまり、シナジェティクスによって、たやすく覆されたことである。

構造の定義は、構造の発見の後にやって来たのである。
つまり構造は、シナジェティクスより前には存在していなかったのだ。

徐々にではなく、つねに急激に

宇宙の原理の発見によって
産業の次に経済が、経済後の政治によって、
それまでの人々の生活水準に関する種々の制限を
徐々にではなく、つねに急激に突破してきた科学産業史を
政治は無視していることで政治は成立する。

人権や自由は、
エネルギーや食糧と同様に、工業化の諸段階において
徐々に制限されるべきだなどとは
企業にも政府、そしてメディアにも言えないのだ。

アジア的デザインサイエンス

雨水から、そして生活雑水やトイレの複合タンクから完全に
飲料水を再生し、永遠に循環させるた独自な自律的インフラを設備する
非・資本主義的なモバイル・シェルターは、
西欧文化の圏外にしか生まれないにちがいない。

アジア的デザインサイエンスは
あまりにも資本主義に特有な権力構造によるインフラ課金形態を
越えなければならない。

アジア的デザインサイエンスにクライアントは不要だ。
宇宙の原理群の純粋なユーザとなることによって
最小限の大気圏内モバイル用の宇宙船を建造できる。

アジア的デザインサイエンスは
エネルギー生産だけではなく
稲作を中心とした食糧生産のテクノロジーと
水の完全再生テクノロジーとを統合するであろう。

動くシェルターは、つねに動くバイオスフィアと相互作用する。

クリティカル・パスの形成

デザインサイエンスは
可能な解決を退けるような
専門分化した解決方法や批判を破壊するのではなく
プロトタイプによって
それらを陳腐化する実践行為とそれを支える理論化過程を含む。

その過程で
はじめてモデル言語を理解することができる。
その言語形成の能力が
講義や読書などの学習形態から習得されることはないだろう。

アンチ・リダンダンシー

建築ビジネスに於いて
構造設計家は安全率を高くするために
構造計算の結果よりも
数倍の無駄な補強を構造に与える保守的な態度によって
自らリダンダンシーの奴隷になっているかもしれない。

安全率が大きい場合、予測の不確実性が大きいので
リダンダンシーという概念を用意したとも言える。

より高く長距離で飛行するための
より大きな鳥の翼は
余剰の多さを受容する方法を排除して
歩行にはまったく不向きになっている。

航空機の構造デザインでも
予測の不確実性のために
素材の重量増加に依存する習慣は排除されてきた。

必要最低限のものに加えて余分や重複を許容する態度や
そのような余剰の多さを受容する方法は
有機体生物の場合は確実に絶滅の要素となっている。

その絶滅の要素こそが
リダンダンシーによって利益率を高くする方法であり
ほとんど詐欺師のノウハウである。

<構造>という言葉の背後

この複雑に破壊されていく構造を、単純に分析することは困難であるが
それなしでは人間も権力構造も生きることができない。

<構造>そのものではなく
<構造>という言葉の背後に隠れているものを
一つ残らず解放しなくてはならない。

その場合、政治や経済だけではなく、
構造とパターンに関する科学、すなわち数学が関与するはずである。

岩石のように

自然のエネルギーが、未曾有で未知であり
そして自在である現象に対して
岩石のように、固定的に固体的に
人間の住居を構造をデザインすることは
もはや非科学的である。

すべての岩石は、移動した結果である。

不動と見立てた岩石や大黒柱から
科学的な安全率と安全性は形成できない。

専門分化したエンドユーザ

ほとんどの建築家は
建築コードと構造解析プログラムの
単なるエンドユーザである。

彼らはそれらを変化させることはない範囲の
安全率(safety factor)で建築ビジネスを運用する。

もし、そうでないなかったなら
この現在の仮設住宅に関する前世紀の法律を
前世紀までにすっかり陳腐化できていただろう。

ジャンボジェットの翼は
ナイアガラの滝の上から
機体を自由落下させてもその翼は機体から
もぎ取られないように構造全体が設計されている。

さもなければ、上空一万メートルで発生する
エアータービランス(乱気流)の中を安全に飛行できないのだ。
エアータービランスの衝撃はマグニチュード8をはるかに超える。

安全率を意図的に高くできることは
危険性を予測する不確実性が高い事実を隠蔽できると共に、
自分たちの責任回避の手段に利用することができる。

安全率の高さは必ずしも安全性の高さではないことは
大災害ですでに証明されてきた。

すべての構造に関する専門家は、
法律上の安全率が提供するマージン (margin) に依存した
エンドユーザであってはならない。

エネルギーが通過した断層面

一度断層となった境界面は
強度が低下するため繰り返し地震を引き起こす。

別の地下に存在する震源断層のほとんどは
地表から観察できない。

断層は、明らかに自然のエネルギーが通過した
臨界面的な軌跡である。

しかし、エネルギーが通過した断層面だけが
地震の軌跡ではない。

自然のエネルギーは
バイオスフィア内部の3次元空間を
臨界面的な軌跡を生成する以上に
自在に移動している。

机上の耐震基準では生存できない理由

1.
すべての構造は
最終的にその構造毎に破壊実験をしなければ
耐震基準を満たしているかどうかは不明である。

2.
さらに、耐震基準は
同一の構造でも設計者の方針によって異なる数値となるので
構造解析プログラムを用いてほとんど簡易に算定されている。

3.
基本設計を担う建築家は
この構造解析プログラムにはまったく不慣れである。
彼らは専門性によって構造解析を分業する。

4.
しかし、設計者自らが構造解析プログラムと連動してデザインする自動車や飛行機は
量産される前に破壊実験をしている。
その設計方法の根拠は破壊実験を通してのみ
構造解析プログラムが修正される関係にあるからである。
(量産されるプレハブ構造以外では経済的に破壊実験を実施するのは不可能である。)

5.
耐震基準と実際の構造物は
つねに机上の理論(desk theory)で仮想的に関係してるだけである。

6.
土地資本主義から引き継がれた
グランチの時代遅れの方法論で建築ビジネスが維持される時
建造物の崩壊で死ぬ可能性は机上の耐震基準ではけっして軽減されない。

7.
真の構造は仮想的な関係を
完全に排除する科学から生まれるのではなく
その科学的方法によって発見されるだけである。

以上の理由から
人類は、机上の耐震基準ではバイオスフィア内には生存できない。

デザインサイエンスの目的論

テクノロジーの社会的役割は
記号的現象の上にその現象に抗して
新たな記号を打ち立てると共に
その記号に新たな現象の生成と目的を与えることにあるだろう。

テクノロジーは
個人による自由な発明という形式のもとで
新たな記号と目的論を相互に相殺する機能を持っている。

アインシュタインによる冷蔵庫の初期の発明には
力学的、熱、化学、電気、光などのエネルギーは
それぞれの形態に移り変わるがエネルギーの総和は変化しない
というエネルギー保存の法則による
具体的な操作主義が介在していたように。

そして、第一次世界大戦において
その兵器ではない発明が
外洋上の兵站戦の最重要な軍事的テクノロジーを形成したように。

21世紀のデザインサイエンスによる
テクノロジーと目的論は
モバイルシェルターの発明なくして
ほとんど機能しないだろう。

解読の原理

モデル言語は、それ自身のうちに、
自らの解読の原理を書き込んだ言語となった。

実際、テンセグリティは自らが帰属している構造とパターンで
制御されているにも関わらず
これまでのモデル言語のシンタックスとセマンティックとを
劇的に変えてしまう新たなモデル言語を
前提するようになったのだ。

発見された解読の原理を包含するモデル言語によって
これまで知られていたテンセグリティの構造デザインを
全面的に変更し、もっとも経済的に物質化してしまったのである。

21世紀のモバイルテンセグリティシェルターは
この言語で記述されていくだろう。

短命な大黒柱

それは、より重要な部分に対する科学的言説の破壊、
社会の内部で組織される科学的言説の制度と機能によって
中心化する構造作用に対する反乱、
唯一無二の大黒柱の作用に対する反例である。

テンセグリティにおいて起こっているのは
まさに構造の無化であり
構造の定義の革命なのだ。

テンセグリティ構造が発見されるまで
人類のすべての社会において
真の構造の概念は存在していなかった。

構造を無化するのは、真の構造によってである。

崩れ落ちた大黒柱は復興において
最初に修復されるが
自然の構造によって再び無化されるかぎり
短命で高価すぎる人工物である。

貧乏という概念

貧乏(=持たざる者)は自然には存在しない。
土地資本主義や金融資本主義だけにとは限らない。
貧乏という概念は人間社会の中でしか存在しない。

貧乏はそれを孤立化させていく感受性の諸形態、
または、それを排除し集合させていくシステムに存在する。

知的な弱者も、自然には存在しない。
すべての自然の相互作用は知的である。

反・幾何学的方法

シナジェティクスが現代幾何学上の革命的な思考とビジョンである以上に、
バックミンスター・フラーによって打ち立てられた
シナジェティクスと幾何学との相互関係と断絶を、
その後の研究者が乗り越えることができなかったということだ。

シナジェティクスと相補的なデザインサイエンスは
ともに研究対象ではなく、圧倒的な探査方法だからにちがいない。

事実、フラーは幾何学研究者であったことは一度もない。

探査によって経験された事実から
秩序を発見していく峻烈な操作主義によって
初めてシナジェティクスが形成されていく。

シナジェティクスは幾何学からは始まらなかった。
そして、シナジェティクスはシナジェティクスから始まらない。

分析のみのメカニズム

個人をビッグデータとマイナンバーで統計的に把握するのは
個人の性別や年齢以上に
個人の職業以上に、どんな目的に従事し、
何を消費し、組織に貢献できるかを見極め、
個人を評価するシステムであり、
政治的権力のみではなく
学校、オフィス、工場を巧妙な規律と矯正によって
合目的に適応させていくあらゆるメカニズムである。

それらの認識を可能にさせる
知の形式として科学も同じシステムの中で
異なる機能を果たしているだけである。

自由へのメカニズムは、束縛されたままだ。

自由へのメカニズムを探査する哲学さえ
いまや自由が拘束される必然性の分析のみに陥っている。

民主主義と真理の探究という看板の表裏で
<宇宙の富>はますますグランチに所有されている。

消滅する空間と<動く構造>

活断層の上で振動し続け、その亀裂共に
引き裂かれ倒壊する無数の家屋を
この20年間で少なくとも3度も経験しながら

家屋はもはや圧死の脅威のもとで
生活するより他はない空間なのか。

全人口は、不動産ではなく
生命のための新しい<動く構造>を見出さなければ
消滅するように運命づけられていると
考えるべきである。
———-動くバイオスフィアと共鳴するように。

e・食・住(energy-food-shelter)の
生存するための三大要素は
固体的不動産という
非科学的な概念の妄想に幽閉されたままだ。

形態の無限性

シナジェティクスは、
テンセグリティ構造以上に単純な相補性に基づいた構造は存在しないという
<原型の有限性>の発見によって20世紀の革命的な科学的な概念を得た時、
デザインサイエンスは、
化学元素の組合せの無限性から生まれる素材と生産技術がもたらす
<形態の無限性>にデザイン理論の根拠を置いたわけではない。

モデル(model)と形態(form)という
本質的に異なる知への認識はシナジェティクスに含まれ、
峻烈でエンドレスな探査は
シナジェティクスにも予測的デザインサイエンスにも含まれる。

退屈な知の形式

シナジェティクスの探究には、誰の許可も必要としないイニシアティブが与えられている。
個人だけが思考することができ、自分の経験に現れる<原理>を探し求めることができる。

しかし、シナジェティクスが<主観性>によって自己と保つ関係の構築には、
権力との諸関係から批判すべき退屈な知の形式に変貌させているのではないのか
と自問する必要がある。

例えば、単なるジオデシックドームやテンセグリティに関するプロダクトデザインが
予測的デザインサイエンスで解釈される場合である。

彼らのデザインは、バイオスフィアでもっとも経済的に
そして安全に生存するための
20億機の軽量シェルターの生産技術とは無縁である。

階層化(hierarchization)について

原子核も、そして宇宙も
階層化(hierarchization)された
構造とパターンを形成する。

宇宙に於ける階層化は
非人格的な統合力によって自己組織されるが、
学校に於ける階層化は、個性化という分断によって組織される。

たとえば、成績順による単純な個性化(classification)などによって
成功した集合体(クラスター)では、
危険に対して義務的な同一性を求め、処罰を受ける能力が形成される。

学校における階層化は、個性化を目指す過程で引き起こされる
集団化(collectivization)の回避にあった。

そして集団化の回避によって、対話能力の著しい劣化が始まる。

集団化の回避は、自然災害に対しても
危険地域からの主体的な移動能力までも劣化し
無常観で対応する人々の傾向は
処罰を受ける能力の延長なのである。

自由からの逃亡生活は、
先験的な<生存テクノロジー>の退化を伴う。

3次元幾何学とCADデザイナー

メタフィジックスに対する従属としての自己規律という考え方は
消滅しつつあり、遂に消滅してしまったのかもしれない。
この自己規律の不在に対処し、応えるべき探求とは、
<生存のテクノロジー>の開発と探求である。

〈生存のテクノロジー〉の探求とは
デザインサイエンスであり
メタフィジックスに対する従属としての自己規律という考え方が
シナジェティクスを生んだのである。

<生存のテクノロジー>を拒絶した3次元幾何学と
それに従属するCADデザイナーは
もはや時代遅れである。

点、線、面の各モデルの組合せから
<生存のテクノロジー>の源泉となる
新たなモデル言語は一つとして発見できない。

超越論的シナジェティクス

経験的な主観的事象を
バックミンスター・フラーの発見した
シナジェティクスモデルだけに変換する人々に
主観性はことごとくシナジェティクス原理には再構成されない。

経験的な事象を超越論的シナジェティクスで変換すると同時に
主観性に接近させる場合に
密かに未だ解明されていない
シナジェティクスモデリングを発見するプロセスを経由しない思考方法は
退屈な3次元幾何学の思考パターンに陥っているだけである。

安全率(safety factor)の破綻

建物の破壊の現象に対して
権力の対応が構造計算の中に挿入される場合
その証明は、実物大の構造の破壊実験によって初めて確定される。

しかし、破壊実験は
起こりうる地震の規模と諸条件を想定してなされている。

その起こりうるとは
起こりえないことを除外した条件では
破壊実験はけっして実施されないことを意味する。

過去の大規模地震のほとんどすべては、
起こりえないことを除外したその条件で発生している。

M7が短期間に2度発生するだけでも
権力の計算する安全率(safety factor)はすでに破綻している。

権力の計算する安全率(safety factor)の確立にかかるすべてのコストは
税金によって賄われているが
その安全率を想定するプロセスの民主的な可視化は
その専門性によって完全に非公開にされている。

権力の構造への対応は、科学性を欠いた専門主義によって
むしろ権力を維持するエネルギーに変換されている。

直観と美において

シナジェティクスの諸原理をデザイン理論に組み込んで
外部に対してその実用性を望む場合や、
シナジェティクスにおけるバックミンスター・フラーの言説によって
産業上の進歩を無邪気な実証性において示めそうとするデザイン理論を
教授できると自負する場合は、侮蔑すべき何かが存在する。

そもそもシナジェティクスとデザインサイエンスは
すべての大学の外部で発見され、開発され続けて到達した
シナジーをさらに統合する<宇宙の知の階層構造>なのである。

シナジェティクスとデザインサイエンスが
これからも学会や学派を形成しえないのは
直観と美において圧倒的に
先験的メタフィジックスに関与しているからだ。

牢獄への概念

破壊された構造の復旧は、次の破壊に対する新たな法則には従わない。
制度の破壊によっても、決定的に疑似的構造は生き残る。

<固体>という牢獄への概念が生き残るかぎり
人々は、一時的で疑似的構造に閉じ込められるだろう。

<固体>的構造は、牢獄への概念に置換されている。

アーティスト・サイエンティスト

その構造は、震度7以下の大地の不動性によって支えられた
表層的な知そのものであり
真理を生産するにはほど遠い<標準>であるばかりか
人々は、大地の不動性の回復を待ちながら
その構造に近寄ることさえもはや不可能であり
大地(=脱出可能な駐車場や広場)とともに揺れ動いているのである。

つねに一定の自己利益優先(建築産業のためのegonomy)なしには
成立しない構造は、
構造を<標準>として、構造を通して記号化する<標準>の生産に従事し、
それらの<標準>を生産することでしか
その構造を維持することができない。

その構造とは、19世紀から継続される建築産業を支える土地資本主義であり
ほとんどの建築家は<標準>を再生産し保護する19世紀的専門家である。

真の居住性は、イデオロギーによる人為的な不動性を打ち消し、
波打つ海のような陸に浮かんで動く船に求めるべきである。

自己利益優先から遠ざかる宇宙船の構造を
デザインし生産する方法や道具を発明する科学者は
アーティスト・サイエンティストである。

アーティスト・サイエンティストは
芸術家にも科学者にも、似ていない。
ーーーーーー水が水素と酸素に決して似ていないように。

シナジェティクスとデザインサイエンスの基本的戦略

「原理には重さがない」という科学的概念は
モデル言語形成のためのインターフェイスであり
飛躍的な構造安定性と強度・剛性をもたらす質量のないパターンを
構造デザインの対象とするのは
モバイル・テンセグリティシェルターにおける
デザインの基本的戦略である。

シナジェティクスが境界領域から生まれたわけでもなく
デザインサイエンスが学際的に形成された歴史も存在しない。

宇宙の原理が境界領域から生まれたわけでもなく
物質が学際的に形成されているわけでもないからだ。

シナジェティクスは超越論哲学か

モデル言語は、分析や解釈からは生まれない。
モデル言語はシナジーを奥深いところで性格づけている一つの現れに違いない。

シナジェティクスほどバックミンスター・フラーという創始者の
思想の解釈の過剰性から遠のいた学問はないだろう。

若きバックミンスター・フラーは
先天的認識がどのように可能であるのか
その可能性と根拠についての問う認識において
もっともカントに接近し、
当時の相対性理論の希有な理解者としてアインシュタインと邂逅する。

バックミンスター・フラーを
プラグマティズム(アメリカ合衆国の哲学)に閉じ込めた
ヨーロッパ経由の日本の哲学者たちは
自らの解釈の過剰性で時代遅れなのである。

哲学的認識のシステムとしてのシナジェティクスは
モデル言語の発見に満ちている。

モデル言語は先験的であり、現在も先験的に生成され続けている。
すべてのモデル言語をシナジェティクスモデルとして
視覚化可能にする操作主義において
シナジェティクスは超越論哲学を超えた最初のメタフィジックスである。

シナジェティクスは、重さのない自然の諸原理の発見を誘導するシステムである。

4つの無のテクノロジー

大災害時に破壊された都市のライフラインが修復されるまで
無管(有管から無管に、つまりバイオトイレ・風呂を含む複合発酵による水の完全再生)、
無線(有線から無線に、つまり、太陽光発電や携帯電話など)、
無軌道(軌道輸送から無軌道輸送に)、無柱(体育館などの軽量構造物の避難所)の
<4つの無のテクノロジー>に依存しないかぎり
生命は安全に維持されない。

都市のライフラインは、真の生命維持装置ではないのである。
平時における大企業と国家のための課金装置である。

軍隊の給水車や移動トイレ・風呂、大型テントなどは
まだ戦争機械の一部(=兵站線)でしかない。
公共インフラという社会資本は、
依然、宇宙資本(=宇宙テクノロジー)とは無縁である。

宇宙での移動のためのすべての道具と住居は
無管、無線、無柱、無軌道のテクノロジーを前提にデザインされている。
ライフラインの宇宙工学から
住居を包括的にデザインするのは、デザインサイエンスだけである。

住宅の終焉

住宅の終焉がやって来た。
震度7を複数回受けると
崩壊または、使用できない住宅から構成される都市は
生命の安全と発展を保障しない高価すぎる物質で溢れている。

都市の空間が建築空間によって開かれた場であるとするなら
そして、
構造がもはや望ましいものとして存続できないとしたらなら、
都市は消滅してしまうかもしれない。

自然が望む構造は、角度と振動に満ちている。

都市と農村における
人口のみの分散と集中の政治的経済的手法は
地震によって幾度も陳腐化されているのだ。

移動しながら生存するテクノロジー

移動しながら生存する軍事テクノロジーは
武器製造技術と相補的な兵站学を形成したが
デザインサイエンスでは
生活器製造技術と相補的で自律的な
エネルギーと食料の生産技術に転換される。

大規模災害では
エネルギーと食料の自律的生産技術が
軍隊も含めて完全に枯渇していることが明白になる。

軍隊は外部から常に支援される条件のみで内部を支援する。
移動する自律的内部はけっして形成しない。

地下資源に依存し独占するシステムに
敵対するテクノロジーを形成しやすいからだ。

概念モデル

見るためだけのテンセグリティモデルは
シナジェティクスに対して盲目となる。

テンセグリティは
発見された概念モデルからデザインされる。

純粋な概念モデルは、どんな構造にも似ていない。

放散虫やフラーレンでさえ、自然を模倣したのである。

美しい皺

<構造>という一見単純で身近な言葉の背後に隠れている不完全さを
一つ残らず解放しなくてはならない。
その瞬間的な崩壊によって、人々は圧死してきたのだから。

地震の周波数によって瓦解する脆弱な仕組み以上に
振動を拒む傲慢で虚しい概念によって
維持されたその不完全さは、
構造安定性に対して無数の思考上の断層を形成しているのである。

それに対して、自然の断層は剪断応力が岩盤の強度を上回った場合に
岩盤が割れてエネルギーの分岐点である断層が生じる。

岩盤を割ることによって、地震のエネルギーの一部を解放する断層は
圧縮応力と引張応力のいずれかまたは両方によって形成されるのである。

すべての断層は、バイオスフィアのエネルギー計算によって
動的均衡を形成している。

本来は、バイオスフィアの表皮の美しい皺なのである。

生きて動く老化なき皺なのである。