バイオシェルターによる稲作

他の天体への移住計画や宇宙開発は
つねに圧制や課金の手段、そして隠れた抑圧の道具と化す。

映画「オデッセイ」では
自家栽培したジャガイモで食い繋いでいくシナリオによって
貧弱な農業生産手段でしか
サバイバルできなことを刷り込まれるのだ。

火星で稲作ができなければ
火星での人類のコロニーの発展は期待できない。

水も空気もない火星でこそ
バイオシェルターによる
稲作のシナジー的食料生産性と自律性が証明できるのだ。

排泄物から水を完全に再生する技術は
火星計画を推進するNASAにはまだ期待できないからだ。

プライムデザイナー

シナジェティクス的思考とは、
非デザインサイエンスにできるだけ接近し、
それがモデル言語で結実する磁場に留まることによって、
はじめてデザインサイエンスを作動させる一つの操作主義のことだ。

原理の存在と共に絶えず想起される思考方法なのだ。

この方法を習得したプライムデザイナーは
私の知る限り、3人しかいない。

エフェメラリゼーション(非物質化)

プラトンからバックミンスター・フラーに至る幾何学による
原子論または素粒子論という根源性という方向から
シナジェティクスは生まれた。

しかし、プラトンの多面体から原子核構造に至るまで
経験的な方向での連続的な技術の歴史からは
主体の理論が背後に残されてしまう。

バックミンスター・フラーにおいては
デザインサイエンスで主体の理論化と実践化がなされている。

物質化という行為とプロセスなくして
エフェメラリゼーション(非物質化)という客観性は生まれないのだ。
数学というメタフィジックスも含めて。

デフォルト的破壊者

シナジェティクスの探究とは
自己に対して自己以外のすべてでありつつ
再び自己に戻る
デフォルト的破壊者への道

あるいは
自己の真理を失いながらも自然からの啓示にうたれて
真理を再発見するデフォルト的存在への道

それらは互いに相補的である。
—–同時的に、非同時的に

原理的選択

デザインサイエンスとは何か。
思考の根底にある<原理的選択>の場の発見と
その場の発生条件をデザインする行為。

原理的選択によって
知識や行動様式、感性と鋭敏性などが
選択されるのではなく制限されるのである。

デザインサイエンスは
あまりにも広範囲ゆえに。
専門分化からは理解できない。

とりわけ、美学的な関わりは僅かである。

終末

紙幣の発行毎に
だれかの借金が増える
人間の経済システムには
予測できない不規則な終末(デフォルト)がある。

週末

宇宙に週末はないが、
週末が来るように
周期性をデザインしたのは宇宙である。

この周期性には
だれも課金できないほどの
未だ無限性を感じる。
かつての海水と大気のように。

無意識からの

構造の深層において横断し、固体以前にあって、
圧縮力と張力の相互作用で構造を支えているのが
システムの統合力であるのを明かされたにも関わらず
構造に意味を与え続けている
表層的な作用こそが
無意識を無化させているのである。

テンセグリティよりも前に
構造は存在していなかった。

無意識の構造ではなく、無意識からの構造が。

アモルファスな等方性モデル

シナジェティクスの誕生によって
リアリティが生まれる場所は移動したのだ。
それは書物や教室から
映像や形態の側、まして結晶質に移動したのではない。

言語の内的で交差した
アモルファスな
均質で等方性のシナジェティクスモデルへ
リアリティは誘導され続けている。

シナジェティクスの批評家

シナジェティクスの探究において
評価されないと不満を抱いたり
憤慨するタイプには
科学や数学の知識の欠如ではなく
メタフィジックスの欠如がある。

バックミンスター・フラーの時代に生まれた
シナジェティクスモデルを模倣しただけの
シナジェティクスの批評家たちが
みんな死んでしまった。

メタフィジックスの欠如から
惑星地球での目的意識は理解できなかった。

しかし、それらは、シナジェティクスの理解まで
さらに150年間続く理由ではない。

地球寒冷化の予測

構造がその原理をむき出しにするのは
もはや経済や戦争の危機的情況下にではなく
生命が死と直面する劇的な自然変動の側においてである。

地球寒冷化に耐えられるどんなインフラも
都市には存在しない。
(南極基地では雪を石油エネルギーで溶かして
飲料水にしなければ生存できない)

個人の配置データ

例えば、Facebookで簡単に友達をさがすことができるのは
個人の配置データがあるからである。

20世紀の嘘と秘密を
21世紀でも長期化させるために
CIAが開発したのである。

いまやFacebookに登録していない友達でさえ
より重要な配置データとなっている。

個人の配置

個人を矯正するために訓練するシステムは
個人を管理するための監視するシステムから
逃亡できないように
権力は自らテクノロジーを開発する。

個人がこのシステムの嘘と秘密に関心を抱く前から
個人の配置に関心を抱くシステムは
第2次世界大戦後に始まった。

嘘と秘密の把握からよりも
個人の配置から真実が生まれるから。

不連続性

主観性=自己投影される自己の意識において
個人が自己と他者性とで保つ諸関係は
実は構造ではないのかという問いかけから
テンセグリティを理解しないのだろうか。

自己の動的均衡のために
なぜ圧縮材が不連続であり続けるかを
問いかける必要があっただろうか。

モデル言語は、形態(form)には存在しない。

鋳型

個性観と正義観の同一性は
権力の効果であり
その優れた道具としてデザインされている。
移動可能な工業製品のように。

例えば、空間構造は
精神構造を作り出す鋳型なのある。

見えない鋳型こそ
権力によって制限されていることは気づかれない。

たとえば、廊下と結びついた学校の教室は
小さな個室に繋がる病院の廊下のデザインと同一ではないか。
病院の待合室が学校では教員室に変わる程度のデザインで
われわれの個性観が形成されているにすぎない。

窓と自由に開閉できるドアがなければ
どれも獄舎建築である。

直観と美

21世紀のデザインサイエンスが
自由の実践から自由を反省的に自己のテクノロジーへと結びつけないで
プロダクトデザインとして他者に提案し
実践していくことだとしたら
直観と美は、シナジェティクスから離れていくだろう。

実用性を排除したオブジェの純粋さという
幻想と絶縁したままで

差異

今日のアイデアは、昨日のアイデアに対して、
いかなる差異を導入できるのか。

現在を理解しようとはしない
現在を破壊する一つの差異を求める行為に
発見はやって来る。

そして、現在までの概念を形作っている
言語が剥がれ落ちていくまで
発見はやって来ない。

差異は
外部からの情報の交換ではなく
内部の破壊から生まれて来る。

哲学行為

〈生存のテノロジー〉と〈自己のテクノロジー〉は
その重要性と自立性ゆえに
デザインサイエンスのクリティカルパス方法に組み込まれたまま
その重要性と自立性に関して
建築や教育、そして数学や医療からも
一定な距離を置いて絶縁している。

こうした道徳的な絶縁は
道徳的主体としての自己組織化のための
自己のテクノロジーを要請する。

重要性と自立性を維持しながら
テクノロジーを発見し、物質に変換するデザイン行為以上の
重要な哲学行為はあるのだろうか。

自律的構造

最古の屋根構造は、船底を逆さにして利用しながら
海岸から川を遡上して内陸へと移動したのである。
波に砕けない船体強度の設計方法は
内陸での風雪に耐える建築空間を拡張できたのである。

こうした自律的な独立した構造としての建築が消滅したのは
自動車や飛行機が登場してからだ。

シナジェティクスが、出現した理由でもある。

太陽系での自律的構造は
生成と分解を繰り返しても消耗しない
水素原子のようなモジュールの概念から
デザインされるが
地球建築はいまも建築コードで書き換えられる範囲の空間構造である。

太陽系の他の惑星では使用できないほど
それは人為的である。

コスモグラフィー的情報

シナジェティクスは
自らの構造原理の解析と統合の方法を書き込んだ
コスモグラフィー的情報から
突如構築される。

自然のシステムを再現する
シナジェティクスのモデル言語は
自らのモデルが帰属している言語の価値と意味作用とを
劇的に変えてしまうほどのシンタックスを前提するようになるのだ。

構造とパターンの生成には
このシンタックスとセマンティックスの相互作用が関与する。

この相互作用の発見には、
テンセグリティシェルターの内部空間こそ
その触媒作用をもっとも加速する場所である。

テンセグリティシェルターは
生活器であると同時に
コスモグラフィー的情報を受け取るための
優れた受容器である。

思考の触媒作用

自己の生命に関する〈知〉は、生物学や医学の範疇にはない。
自己の身体の統制に関する技術は、武術の範疇にはない。

生命との身体との統合こそが
操作主義的な自己のテクノロジーを構成する。

たとえば、微生物と生物触媒との体内における意識的な相互作用は
自己のテクノロジーを短時間に効果的に変容させる。

シナジェティクスが
思考の触媒作用を加速させるように。

素粒子的段階

フライズ・アイのプロトタイプを完成させた
1982年当時のバックミンスター・フラーは
最後の学生の私にジオデシック構造やテンセグリティ構造を
もっと発展させるべきだと一度も言わなかった。

シナジェティクス・モジュールを
シナジェティクスト・ポロジー(私の初期論)と共に探究すべきだと助言しただけだ。

すべての構造を支える
<素粒子的段階>が発見されていたからだが
それを理解したのは、彼が1983年そのフロンティアから去った後だった。

その33年後も素粒子的段階は漸進的変化を遂げている。
しかし、この素粒子的段階には無限性は存在しないだろう。

シナジェティクス・モジュール理論

最晩年のバックミンスター・フラーの
シナジェティクスにおいて変化したのは
形態よりもその体系的モジュールの方だ。
モジュール間の関係がこれまでの<構造>を変えたことにある。

この構造的変化のため、今まで到達不可能であった<構造>が発見され
素粒子物理学のように言葉とモジュール(量子や素粒子)という領域の間に
新しい結びつきが生じた。

(バックミンスター・フラーのシナジェティクス理論から生まれる
モジュール理論に関する独創的な研究を示さない開発者の場合は
この半世紀間、ジオデシックスやテンセグリティの形態的模倣で終わっている。)

シンタックスとセマンティックな相互作用から
生まれる種々の相互変換のプロセスの記述は
神聖幾何学が<神の予言(divine)>へと閉じ込めてきた世界だ。

それは、〈地下の水脈・鉱脈を〉発見する行為のように
依然、想像力によるDNA的秘法であるに違いないが
宗教的な方法には関与していない
未知をシナジーに内包させたまま
真実に接近する技法なのである。

純粋なレイマン(complete layman)

あらゆる視点から
実現可能な方法を
時間とエネルギーと素材コストから
包括的に思考し、最良の形態とシステムを判断できる人は
専門家ではない。
レイマンしか可能ではないのだ。

つまり、プライムデザイナーは
もっとも純粋なレイマン(complete layman)である。
レイマンとは素人のことである。

21世紀の自動車も飛行機も
シェルターも
この希有なレイマンしかデザインできないのである。

プライムデザイナー

労働力が最も不足している場所は
食料(遺伝仕組換えを除く)と
エネルギー(原子力から生産される電気エネルギーを除く)を
生産する産業だけではなく
全人類を養うための
食料とエネルギーとシェルターの生産方法と手段を
同時にデザインする産業である。

食料とエネルギーを相互に関連させて
生産するシステムをデザインする場所へ
才能ある人間を配分するシステムができていないのである。

つまり、包括的なプライムデザイナーの教育とその方法は
もっとも不足している。

それらを、それらに無関心な政治家たちに委任したから。

生まれる場所

リアリティはもはや表現技術から生まれない。

それは世界との対話の側にあるのではなく
まして形態やビジュアルからではなく、

シナジェティクスモデルが
モデル言語の内的で交差したモデリングの過程から
生まれるように
真実や美が生まれる場所が
デスクトップから移動したのだ。

時間を内包しない幾何学

デザインサイエンスの社会的経済的な場における想像力の貧困と実践力の停滞が、
一体どこから来るのかとその理由を探ると
バックミンスター・フラーのシナジェティクスの理解のためのモデリングの不足が
それらの情況を引き起こしているように思われる。
———私が20代に『シナジェティクス』に言及される
すべてのモデルを繰り返し作成した経験からも。

未だに全天候性のジオデシック構造でさえ
個人が経済的に入手することができていないのは
建築や建築コードの課題ではないのだ。
フレーム構造だけのあるいは、面材だけのジオデシックの実験は
ほぼ半世紀前に終わっている。

私にとって
いかにして時間を内包しない幾何学(とりわけ神聖幾何学)主義者および
建築的あデザインと縁を切るかという課題が
シナジェティクスのための開発思考力と
そのモデル言語の形成にとっても根本的なものであった。

個人のための住居機械をデザインし生産する上で
宇宙と自己との関係から
新たな構造とパターンを探査する行為なくして
頭脳的な人工的デザインの優位性に置き換えるほど
デザインサイエンスの想像力と実践力の停滞を招く行為は存在しない。

バックミンスター・フラーレンの諸機能は、隕石の中ではありふれている。
つまり、バックミンスター・フラーレンは神聖幾何学から生まれていない。
人間がこれまでの時間を排除した幾何学的情報から
その構造を解釈できるだけである。

宇宙に存在し、人類に有用な構造とパターンはつねに発見されてきた。

シナジェティクスの理解のためのモデリングの不足は
こうした宇宙のデザインの発見によって
すべて補われてきた現実の認識から
シナジェティクスは始まる。

転移する方法

あるアイデア領域から別のアイデア領域に移るとは
アイデアを変更することではなく
観察者の場を転移することである。

かつての場を通過する時
その場から得た思考方法を否定し除外し破棄するだけではない。

まったく別の原理から成り立つ視点を発見する行為を伴う。

ドローイングの対象が
そしてモデリングの構造とパターンが
まったく別の視点から描かれるだけかもしれない。

表現される度に確定された構造と意味が
重々しい無関心に感じる時が
転移する時である。

転移する方法さえも陳腐化する時である。

繰り返される夕暮

<構造とパターン>における<知>は
建築の構造物に変換過程で
固体的疑似システム・記号のテクノロジー・心理学といった異なる局面で
成立させられた結果
繰り返される退屈な夕暮が訪れる。

緩慢な侵蝕作用によるこうした暴力と死は
その岩のような不動性に見せかけた平面的な壁面に
昼となく夜となく
人間的な真実を投影する。

シナジェティクスは
その人間的な真実から<構造とパターン>が
如何に絶縁できるかというテクノロジーでもある。

真の<構造とパターン>は
すべての夕暮を夜空の回転する星々に変換する
ジオスコープなのである。

自己のテクノロジー

カネ、モノ、ヒトとの相互関係からは
創造性、独自性、生産性との統合力を生まなかった。

それらの統合力を実現する方法に
量産性を前提にする時代は終わった。

量産性は
大量の貧困と難民、そして
無限の贈与を生む手段に利用されてきた。

自己のテクノロジーは
同じ金型から量産できない。

シナジーに関する誤謬

シナジーは、これまで相乗効果(synergy)と翻訳され、
ある要素が他の要素と合わさる事によって
単体で得られる以上の結果を上げる時に
使用されてきた。
しかし、相乗効果を期待して、全体の最適化、効率化を
発揮させるような計画を作ること自体が
すでに間違っている。

なぜなら、単体で得られる以上の結果を考えること自体が
予測不可能である科学的事態をまったく除外しているからだ。
計画的に予測的に合成された合金など科学史には存在しない。

シナジーに関する社会的経済的な無知は
前世紀と変わらない。

シナジーに関するこの誤謬は
シナジェティクスにまで及んでいるが
シナジーは、自然と未知(unknown)をも支配する現実を
その探求者が知る時はやがて訪れる。

シナジーは実在の過程に潜むからだ。

何かを人間のために作る前に
知るべき段階としてそれはデザインされている。

利益から、あるいは競争から、
善意から、そして支配や破壊から
何かを作る人々から遠ざかるために。

反建築的思考

現在の人間の生命を保護する建築の構造とパターンは
基本的にはキュービックであり
人間主体の伝統的な行動様式で生きている
そして場合に応じて、このキュービックな構造とパターンは
根本的に地震に対して安全だと言う工学的な側についたり
構造の安全率は建築コードによって決定されている
と言う権力的な側についたりした結果生まれるようなプロセスでは
不十分だということを
私はバックミンスター・フラーから学んだ。

なぜなら、自然の構造とパターンは
未知のシナジーによって支えられていて
しかも、それらを統合している存在が
それらの構造とパターンを作り出しているからである。

自然はその構造とパターンを無償で生成する方法において
だれの許可も得ない。

つまり、バックミンスター・フラーは
構造の破壊と革命において
<建築家>であったことは一度もなかったのである。
実際、かれは建築家のライセンスを一生持たなかった。

ライト兄弟は、人類初の飛行実験において
誰の許可も得なかったゆえに、揚力の存在を証明できたのである。

航空力学は、彼らの実験には有用ではなかったと同時に
航空力学がその実験の後に形成された事実を
現在の教育プログラムから除外してきた理由は
ジオデシック構造の構造解析方法も
複数のジオデシックドームの建造の後の
破棄実験から形成されている事実を説明するだろう。

人々は無数の許可の元で、種々の自由や構造さえも定義している。

乱流境界層

風が吹くと
テンセグリティは共鳴する。
いくつかの共鳴音から風の速度が推定できる。

これまでその音楽に耳を傾けなかったのは
動的均衡を音に変換できるとは
考えていないかったからである。

パイプの片側表面が常時乱流境界層に保たれるためには
パイプの振動による乱流境界層が必要なのである。

パイプという圧縮材の共鳴には、
テンション材の振動数を調整するための
高度の調律の技法が必要であるが
テンセグリティを通過した風は
鏡面音と共に整流されている可能性がある。

もしテンセグリティの張力材の調整にターンバックルを使用すると
この音楽は、すっかり後退する。

2つの世界時計

太陽系がもし
惑星地球の楕円軌道の中心に2つ存在していたら
日没が2回あるのではなく
年中白夜になっただろう。

そして、世界時計が2つ共存するだろう。
その結果、相対性理論はもっと早く発見されていただろうに。
時計の針も楕円軌道を描くだろう。

現在の1つの世界時計はグランチが支配しているので
退屈な円運動をしているのである。

あまねく宇宙に
1つの中心は存在しない。

 

 

外部から観る

自然が
どのようにシェルターに働きかけるかを知るには
自分自身と共に生き
自分に相応しい思考にふけり
自己規律に従った行為によって
自分を外部から観ることからはじまるだろう。

人間だけが
自然と共に生きるには
もったいないからではなく
自然を癒す人間はいないから。

テンセグリティ構造の破壊とその方法

建築とはいくつもの手続きからなる総体である。

この認識から、テンセグリティ構造のメカニズムの分析が
テンセグリティに関する原理の理解の始まりになることは
ほぼ不可能である。

分析から真の構造は学べない。
むしろ、その分析方法を破壊するべきである。

つまり、テンセグリティ構造の本質的な破壊とその方法とは何か。

スネルソンがもっとも知られたくない方法でもある。

共鳴テンセグリティ(Rezonated Tensegtiry)

自分自身の存在以外の何ものをも受容しない固体的構造が
振動を拒む状態が続く限り
ある振動数によってその構造は最終的に破壊される。

自己充足する構造は宇宙では存続できない。

テンセグリティ構造は
システムを通過したエネルギーを
そのシステムをより強化するようなシナジー作用を形成する。
つまり、外部エネルギーを受容し分散しないないテンセグリティ構造は
テンセグリティではないのだ。

この動的な共鳴現象には
時として、美しい共鳴音を伴う場合がある。
微風に吹かれるだけで球状テンセグリティは
風のエネルギーを音に変換することができる。

共鳴音を形成しないテンセグリティモデルは
まだ調律されていない楽器であり
フラーレンは、自然が調律した最小限の楽器である。

しかし、アーティファクトの共鳴テンセグリティを作成できる
シナジェティクスの探求者は
世界でまだ3人しかいない。

驚くべき非共鳴型学習方法がまだ支配している。

デザインサイエンス

労働力が最も不足している点在し集中する都市に
難民と潜在的難民を分配することは
権力テクノロジーの役割である。

つねに工業と農業に新しい技術発明と発見をもたらし
生産物の不足(または過剰)と品質を改善するための
生産性のテクノロジーこそが
難民の安価な労働力に依存しない科学的な方法である。

難民を人為的に作り出すコングロマリットから
全人口を生産の循環の中に位置づける方法を予測的に計画したのは
バックミンスター・フラーの1970年から開始された
デザインサイエンスだけである。

いまも信頼できるその戦略構想と実践方法は
『クリティカル・パス 宇宙船地球号のデザインサイエンス革命』
バックミンスター・フラー著 梶川泰司 訳 白揚社 2007
に要約されている。

最小限の装置=trimtab

人間の生存をかけた闘い理由にしてなされる
最大の正義(Justice)は、戦争である。
生き残る必要性を公平な名目として
殺し合うようにわれわれは訓練されている。

デザインサイエンス革命は、
人類の生存のために
わずかな力で巨大な全体を動かす最小限の<装置=trimtab>のデザインと制作
から生まれる。

デザインナーたちは、
最小限の装置=trimtabとは何かを考える仕事を
自分たちの仕事から最初に除外してしまった。
裕福な人や企業が生き残るために。

テンセグリティは誰が発見したかーー芸術家の自惚

テンセグリティは誰が発見したか

バックミンスター・フラーはテンセグリティをいつどこで発見したのだろうか。
これまでこの疑問に答える明確な書物はなかった。
みんな情報の受け売りだった。
それゆえに、人々は現在も活動しているケネス・スネルソンの発言を重んじてきた。

構造の歴史において、
もっとも重要で単純なこの事実を
当時ロサンゼルスからサンタバーバラに移転した直後の
バックミンスター・フラー研究所のアーカイブの膨大なクロノファイルに分け入ることで
ついに閲覧し、確認する機会がやってきた。

1986年、バックミンスター・フラー研究所主催の最初のシナジェティクス講義と
ワークショップの講師として滞在していたときのことだ。

スネルソンとの往復書簡にその詳細な記録が記されていた。
1949年、バックミンスター・フラーはブラックマウンテン大学で、
最初の球状テンセグリティモデル(6 struts tensegrity)を制作している。
驚くことにスネルソンの目の前で、
圧縮材が互いに非接触で、不連続なテンセグリティは
地球上で最初の共鳴構造を顕わにした。
しかし、それは若者に純粋な原理に遭遇する苦しみが始まった瞬間だった。

I wish you hadn’t discoverd that.
If you had produced it, I would have acclaimed you ever more.

これはフラーの最初のテンセグリティのモデリングが完成した瞬間に
スネルソンがフラーに投げつけた言葉だ。

彼は歴史的発見を受け入れられなかったほど混乱している。

テンセグリティを作品化しする才能が
テンセグリティを産業化する才能と重なる必要はないが、
原理の単純さのまえにして、晒される芸術家の自惚は度し難い。

他者によるテンセグリティ原理の発見の瞬間に共鳴できなかったスネルソンは
この手紙の公開をもっとも怖れているに違いない。

しかし、スネルソンの言説が
テンセグリティの構造としての有用性を信じていない
超専門分化の代弁者に仕立てられていることの方が深刻だ。

(全文引用)
2010-01-28 (木)シナジェティクス講座 | テンセグリティ理論から

宇宙線(cosimic ray)とコスモグラフィー

新しい資源を見出さなければ、消滅するように人間は
運命づけられているが故に
エネルギーと食料生産に駆り立てられている。

この現実を疑う科学も消滅しかけているように見える中でさえ
高エネルギーの放射線は1世紀前に発見された後に
新粒子は素粒子実験より先に宇宙線中から見つかった事実と共に
宇宙線(cosimic ray)と微生物の相互作用なくして
モバイルシェルターの内部宇宙は
自律できないことが証明されるだろう。

これは火星計画以上に重要な仕事だ。
モバイルシェルターは、コスモグラフィー(宇宙形態論)と共に存続する。

動くシェルター

気取ったデザインや
表面的デザイン、あるいは
懲りすぎたデザインが
どれもシェルターには適さないのは
死を想定したサバイバルの手段だからだ。

水と食料とエネルギー、
そしてシェルターから人類の移動による人口増加が始まった。

死を予測的に遠ざけるデザインは
だれでも瞬時に見分けることができる。

船、自動車、飛行機、
そして動くシェルターのデザイナーは
つねに建築家ではない。

10歳までに

生存のためのテクノロジーという自己のテクノロジーを
道徳に組み込み、さらに教育や医療、心理学などにおける
観察者の主体性に統合していく権力テクノロジーによって
自己と宇宙との相互関係の重要性(メタフィジックス)と自立性に関して
その階層構造を失ってしまったゆえに
シナジェティクスは、つねに自己のテクノロジーと共にでしか存続できない。

対象に何も働きかけない人々のための
人為的な<観察者の主体性>に、自然は何も働きかけない、
という事実を最初に観察しなければならない。
たとえば、10歳までに学校の外で。

反建築コード

建築コードとしての構造理論は、
法的な主体による法律上の概念に基づいているが
自然における構造の統合性の分析は
自己の自己へのテクノロジーによって形成された
主体の倫理に基づかなければならない。

テンセグリティがまだ建築コード化されていないのは
バックミンスター・フラーの
自己テクノロジーから生まれただけではなく
テンセグリティ以上に自然に属している純粋な構造は
発見されなかったからである。

シナジーは、
人間にとってつねに未知(unknownw)を含んだ構造を形成しているかぎり
人為的な記号テクノロジーは時代遅れである。

シンタックスなき意味作用

構造とパターンに関する思考において重要なのは
人間が思考から得た構造とパターンよりも
発見された構造とパターンの方が
圧倒的に産業に影響を与えている事実にある。

宇宙の先験的な構造とパターンが
人間の諸々の科学的思考を体系化した場合に限って
際限もなくしばらくは新たな意味作用だけで再び思考することになる。

例えば、バックミンスター・フラーレンが内部に取り込んだ
種々の元素の新たなシナジー的機能で言えば
まだ重要なモデル言語が獲得されないまま
産業はそれらの機能に付加価値を査定してきたのである。

シンタックスなき意味作用は超専門分化の特徴である。

動力学的なシナジェティクス

1976年代以前の静的な幾何学と現在の動力学的なシナジェティクスとの間には
すなわち、バックミンスター・フラーによる「SYNERGETICS」の出版以後、
記述と知覚の方法において、全面的な相違を認めざるを得ない。

この変化は、幾何学とその対象との関係が全く変わったために生じた。
モデル言語の形成には、
この関係が内包され観察者の眼差し以上に
観察行為を逸脱する客観的企てが投影するものである。