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少子化、過疎化2

少子化、過疎化という現象面だけが貧弱に議論される過程に、分散型統合社会=グローバリゼーションは確実に浸透している。世界に分散したコングロマリットが支配するネットワークを見れば明らかである。
耕作地を放棄する農民が増加する一方で、多国籍企業による少子化、過疎化対策は農地の買収である。
富の蓄積形態は、富の搾取形態を見えなくさせている。  Y.K

少子化、過疎化1

少子化、過疎化といわれる町や村では全戸に配備された町営の防災無線放送で、早朝からお葬式や告別式のアナウンスが頻繁に聞かれる。ところが、どこかに赤ん坊が生まれても、放送はされない(人口2000程度の町で、誰かの誕生日のお知らせをしたとしても日々6人平均である)。
インターネットのない時代のハイテク装置には、ネガティブで非対称的な無意識的社会の一面だけが生き残っている。

産業社会では、省力化と省エネ社会を構築した結果、工場労働者は減少し同時に若年化している。その結果、農村は稲作を放棄してまで労働者の供給場所ではなくなったのである。より効果的なテクノロジーによって、農村も工場も過疎化する傾向にある。

少子化、過疎化は工業化社会の富の蓄積の結果であるということが理解されていない。  Y.K

出生率 VS利子率

 
100円を年率1.1%の複利で貯金した場合1000万円になるまで千年はかからないという理由で、100人の村の人口は、複利的な出生率1.1%(100人全員で必ず毎年1.1人生み続けた場合)でも千年以内で1000万人に増加する。日本の合計特殊出生率が最も高かった1971年の2.16から、2003年には先進諸国でもっとも低い4割減の1.29になったが、千年間で見れば別に人口は減少しないことになる。 
この違いの原因はどこにあるのか。 
 
短期的に人口が減少しているのは、医療サービスの向上から乳児死亡率が先進諸国でもっとも低いにもかかわらず、企業の人員整理よる合理化で自殺者総数が増加し、医療サービスの向上から超高齢化社会になった結果として老人死亡率が高くなってきただけである。 
生まれた子供が、また子供を産むという概念が合計特殊出生率には除外されている。 
複利のように出生率を定義し直すべきである。  
 
しかし、人口64億の人類の人口動態統には古典的なネズミ算的複利計算でよいわけではない。 
元金やネズミ算には死亡率、すなわち消失し変動する概念が最初からない。  Y.K 
 

自然農4

不耕起という経済性が収穫率に矛盾しない栽培農の革命は、農業の専従者ほど認識しにくい。この矛盾の説明は、燃料電池の技術は、内燃機関の技術とは全く異なっているという比喩で十分である。
燃料電池の開発は単に電気製品やパソコンに近いばかりではなく、宇宙にもっとも豊富に存在する水素によるシナジー的発電装置によって、石油資本と対立し最終的に脱石油資本化しなければその実用化は決定的に阻まれている。
農業収入だけに関心を持つ専門家に包括的な栽培農のシナジー概念の理解は期待できないだろう。。  Y.K