月別アーカイブ: 2008年1月

静止宇宙観

宇宙の標準速度は、
シャトルでの宇宙旅行の速度より約5万倍も早い。
相対的に言えば、人類はほとんど静止した宇宙観しか持っていない。

地球温暖化のシナリオは、
高齢化した静止宇宙観の終焉としては
かなり動的であるが、
ガソリンも水も高価すぎるから、
エコロジーを口実に人類は初めて移動を控えている。 Y.K

クロノファイル

読書体験は経験の一部にちがいない。
しかし、この経験から生まれる知識に期待するよりも、
思考することを選ばないことが、
読書の習慣を生んでいる。

自らの思考の履歴を読むことは
読書に優る試行錯誤だ。
それはクロノファイルと呼ばれている情報整理学だ。

クロノファイル型の思考錯誤は、
もっとも効果的な試行錯誤を生む。   Y.K

独創性と自然

「他との完璧なコミュニケーションは、
遅かれ早かれ、他者の、そして自分の創造の独創性を殺す」と
レヴィ=ストロースは言う。

これを他の事象で演繹することに無関心ではいられないだろう。

つまり、テンセグリティのプリセッショナルな外力分散が
構成要素間の完璧な相互作用(=ミュニケーション)から生じている以上、
遅かれ早かれテンセグリティの閉じたネットワークが
自らの構造の自律的な独創性を殺すことになる。
という奇妙な結論に達するだろう。

人間に創造の独創性があるとする世界観、
または人間性自体の観察から自然を(つまりシナジーを)、
学ぶことはできない。    Y.K

経験

経験は誰にも貸せないまま、
ぞんざいな扱いを受ける非物質だ。

経験は科学にとっても特殊な未処理の素材である。
しかし、この素材なくして原理の一般化は生まれない。 Y.K

コミュニケーション

基本的コミュニケーションは、
思考すること自体で形成されているにちがいない。
音声や言語よりも迅速にかつ現実的に。

同様にシナジェティクスのモデル言語はより思考に接近できる。
つまり基本的なコミュニケーションが効果的に形成されている。

しかし、社会集団によって形成される
文化なしでコミュニケーションできないし、
その文化の恩恵を得ないで言語は形成できないという前提で
子どもたちはなかば強制的に学校へ行かされている。    Y.K

創造性

こどもの創造力をのばす教育がますます重視されている。

しかし、人間が創造性について言及できるのは、
原理の利用において
予測できない独自な方法を発見した場合に限られる。
そしてその原理とは先験的宇宙に属する。
創造性は宇宙の統合性に対して先験的である。

こどもの「創造性を開発」する人々は、
先験的存在を無視しただだの詐欺師である。  Y.K

環境主義者

人間はつねに環境の中心にいると思い込んでいる。
まるで電子で囲まれた原子核のように。

自分を取り巻く情況が環境と定義されているに過ぎない。
囲い込まれていることが観察できないにも関わらず。

環境だけから、本質的な全体条件を扱うことはできない。 Y.K

脳は睡眠中に異なった情報を休みなく整理しているように、
PCもスリープしながら黙々と
ハードディスクから項目を無差別にリストアップしている。

使われない関係性は増大するばかりだ。
ユーザは夢を語らなくなったばかりか、幻想さえも不要になった。

意識と無意識の間を外部に依存してはいけない。
外部をつくり出すまえに、星になってしまう。  Y.K

冗長度の経済

構造工学では、ある構造物の支点にどれくらいの余裕があるかを判断するための
冗長性(redundant)を求めてきた。

その結果、冗長性(redundant)は余剰的な豊かさと誤解されている。
つまり、これまで冗長性の獲得は歴史的に
重量の増加なしでは達成できていない。

テンセグリティ構造はこうした概念に対立する。
重量を劇的に軽減しながら、機能の劣化がないばかりか
機能と安全性がむしろ増加する原理を示しているからだ。

1960年代の宇宙工学が最初にテンセグリティ理論の導入に関わったのは、
大気圏外まで必要な効果的な機能だけを
安全にかつ経済的に移動させるためである。

大型ジェット機の全重量を収容乗客数で割ると、
最新の機体ほど劇的な重量の軽減に成功していることが分かるだろう。
燃費が大幅に改善された最新の自動車は、
もはや限界に達したエンジンの燃焼効率の改善ではなく、
車体の剛性を向上させながらも、安全性を劣化することなく
車重を劇的に軽減する方法で燃費が改善されている。

一方、最新の耐震設計に合格した構造物は、例外なくその自重は増加している。
大気圏内の住居テクノロジーが
こうした冗長性(redundant)で利益を確保する時代遅れのテクノロジーである限り、
冗長性を排除するには不向きである。

人々が成功の象徴として重厚な家を指向しているかぎり、
大気圏内の住居テクノロジーに関わるすべての専門家たちは
もっともらしい冗長性(redundant)がもたらす安全性と経済性において
つねに消費者を欺くことができる。

テンセグリティ原理が形成されて半世紀が経過している。
これは20世紀に発見された科学原理の応用段階に到達するには例外的な懐胎期間である。

懐胎期間の意図的な引き延ばしが容易なのは、
専門分化されたテクノロジーの冗長性への見えない依存度のためであるが、
過剰な重量増加は、つねに二酸化炭素の増加問題である。 Y.K

短縮形

ES細胞は胚性幹細胞(Embryonic Stem cell)のことである。
われわれの言語は<短縮形>を好む。

ES細胞の発見は、
部分がすでに宇宙それ自体を<短縮した存在様式>を意味している。
人間は宇宙でもっとも複合的な存在様式かもしれない。
ES細胞の実証された機能から万能細胞とも呼ばれている。

人間は、
宇宙で最高度に短縮された
あるいは圧縮された万能有機体である。

しかし、解凍の仕方に問題があるので
宇宙での適正を図る最終審査が始まっている。  Y.K

複合系

経験はけっして基本的ではない。
経験はつねに複合化された関係(complex)を形成している。

原理の発見がかならずしも
実験数値から一般化されていないのは、
概念的な一般化は本質的にこうした経験に基づいているが
実験数値からのみ導かれる
限定的な経験主義ではないからだろう。

「全体とは、部分の総和以上のなにかである」という
概念は20世紀の複雑系(complex system)の科学哲学を生んだが、
この複雑系は複合系と訳すべきである。

バックミンスター・フラーのシナジェティクスは、
「複雑な現象を複雑なまま理解しようとする方法」ではなく
複合的な現象を複合的な経験から包括的に理解しようとする
操作主義的な方法である。

シナジェティクスは最初の複合系の科学哲学である。Y.K

複雑系

複雑にできている物事を
決して単純化してはならないと考えている人は
シナジェティクスのことを「複雑系」と分類している。

自己組織化の一般化を自負する「複雑系の法則」が
もっとも単純なテンセグリティ構造の
リダンダンシーの自発的排除を
分析できているわけではない。

シナジーという単純な言葉で説明してばかりいると
自然に適応できないと感じる恐れは
世界権力構造という最大規模のリダンダンシー
の自己組織化を意図的に解読しないだろう。

つまり、バックミンスター・フラーの
『クリティカル・パス』は複雑系の対極にある。  Y.K

宇宙寒冷化

地球温暖化で大気圏外に
放熱されなくなったエネルギーのことはだれも言わないが、
宇宙のどこかが冷やされている。

局所的宇宙の温暖化は、
局所的宇宙の寒冷化を引き起こしている。

地球エコロジーの危機は、
宇宙エコロジーを除外していることで加速する。 Y.K

思考の請負

アメリカ先住民の〈神〉(Great Spirit)は、
擬人化した神ではない。
狩猟と耕作の権利は与えても土地の所有権は
決して与えないということは自明であった。
この先住民はかつての海の民だった。

常に変化する大洋において、
特定の海域を〈所有〉することが
現実的だと考える船乗りはいない。
先住民にとっては土地を所有できるのは
グレートスピリットだけだった。

アメリカ先住民は、自分たちがヨーロッパ人に
売ろうとしているのは釣りと狩りの許可証だけであり、
土地の所有権ではないと考えていた。
「船は海域とともに販売できない」事実を知りながら、
「家は土地とともに販売される」理解できない法律に適応するために、
しぶしぶその所有を試みたが、
多くの海賊の末裔たちは全盛時代の自惚れによって
すでに手遅れだった。

この海と陸の対立の基準は
今では「捏造された妄想」に変容したが、
法律に適応した人間から、
グレートスピリットは完全に消えてしまった。

他者の思考を請け負って意見を異にする人間を一掃する
モラル・マジョリティーは
環境の悪化とともに増加している。 Y.K

半球テンセグリティ構造

全球のテンセグリティがオブジェとして美しいのは自慢にはならない。

テンセグリティ構造を正しく設計すると、
半分切除した半球状のテンセグリティモデルでも、
床に落下させるとボールのように
バンドすることが確認できる。
(構造を扱うと自負する専門家にとっては、
テンセグリティ構造から数本のテンション材が切れた状態以上の
破壊を意味しているので、この実験は彼らの常識の破壊実験に変貌する。)

経済的に自立する半球のテンセグリティ・ジオデシック構造が美しければ、
それは原理の統合性の美しさだ。

ただし、人間がつくり出すどんなデザインも到達できなかった美だ。 Y.K

ケチなエコロジー

ケチな行為をエコロジーで偽装する
もっともケチな企業と人間が増えている。

自然がもし
人間のようにケチなら
人類に石油資源の採掘権を無償で譲渡しなかったとは
思わないのかい?

自然がもし
人間が発見したエコロジー概念にそってふるまうなら、
現在の人類はとても存続できない。

などど自省して
今度はバイオからアルコールを搾取するのもいいけれど、
自然に優しくしながら奪ってばかりいると
「ただより怖いコトはない」のだ。

法律家資本主義に贈与はあっても、
恵みという概念が排除された時から。 Y.K

思考を声に出す(thinking out loud)

「思考したことを声に出す」ために
原稿を用意する社会的習慣がある。

しかし、「思考したことを声に出す」ことと、
「思考を声に出す(thinking out loud) RBF」ことは異なっている。
思考と声はほぼ同時的にリンクできる。

この能力を最初に隠蔽しているのは
教師たちである。
両親が教師に替わる場合も珍しくない。
彼らにとって学習とは他人の思考したことである。

そして、ワープロの音声入力を怖れている学生は実に多い。
専門分化はすでに思考と声から始まっている。    Y.K

宇宙計画

21世紀の工業先進国は
ひたすら宇宙計画(=space program)の過程にいる。

彼らの物理的宇宙(space)が、
もう一つの宇宙(Universe)と分離されているかぎり、
宇宙それ自体に近づこうとして
取るに足らない資源争奪戦をしているだけかもしれない。  Y.K

第4次世界大戦

ライト兄弟による最初の飛行実験には、
航空機の国家免許は不要だった。
同じ理由で科学的発見に国家のライセンスは不要だ。

第一次世界大戦までは、
科学的発見を制御できるメタフィジクスの独占は
もっとも困難な領域であった。

冷戦構造が第3次世界大戦だとすれば、
自発性を除去できる教育ノウハウまでが
すでに独占されている現在は、
教養はあるが知性の欠如した人類が急増する傾向にある。
つまり、
戦場から死体が減少する第4次世界大戦は始まっている。 Y.K

地獄と天国

情報の欠乏からエントロピーが生じる。
その究極で地獄という概念が生じた。

しかし、過剰な情報から
天国という概念が生じたわけではない。
地獄に対立した概念もまた
情報の欠乏した想像力から生まれる。

シントロピーは情報の欠乏や過剰からではなく
情報の統合から生まれる。

それは、情報を欠乏させることなく、
局所的情報を劇的に一般化させる原理の存在を
理解した瞬間に到来するメタフィジクスである。  Y.K

シナジー

物質を統合する関係は、本質的に不可視である。
たとえば、重力は不可視である。
それゆえに宇宙は神秘的である。
絶対的な神秘という宇宙の統合性は不可視である。

しかし、統合性のふるまいは
理解できるばかりか、
測定可能であり、
そして、
永遠に信頼できる。    Y.K

指導者

専門分化の組織の一員であり続けたいがために、
唯一の指導者を存在させているのである。

自然が存続してきたのは、
この組織化の方法を採用しなかったからだ。 Y.K

客観的

科学にとって、客観的とは、
意図的に開始することによって、
生起する主観的な刺激に対する反応を
経験的に秩序づける行為である。

意図は未だ
主観でも客観でもない。

言い換えれば、
あらゆる単独の実験は主観でも客観でもない。  Y.K

計算法

計算方は知ったかぶりの人間どうしの
虚勢を張ったゲームから考案された。

その結果、このゲームを独占するための利権を獲得した。

この張ったりの伝統は、
たとえば、円周率の桁数と計算速度の国家間の競争に引き継がれてきたが数学専門家には気づかれないように、
大学受験のための教育プログラムに巧妙に反映されている。

つまり、前世紀から引き継がれた受験の準備方法のほとんどは、
経験から除外された知識を扱うようになっている。 Y.K

動物園

動物園の動物はたいてい悪臭を放っている。
ところが彼らは自然界で暮らしていた時は
そんな臭いは出さなかった。

電車に乗り合わせた本格的なホームレスの隣に
ほとんどの乗客が座ることができないように、
どんな人間も風呂に入らなければ
動物園の動物以上に臭うにちがいない。

では、人間も自然界で暮らせば臭くならないのだろうか。

これは、風呂に入らなければ、
耐えられなくなった理由と同じではない。   Y.K

自己エコロジー

他人には分かりにくい知識を
わざわざ求める傾向は
専門分化そのものだ。

包括的な知識がこどもに理解できることから、
原理という包括的な知識は
単純なことに含まれていると考えてよい。

教育を受ければ受けるほど、
単純なことが回避されがちになるのは
一種の自己エコロジーの破壊である。     Y.K

KAZEからKAJIへ

宮古島の漁師が歓迎する
「PAI-KAJI」とは
「南の風」の意である。
(台風は左回転なので宮古島では北から吹いてくる)

KAJIの語源は風(KAZE)であり、舵・梶(KAJI)のことである。

風はついに所有できなかった。
それゆえに舵は操作主義的に物質化され、
見えない風と潮のために
ジグザグな試行錯誤のみを許されたが、
それらの流体に逆らって航行することができる。

危機に直面するほど政治家たちは舵をとりたがるが、
彼らは舵・梶(KAJI)をデザインしたり、
風(KAZE)の向き自体を変えたりはできない。  Y.K

仕事

仕事と生きるための方法(= 職業)は分離すべきである。

地球を救う、あるいは
地球を守るという義務感を装った
傲慢なエコロジー言語に惑わされるのは、
仕事が人間にとって
もっとも偉大な恩恵として考察されていないからだ。

すでに
最後のメタフィジクス革命から遠ざかっている。

仕事が個人の所有物になった時から
地球温暖化が始まったのだ。    Y.K

宇宙

宇宙の研究は、外部の天体観察から始まった。
天球儀は外部から星群を観察する神の視点を最初に再現した。
21世紀は、シナジェティクス現象の発見から入るべきだ。
たとえば、自動車が水で走れるのは、
水素がもっともありふれた元素だからだ。

必ずしも望遠鏡や顕微鏡を必要としないからではない。
宇宙はお金に依存していないばかりか、
思考にも依存していないからだ。

われわれの思考パターンは、コロニー的要塞型の集団性に束縛された結果、
断続的で固体的、そして同時的すぎる。