月別アーカイブ: 2015年10月

解決方法

服従する人は
服従を回避する方法を
批判しない。

可能な解決方法を回避する人々を
批判しない人々が
解決方法を批判できるとは限らない。

反個性化

学校における学力と所得の階層化を通じて個性化が求められる時代に
シナジェティクスとデザインサイエンス教育があるとすれば
個性化の破壊プログラムとして映るに違いない。

実際、個性化とは独創性を封じ込めるための
一種の身体矯正なのである。

シナジェティクスとデザインサイエンスは
成長段階のこどもの集団性によるモデル言語の創出から開始されるからであり
学校が管理維持する権力による記号システムが最も恐れているのは
その生得的な力なのである。

シナジェティクスは、反個性化へのメタフィジックスである。

デザインサイエンスのプロトタイプ

それは構造を分析することでも、その分析の基礎を構築することでもない。
デザインサイエンスの目的は、構造とパターンにおいて
人間が空間に服従化されている
様々な空間様式についての歴史から
数学的に科学的に、そして心理的に離脱することであった。

モバイル・テンセグリティシェルターを自らデザインし、
プロトタイプを製作し、
そして複製化可能な製品化へのプロセスは
そのもっとも効果的な手段を形成する。

個人化のための空間形成によって
主体化を矯正するこれまでの空間産業化が存続できないように。

デザインサイエンスのプロトタイプとは
国家とそれに結び付けられた
都市集合型の個人化の企てから解放する概念の母型を物質化する
包括的な行為である。

そして最軽量化された構造こそ
原理とその発見によって
もっとも非物質化された構造とパターンを内在しているのである。

5年を経過したデザインサイエンスプロジェクトは
いよいよ原寸大のモジュール製作に移行する。

シナジェティクス教育

シナジェティクスから英知を学んでいくための好奇心は
自らの知識にしようと努める知識欲から生まれるのではなく、
自己からの離脱を可能にしてくれる好奇心から
始められるかにある。

しかし、シナジェティクスの探究に不可欠な
その好奇心を抱かせるための
シナジェティクス教育は不可能であるという
ジレンマがある。
生得的な段階にメタフィジックスが関わっているからである。

場所と段階

機能のない外観だけに終わる可能性のある
すべてのデザインから
自然のデザインがすべて機能を持っている理由は分からない。

まして、自然の観察からもその理由は分からない
という場所と段階からデザインを破壊していくことから
デザインサイエンスは始まる。

場所と段階こそ
メタフィジックスが形成する。

それに至る<シナリオ宇宙>に比べれば
個性や独創性は作り話にすぎない。

ガガーリンとヴォストーク1号

映画<ガガーリン>をみた。

初の有人宇宙船ヴォストークのコックピットは
軽量化のために非常に小さく
身長158cmのパイロットが選ばれたはずだか
映画ではこの重要な要素は無視されている。

しかし、もっとも危険な帰還時には
高度7000mでコックピッから座席ごと射出して
パラシュートで陸地に着陸する方法が採用されたことを
この映画ではじめて知った。
そして、大気圏突入時するカプセルの殻構造には
すでにジオデシック数学が応用されていたことが分かる。

5角形と6角形のみからなるこの構造とパターンは
現在でも異常気象にも耐える
極地用<レドーム>に採用されている。

ヴォストーク1号あの軽量な耐熱の合金素材は一体何だったんだろうか。

純粋な数学

デザインサイエンスに対して距離を取りつつ
ついにシナジェティクスを学問化する考えに批判的だ。

シナジェティクスなきデザインサイエンスも
デザインサイエンスなきシナジェティクスも存在しないからだ。

デザインサイエンスを直接に実践すると同時に
シナジェティクスを探究するべきだからではなく
デザインサイエンスを遂行する人々がつねに
シナジェティクスの諸原理を発見してきたからである。

新たなシナジェティクスモデル群の存在を公開する前に
デザインサイエンスのプロトタイプを完成させるプロセスにこそ
最大のプリセッションが介在するだろう

デザインサイエンスの実践理論とその経験を通じて
シナジェティクスのモデル言語は漸進的変化を遂げる。

シナジェティクスは純粋な数学に止まれない。

自律的構造

構造を倒壊させる可能性の潜んでいる
地殻に突き刺さっていない
または不十分な複数の杭の手抜きを科学的に検証できる装置がすでにあるなら
そのいかさま工事に関する補償問題のすべての責任と補償の義務は
下請け業者ではなく施工業者にある。

ニュースを取材する側の自律的構造がすでに崩壊している。

あらゆる暗黙の手抜き命令は、権力構造の常套手段である。
そしてその力は上から下に向けられる。

非自立的構造には、つねに上・下が存在する。

消滅した場所

場所よりも簡単に
人間は消え去ることができる。

ウラニウムとプルトニウムの永続性を忘れて生きるなんて
人間が消滅した場所でしかない。

不可逆的

テンセグリティ構造のシナジー作用を、
つまり、全体性を論理的に解析することは不可能である。
しかし、その物質的かつ非物質的な統合作用を回避することが
不可能な段階で構造を試行しなければならない。

解析と統合が、可逆的に言語化されていないだけなのだ。
つまり、テンセグリティ構造は
しばらくは発見の宝庫である。

反重力から反張力へ

宇宙を象徴する完全な半球が想定されたドームは
静止力学的な解法から 垂直荷重に耐える尖頭型ドームが最終的に変更され
1588年から1590年にかけて突貫工事が進められてついに頂塔は1593年に完成した。

この十六世紀の最初で最大のミケランジェロによる
サン・ピエトロ大聖堂のドーム構造をとりあげる場合でさえ、
圧縮力だけに依存しない張力と圧縮力の相互作用による構造が
最近の発見であるという驚きを抱かざるを得ない。
(その後の世界のあらゆるモスク建築は宗派を超えてこの様式を複製してきたが
そのすべては、完全な球状構造を再現したかったのである。)

宇宙パイロットの大気圏外宇宙への脱出経験からも
われわれは重力にまだ抵抗する習慣を
捨て去ろうともしていない。

重力とは
断面積のゼロの不可視の張力であり
もっとも安価な張力材である。

テンセグリティ構造においては
張力はつねに反・重力であり、重力はつねに反・張力である。
非鏡像的対称性にまだわれわれはとても不慣れである。

足場のない構造

テンセグリティ構造とは、
ついに発見された特殊な圧縮力と張力の相補的な相互関係ではなく、
大地を必要とするすべての構造物における、
本来的に足場を否定した
あるいは足場のすべての痕跡を消去した
相補性にほかならないのだ。

したがって、テンセグリティのアセンブルには
圧縮力と張力の相補的な相互関係が利用できない。

自然は足場を残さない。
あるいは、自然のすべての足場は
最小単位という優れたモジュールからデザインされている。
モジュールとは高性能なモバイル性に置換可能だ。

例えば、DNAとその複製も足場のない構造のひとつである。

生物学的存在へ

ナス科は、ナスに加えて
ジャガイモやトマトなどが属しているように
人類においては
アジア人、アメリカ人、シリア人などの人種が
生物学的に存在したためしはない。
種や亜種に値するどんな差異も存在しない。

個々の人間や民族などの相違点を越えた類的存在としての人類に
人種や人種差別、そして仮想敵国などの概念や政策は時代遅れであるが
その非生物学的<常識>によって、若者たちはつねに矯正されつつある。

人種という非生物学的概念は
社会的要因よって構築される人為的システムから形成できるので
権力の主要な力になるのである。

モバイルテクノロジー

旅行以上に、少なくとも3年に一度の引っ越しは
認識の領域を拡張する手段になり得る。

自己との関わり方は
重要なテクノロジーのひとつである。

究極のモバイルテクノロジーとは
認識方法と認識領域との絶えざる拡張とその相互作用にある。

定住とは、時代遅れの道徳的矯正のための税収奪方法にすぎない。
そして、定住しながら株価に耽る時代は終わっている。

戦闘のための秩序

戦闘のための秩序が
株価と市民生活を機能させているのは
いつからかを知らない人々が
根本的に自由で個性を反映できる
現在の<安全な生活>の維持を望んでいることは
怖ろしい兆候である。

コスト計算

デザインサイエンスを装ったコンセプトに
気取ったシナジェティクスモデル、あるいは
懲りすぎたテンセグリティモデル以外に
その根拠が見出されない場合
先行技術をなにも超えていない事実を
いかに隠すかというある種の技術に始終する。
たとえば、コスト計算から合理性を得るような方法とか。

真の技法は、
しばしばモデルの中に潜んでいる。
それらが劇的なコスト計算をもたらすのである。

足場のない構造

テンセグリティについては、
<張力材のある>ものと<張力材のない>ものとの対比や、
圧縮材主体の優位性と固体性、
これまで考案されたテンセグリティモデルの生成過程
(学習用のテンセグリティモデルの生成過程ほど
テンセグリティから逸脱していくものはないのである)と
構造に対する定義を放棄しなければならない。

認識の主体から生み出された概念ではないとしたら
テンセグリティの起源は
新たな認識形態と認識領域を規定するにちがいない。

自然におけるテンセグリティは
足場のない構造の生成を前提にしている。

シナジェティクス分析から

分析における批判が
新しく発見された原理によってこれまでになく
秩序づけられたシナリオに沿っていくつかの理論を同定し、
さらにそれによって
これまでの不明確な常識めいた理論の排除
および、リセットされた言説を包むシステムを対象とするならば
明確なモデリングに基づいたシステム理論形成を行うための
学会という同業者組合の介入しない
天真爛漫な無遠慮さの実践でしかない。

それは、解離と統合の絶えざる作用に身を任せる態度なのだ。
つまり、存在の全体性を記述することが不可能であるかぎり。

テンセグリティ表象

圧縮材と張力材の統合がテンセグリティ構造で認識されるのではなく、
圧縮力と張力という相補性が表象に帰される
モデル言語の形成がなされてこそ
この表象が他者に伝達可能になのだ。

モデル言語の形成はモデリングからではない。
互いに異質な概念を把捉し
それを意識による統合作用に取り込むための。

破壊過程

張力材に金属ワイヤーや金属ロープを使うのは
まるで自分が打倒しようとする構造の非軽量化を
自分の構造に持ち込んでしまうような
破綻的行為にまるで気づかない人たちが
有限要素法を前提にしたテンセグリティの構造解析に耽っている。

定義された領域を小領域(=有限要素)に分割し
各要素を単純で共通な補間関数で近似することが
シナジーを再現する方法になりうるとは
だれも論証できていないにもかかわらず。

テンセグリティの構造解析は
破壊実験以上の方法はまだ見当たらない。

つまり、統合された破壊過程すら、その理論では予測できないのだ。

装ったり、耽ったりするすべての技術は
それ自体を目的としている専門分化の
行き場のない分断機能から形成される。

原型的構造

個人を監視し、管理し、動機を排除しながら学習させ、
繰り返し矯正していく仕組みに追い込まれることに順応させ
日常的に個人を圧迫する言動や組織を支持するシステムを
最終的に教室やスーパーや道路上、そして映画館でさえも拒絶するのは、
自由への原型的構造である。

そして、それはデザインサイエンスを試行する
鋳型(=プロトタイプ)形成への前提である。

原型的構造は監視された動機からは生まれない。

遠隔コミュニケーション

知性の序列と階層化は
学校においてほぼ最初に接する
集団性テクノロジーへの帰属である。

共同性を排除するために
教育は、個々人の個性化でその力を制御する。

共同性の力よりも
集団性と個性化を選ぶほどその力を怖れているのは
共同性には
すぐれた遠隔コミュニケーション力が求められるからだ。

遠隔コミュニケーション力には
生得的な直観が含まれる。

この電磁誘導装置のスイッチが入らなければ
個性化などは、知性の序列と階層化という時代遅れの方法でしかない。

疑似重力

構造が重力に対して服従する様々な形式では
圧縮力があたかも主体化されるようなシステムを
前提にしているかのようであるが
テンセグリティによって
その前提はすべて完全に覆されたのである。

圧縮力を生むのは、
圧縮材の自重や重力による反作用ではなく
張力材の張力によって圧縮力を生成するシステムであった。

テンセグリティ構造は重力に依存しない唯一の構造として
発見された。

重力に依存しない構造を
思考することさえできなかった歴史のなかで
人間が服従化されていく疑似社会構造は
上からだけではなく、ほとんど下から
滲み出てくる圧縮力(=疑似重力)によって形成されている。

疑似重力圏内で育った彼らは、
重厚な経済的・政治的人格を尊敬する傾向がある。

軽薄短小な構成部材からなるテンセグリティ構造を
理解できない社会構造は
自分たちの圧縮力を英雄化する習慣のある経済・政治指導者たちだけで
形成されているわけではない。

真の構造を捉える構造の定義は
テンセグリティの発見まで何も存在していなかったのである。

テクノロジー

安全と保障を求めすぎると規律と刑罰が待ち構えている。

秩序と規律を求めすぎると法律と軍隊が待ち構えている。

それらが、服従へのテクノロジーだからだ。

自由を実現するテクノロジーに無関心にさせるのは
監視のテクノロジーである。

信頼できる隣人をだれも作れないように。

折りたためる構造

すべての可能な構造的な解決を退けるような
デザインがある。
シナジェティクスは、そのモデリングには関与しない。

例えば、折りたたみ可能な機能を求めただけの構造。

折りたためる構造は、もはや構造ではない部分の
折りたたみ機能によって、非構造化しているばかりか
構造の定義から逸脱する。

自然から発見された
純粋な折りたためる構造(たとえば、DNA構造)は
生存のための複製機能としてデザインされている。

デザインサイエンスは、純粋な構造を複製する。

技法

平和によって偽装されて
継続される戦争こそ
最大の技法(=テクノロジー)なのである。

監視され、学習によって訓練され
矯正される人々が
より良い暮らしのために求めるのは
より細かく再分割されたこの技法なのである。

反サイクリック性

日本の自動車工場内での禁止事項や拒絶命令の役割を
担わされた上部構造から
生産性のためのサイクリック性は生まれなかった。

それが機能する組立ラインのそれぞれの場所で
直接的に生産的役割を担うための
サイクリック性(正社員になるための生産効率性)は
正常な人間を基準として
労働者の平均的な身体性までもが
子供の時の学習過程から再構成されなければ
到底形成できないだろう。

それらはテクノロジーと権力との見事な調和から生まれるのだ。

そして、
シナジェティクスは
反サイクリック性からしか生まれないことの
認識から開始される。

もっともプリミティブな構造とは
自己の自己への関係として定義されるからだ。

シナジェティクスへの教育

形態デザイン・構造解析・建築コードといった諸段階は
資本主義が必要としている専門分化による断絶を
より広範囲により深く刻んでいく目的に用いられる手法である。

どの段階に於いても
シナジェティクスモデルが
形態を表すための縮小モデルであることはないのだ。

シナジェティクスモデルは
産業を変革する概念を絶えず包括するために
発見される。

シナジェティクスモデルが
もう一つの自然を再現する。

それを発見するための哲学とそれに関連した方法は
21世紀の教育の主要な機能である。