幾何級数

耕作地の面積を倍にしても、収穫は等差級数でしか増加しないが、植物の種を単位にして考えれば、すべての植物は幾何級数的に増加している。

稲作における<一粒万倍>は幾何級数そのものだ。
しかし、人間は必ずしも植物の種ばかりを食料としているわけではない。
カボチャと稲の違いは、食べるときの形を単位にした習慣にある。
一粒の種から見れば、幾何級数の例外はない。

「人口は幾何級数的に増加するが、食糧は等差級数でしか増加しない」
というダーウィンの視点を鵜呑みにした最初の経済統計学者マルサスに、
稲作の水耕栽培の経験はなかった。

この経済統計学の定理はその後の農業と農民を支配した。
こうして現代の日本の農民はすべての種や苗をお金で買っている。
たとえば、チンゲンサイの種を栽培することを禁じているのは
植物の種が幾何級数的に増加する事実を発見できないようにして、
遺伝子工学のお陰にしたいのだ。
光合成システムではなく遺伝子工学のユーザに置き換えるためのシナリオがある(「世界の遺伝子組み換え作物栽培面積は2015年までに世界の栽培面積は約2億ヘクタールに達する」と予測されている)

このシナリオは単純すぎる。
それゆえに、知識の奴隷化には、予め疑うことができないように
科学者を動員した単純な<定理>が必ず存在する。
こうした<定理>が、1世紀以上も存続することは稀ではない。

知識の奴隷化を維持するには、
無数の知識人が高価な報酬と引き替えに協力する社会システムを発明しなければならなかった(ダーウィンがマルサスに雇用されていた事実は無視されている)。

このシステムは、イデオロギー以上にいまのところうまく動いているようだ。  Y.K

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