月別アーカイブ: 2008年1月

第4次世界大戦

ライト兄弟による最初の飛行実験には、
航空機の国家免許は不要だった。
同じ理由で科学的発見に国家のライセンスは不要だ。

第一次世界大戦までは、
科学的発見を制御できるメタフィジクスの独占は
もっとも困難な領域であった。

冷戦構造が第3次世界大戦だとすれば、
自発性を除去できる教育ノウハウまでが
すでに独占されている現在は、
教養はあるが知性の欠如した人類が急増する傾向にある。
つまり、
戦場から死体が減少する第4次世界大戦は始まっている。 Y.K

地獄と天国

情報の欠乏からエントロピーが生じる。
その究極で地獄という概念が生じた。

しかし、過剰な情報から
天国という概念が生じたわけではない。
地獄に対立した概念もまた
情報の欠乏した想像力から生まれる。

シントロピーは情報の欠乏や過剰からではなく
情報の統合から生まれる。

それは、情報を欠乏させることなく、
局所的情報を劇的に一般化させる原理の存在を
理解した瞬間に到来するメタフィジクスである。  Y.K

シナジー

物質を統合する関係は、本質的に不可視である。
たとえば、重力は不可視である。
それゆえに宇宙は神秘的である。
絶対的な神秘という宇宙の統合性は不可視である。

しかし、統合性のふるまいは
理解できるばかりか、
測定可能であり、
そして、
永遠に信頼できる。    Y.K

指導者

専門分化の組織の一員であり続けたいがために、
唯一の指導者を存在させているのである。

自然が存続してきたのは、
この組織化の方法を採用しなかったからだ。 Y.K

客観的

科学にとって、客観的とは、
意図的に開始することによって、
生起する主観的な刺激に対する反応を
経験的に秩序づける行為である。

意図は未だ
主観でも客観でもない。

言い換えれば、
あらゆる単独の実験は主観でも客観でもない。  Y.K

計算法

計算方は知ったかぶりの人間どうしの
虚勢を張ったゲームから考案された。

その結果、このゲームを独占するための利権を獲得した。

この張ったりの伝統は、
たとえば、円周率の桁数と計算速度の国家間の競争に引き継がれてきたが数学専門家には気づかれないように、
大学受験のための教育プログラムに巧妙に反映されている。

つまり、前世紀から引き継がれた受験の準備方法のほとんどは、
経験から除外された知識を扱うようになっている。 Y.K

動物園

動物園の動物はたいてい悪臭を放っている。
ところが彼らは自然界で暮らしていた時は
そんな臭いは出さなかった。

電車に乗り合わせた本格的なホームレスの隣に
ほとんどの乗客が座ることができないように、
どんな人間も風呂に入らなければ
動物園の動物以上に臭うにちがいない。

では、人間も自然界で暮らせば臭くならないのだろうか。

これは、風呂に入らなければ、
耐えられなくなった理由と同じではない。   Y.K

自己エコロジー

他人には分かりにくい知識を
わざわざ求める傾向は
専門分化そのものだ。

包括的な知識がこどもに理解できることから、
原理という包括的な知識は
単純なことに含まれていると考えてよい。

教育を受ければ受けるほど、
単純なことが回避されがちになるのは
一種の自己エコロジーの破壊である。     Y.K

KAZEからKAJIへ

宮古島の漁師が歓迎する
「PAI-KAJI」とは
「南の風」の意である。
(台風は左回転なので宮古島では北から吹いてくる)

KAJIの語源は風(KAZE)であり、舵・梶(KAJI)のことである。

風はついに所有できなかった。
それゆえに舵は操作主義的に物質化され、
見えない風と潮のために
ジグザグな試行錯誤のみを許されたが、
それらの流体に逆らって航行することができる。

危機に直面するほど政治家たちは舵をとりたがるが、
彼らは舵・梶(KAJI)をデザインしたり、
風(KAZE)の向き自体を変えたりはできない。  Y.K

仕事

仕事と生きるための方法(= 職業)は分離すべきである。

地球を救う、あるいは
地球を守るという義務感を装った
傲慢なエコロジー言語に惑わされるのは、
仕事が人間にとって
もっとも偉大な恩恵として考察されていないからだ。

すでに
最後のメタフィジクス革命から遠ざかっている。

仕事が個人の所有物になった時から
地球温暖化が始まったのだ。    Y.K