月別アーカイブ: 2014年6月

文節化(articulation)と専門分化(specialization)

社会構造はイデオロギーに関わらず
まだ互いに分離され専門分化したままだ。
専門分化によって
理系や文系といった鏡像性を否定できないように
政治構造は左派と右派に分離される。
より専門化されればされるほど
より重要な情報を所有する。
支配という意図があるかぎり
思考は特殊化のために分割され続ける。
そして、専門分化によって
分化すればするほど相互の相補性は失われる。
テンセグリティ構造においては
分離された圧縮力と張力は
互いに非鏡像的で相補的な関係に置き換わる。
純粋な構造には
優劣が存在しないばかりか
より重要な部分さえ存在しない。
より重要な部分とは
すべての専門分化過程に於ける
幻影化された目的なのである。

既製品

可能なかぎり既製品を使うと
自分でコントロールできないことを既製品に代用させ
自分でコントロールできることを
増やせるようになる。
バイオスフィアで入手できるすべての元素は
初期の既製品である。
人間が核分裂をさせない限り、それらの既製品は増えも減りもしない。
それ以外の既製品は
自然が許容したアブストラクトである。
その機能は重さもなくつねに増加するだけである。
すべての産業化はこの神秘的な抽象性に支えられている。

実践

デザインサイエンスを実践と切り離した
シナジェティクスモデルの限りない再現は
他人の思考方法を投影した3Dオブジェに過ぎない。
半世紀間を超えたバックミンスター・フラーによる
シナジェティクスの膨大な試行錯誤から選んだ
理解可能な複製から何も学ぶことはできない。
表面材のないジオデシック構造や
ゴム紐や釣り糸のテンセグリティモデルなどは
まったく無意味なのだ。
シナジェティクスを学ぶことは
行為とメタフィジックスを分離させることではない。
自然は、主観的に、美的に実行しない。
シナジェティクスとデザインサイエンスは
相補的な行為なのである。
———原子核における電子と陽子のように

続)テンセグリティと操作主義

1590年の顕微鏡の発明後
1674年にオランダのレーウェンフックが微生物を発見した。
彼はセル(=cell 細胞)を発見していたが
細胞が生命の基本単位であることを
証明したのは彼ではなかった。
シナジェティクスが
球状テンセグリティ構造を発見するよりも前に
科学者たちは細胞がテンセグリティ構造である事実を
細胞の観察からは気づけなかった。
観察から発見される新たな概念は
ほとんど存在しないのである。
操作主義の有効性を問うならば
細胞膜が細胞の構造だと思われた歴史だけで十分である。

テンセグリティと操作主義

圧縮材を交差させて交差点を固定する構造を受け入れる時
圧縮力に依存した要求そのものが
構造の不安定さと構造の破壊を生むことに無関心である。
純粋な構造は、圧縮力を張力と分離する。
分離して統合する張力の機能を形成するために。
この場合の分離とは
文節化(articulate)なのである。
文節化という統合の意図がなければ
分離もできないのである。
つまり、圧縮材を不連続にすることによって
張力機能を形成する操作主義なくして
テンセグリティ構造は発見できなかったのである。