退屈な知の形式

シナジェティクスの探究には、誰の許可も必要としないイニシアティブが与えられている。
個人だけが思考することができ、自分の経験に現れる<原理>を探し求めることができる。

しかし、シナジェティクスが<主観性>によって自己と保つ関係の構築には、
権力との諸関係から批判すべき退屈な知の形式に変貌させているのではないのか
と自問する必要がある。

例えば、単なるジオデシックドームやテンセグリティに関するプロダクトデザインが
予測的デザインサイエンスで解釈される場合である。

彼らのデザインは、バイオスフィアでもっとも経済的に
そして安全に生存するための
20億機の軽量シェルターの生産技術とは無縁である。