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学ぶ方法について(再考)

新しい何かを学ぶ過程は
それほど純粋でなもなければ
素晴らしくもない理由を経験しなければ
どんな知的な挑戦も無謀に終わるだろう。

「何かを学ぶには
すべての権威からの離脱と
服従への拒否が必要である。

学ぶためのエネルギーの99%は
その過程に費やされるだろう。

こうした学ぶための環境条件の整備は
学校では最初から除外されている。

理事会と建物(=土地不動産)、そして教師の権威を予め受容した学校という
学ぶための非効果的な環境条件は
子供には拒否できないシステムで運営されている。」

2012年6月27日 犬のしっぽブログから引用

直観と直感

直観(intuition)が教育の対象にならなかったのは、
直観が内包するメタフィジックスを奪われたからだ。

そして権威と競争に依存する学習に追われている。

シナジーが科学の対象にならなかったのは、
自然が内包する未知を奪われたからだ。
あるいは、宇宙が内包するメタフィジックスを除外したからだ。

そして計算力と情報量に依存する学習に追われている。
科学は、直観と直感を区別することができない。

シナジェティクスは、
直観と美によって初めて
Cosmic Integrityが認識される
メタフィジックスである。

地球の裏庭(back door)

限界集落は拡大しながら
耕作が放棄されていく無数の荒地を形成し、
農村共同体自体とさらに農村と都市とをより分け隔てているが、
モバイルシェルターや水の完全再生テクノロジーを含む
4つの無のテクノロジー(無柱、無管、無線、無軌道)は、
生産性を持たないこれらの領域を超えて互いに遊離した個人が再び接近し、
人類が共通に持っている地球の表面に対するこのテクノロジーとその権利を
最小限のコロニー間の相互交流の手段となることを可能にしてくれる。

われわれは、無意味な生業と不可避的な失業を繰り返しながら、
遂に、広大な地球の裏庭(背戸=back door)の内部において
生存技術の目的意識の形成とその技術習得のための生存自体が可能になるのである。

資本主義がつねに、ロボットと荒地を所有するがゆえに。

Cosmograpfy(コスモグラフィー)

既存のインフラに生存形式を限定している空間構造から
生存形式を開放するために
構造を破壊する。

しかし、無限定の存在が生存方法を
消去した限界に引き戻すために
永遠の構造を発見する。

どちらかが、シナジェティクスで
他方がデザインサイエンスである。

概念と物質は
相補的な行為が非同時的に存在する
<Cosmograpfy(コスモグラフィー)>によって統合される。

参考
宇宙線(cosimic-ray)とコスモグラフィー

コズモグラフィー―シナジェティクス原理

メタフィジカルな生物学的現象

エネルギー、食料、水の生産と再生の統合されたテクノロジーは
人類においては、分析的に分断されて形成され、
意図的に解消されていると考えるべきだ。

自然を形成する未知なる不可視の奥底から
現実を決定しているような
生の決定的なメタフィジカルな生物学的現象を
そうした政治的な変異の集合体に見てはならない。
ましてミスリードされてはならない。

二重性

合法性と違法性のルールを組織する政治システムの二重性そのものが
政治家のモラルと処罰を曖昧にしている。

昼となく夜となく

古い重い構造で人が破壊され
昼となく夜となく未来に怯える時は、しばしばやって来る。

何のためにか。
怯える群れから離脱して
自らその仮想的な記号システムを破壊するために、
その構造を支えた概念の歴史的起源の解体と
その思考方法を教育するシステムの破壊、
そして、まったく異質な、しかし現実的な構造への転換に到るような
構造原理の発見とそれに基づいた認識を
群れから孤立した他者と共有することを意味している。

誰かに生存のための自律システムの開発と生産を
期待し委託する主観的な情況は終わった。

メタフィジックスなき過剰な物質群の相互の結合関係を
すっかり組み替える方法によって
未来からではなく
未知(unknown)を内包するシナジーから
構造とパターンをデザインして
現在を記号的過去からも未来からも客観的に解放するのだ。