社会学は、特別な思想から期待させる非対称的で魅惑的な2つの異なる世界像を描いてきた。
それぞれの世界には、核弾頭だけが慣性により<無誘導>のまま飛行する
大陸間弾道ミサイルが装備される。
生存に不可欠な自然の諸原理の機能を覆い隠すこの企てなくして、
共産主義が資本主義を<誘導する力学>はついに認識できないだろう。
日本では大陸間弾道ミサイルと共謀罪がほぼ同時に武装される。
社会学は、特別な思想から期待させる非対称的で魅惑的な2つの異なる世界像を描いてきた。
それぞれの世界には、核弾頭だけが慣性により<無誘導>のまま飛行する
大陸間弾道ミサイルが装備される。
生存に不可欠な自然の諸原理の機能を覆い隠すこの企てなくして、
共産主義が資本主義を<誘導する力学>はついに認識できないだろう。
日本では大陸間弾道ミサイルと共謀罪がほぼ同時に武装される。
富とは、生存する能力であり、ハエやネズミにも備わっている。
基本的な秩序へと再調整するために、エネルギーの流れを制御する能力である。
その結果、ハエやネズミは短期間に増殖できる。
共謀罪という<権力と記号のテクノロジー>で、
人間が生存するための基本的なエネルギーと秩序は、けっして制御できないだろう。
積分(integration)とは、
微分(differentiation)に対する数学的概念として学ぶが、
歴史的には、分化・特殊化(differentiation)に対する
統合(integration)の概念が先行している。
歴史的には、シナジー(synergy)は、
薬学における共働作用という専門化し分化した概念であったが
バックミンスター・フラーによって、シナジー(synergy)は、
エネルギーに対する微積分的な物理的な相互作用として発見され定義された。
細胞という概念が発見されなければ、顕微鏡の発明によっても、
細胞が形態的に認識できなかったように、
この本質的な差異の認識からシナジェティクスは、
シナジー作用を引き起こす結合と解離における構造とパターンを発見してきた。
建築における構造設計では、これまでコンピュータによる計算結果よりも
数倍の安全率を使用してきた。航空機の場合は、せいぜい2倍を超えないのは
その安全率の起源と必要性を熟知しているからである。
技術的な無知の増大によって、構造の自重の増加に伴った安全率も自ずと増大する。
より大きな安全率は、より大きいリダンダンシーと荷重分散に対する自由度を失う。
航空機では機体重量の増加は、死の危険性ばかりか、飛行の経済性をも失うだろう。
耐震や免震、そして制振技術以上に、構造の軽量化と剛性化をも統合したテンセグリティは、
究極の構造システムである。
しかし、構造に関わる専門家たちが、テンセグリティが非実用的であるばかりか
もっとも危険な構造だと信じ込まされているのは、構造の自重増加が
材料費と施工費の増大による利益率の増加をもたらしてきた経験からである。
住宅は、航空機や自動車の安全性能や燃費性能、耐久性への革命に比較すれば、
暗黒時代の産物である。
バックミンスター・フラーによるオクテットトラスのテンセグリティ構造体 1980
森の樹木を繰り返し伐採してダメージを与え続けると、やがて
衰弱した樹木は、その根のあたりで、ウィルスに感染して変形し始める。
森の怒りが形になると感じてしまうが、根の周辺の微生物群が大移動し始める予兆なのである。
枯れていく樹木を数えても、移動する微生物は数えられないのは本質的ではない。
<図>としての微生物は動的に変位すると共に、<地>としての樹木も機敏に動くから。
この映像は、微生物群が短時間に移動して、
大地の水が蒸発して森の周辺から砂漠化していく時の形相である。
夕焼けは短命だ。その後の焚火さえも。大気圏の流体地理学の永遠の課題。
自然は何をしようとしているのかを考察し、為すべきことは何かを考える場合、
あるいは、後者の方がより困難な場合に、予測的デザインサイエンスが開始される。
その過程において、
誘導されることが目的化される疑似神秘学につねに憑依されない
自発的な真の目的意識だけが、シナジェティクス原理群へと誘導される。
その過程が実在するいくつかの経験から自己のテクノロジーが形成される。
資本家は、他者よりも前に潜在的な報酬を看破できる。
たとえ、その報酬が自然が作り出した物であろうとなかろうと
あたかも彼らが所有する物としてふるまうことによって、
彼らの利益は稼ぎ出される。
利益は本質的に増大するという考えが、
電力や石油から、そして、農薬付けの植物から、耐久性の欠如した高価な住宅から
人類全体に分配されるべき膨大な利益をバイオスフィアから
ゲームのルールに従って略奪できるのである。
(誰かの富はそれ以外の誰かの負債であるという19世紀の資本主義のルール)
資本主義といわれる多くの誤謬(=デフォルト・ゲーム)が継続されてきた。
事実に依存する真実は、やがて廃れるだろう。
宇宙の要求にしたがって存在する偉大な意識にこそ真実がある。
生きるための権利に生きる要求を人間性から剥奪するシステムは存在する。
生きるために稼ぐ労働と生きる権利は、計画的に分離されたにちがいない。
生きるために稼ぐよりも稼ぐために生きる現実を受け入れるように。
酸素と水素が整数比で絶えず結合するための許可が存在しないように、
労働をもっとも偉大な人間の特権として受け入れる
デフォルト(=宇宙の会計システム)は存在する。