月別アーカイブ: 2017年6月

弥山の巨石群

宮島の弥山の手前の懐かしい巨石の上で
またおにぎり食べて、
瀬戸内海を見下ろす場所の夢を見た。

あの数百メートルも垂直に聳える巨石から吹き上げる海風になびかせて
そして、無数のテンセグリティを手放すとどうなるのだろうか。

タンポポのように空中を浮遊し、海に着水していくテンセグリティ群は、
再び浮遊するはずだ。
海面を放射する夜光虫のように。

旋律を巧妙に複製する作曲家へ

久々に聴いたビートルズの 「Real Love」(Anthology Highlights 2011)を
以前ほど純粋に聴けなくなった理由は、しばらく曖昧であった。

ラジオから聞こえてきたAKB48「 恋するフォーチュンクッキー」の主要なメロディが、
「Real Love」のオリジナルな旋律をほぼ複製しているからだと感じた時から
「Real Love」を聴く度に、なにか不快感が沸き上がってくるまでになった。

美しい独創的な旋律が生まれるまでの、苦しみを超えた独自な経験があれば
こうした行為は、これほどまでに巧妙に一般化しないはずだという考えに囚われるほど
私は、「Real Love」から遠ざかるのだ。

偶然と計画

バックミンスター・フラーの発明と発見は
見事なほど、非論理的に統合されている。

真の発明と発見は、論理性を備えているが
そのプロセスは論理性から激しく逸脱している。
意図しない偶然が重なり合い、無意識的な計画を呼び寄せる。

それらの事例は、教育には不向きだが、
シナジェティクスの理解には不可欠だ。

内部と外部

ミクロの反対の概念は、マクロではない。
それらは、経験を内部と外部から考察する時に形成される両極なのである。

ベクトル平衡体モデルの収縮拡大の一つの現象の記述にも
内部と外部から見る2つの異なった経験が存在する。

しかし、例えばベクトル平衡体モデルなくして、この概念の認識は困難にちがいない。
その認識には、観察者がその現象を記述する場所(=極性)、
すなわちモデルの内部なのか、または外部なのかを予め選択しなければならない。

ベクトル平衡体

自然

人々は無数の許可の元で、自由や構造さえも定義している。

自然は、存在に対して、あるいは、非存在に対して許可を与えない。
自然は、ある認識に基づいて具現化(realization)された結果を受容するかしないかだけだ。

人間は、けっして構造をデザインできない。

2点間の最短距離

地球上で、もっとも遠い場所は、移動距離または移動時間からではなく
自分の家からちょうど半周した裏側だ。
この概念から、ジオデシックライン(測地線)が生まれた。

しかし、この球面上の2点間の最短距離の概念こそが
バックミンスター・フラーのジオデシック理論を
特殊理論にしてしまったのだ。

2点間の最短距離の概念から、もっとも経済的で実用的なシェルターはデザイン出来ない。
もっとも経済的で実用的なシェルターは、新たな原理から構成される。

それを証明する一般化したネオ・ジオデシック理論と
そのシナジェティクスモデルは完成している。

科学的事実

ジオデシックドームの研究開発時に、どんな企業も大学も支援していない。
(バックミンスター・フラーのジオデシック学の形成期は
ブラックマウンテン大学の夏期講習だけに雇用された講師だった。)

同時期の、しかし、ジオデシックドームよりも先行した
テンセグリティ開発は、構造解析から生まれなかった。
最初の有人飛行機が、航空力学や構造解析から生まれなかったように。

これらの科学的事実は、ほとんど教育されていない。

包括的な不可視の狂気

21世紀の非同時的テロの持続的展開によって、軍隊と警察は、
国際的な規模で個人の情報収集、管理、拘束するテクノロジーの開発に迫られたが、
18世紀における致命的で広範囲な疫病(黒死病 Black Death)によって、
医学が国家的規模の情報収集、管理、拘束の必要に迫られたのが
そのテクノロジーの起源である。

しかし、21世紀の監視技術によって、
すべてのコミュニケーションを捜査対象とするための
盗聴、盗撮、無制限な個人情報の収集を合法化する基盤整備は、
平時の定常的なテロ対策ではない。

送電ネットワークや発電所、そして学校や病院、研究所などのライフラインと主要施設を
戦時には、乗っ取り可能にするためのテクノロジーだからである。
共謀罪の合法化は、その序章なのだ。

すべてのテロリスト、企業、そして国家さえも監視していく人間の
独占的で包括的で不可視の狂気を、医学はまだ想定していない。

主観性の記述

人々のありふれた日常の個人性の記述を
一つの監視手段、更なる一つの支配方法に変換する
権力と記号のテクノロジーに対して、
モデル言語の記述方法は、もっとも主観的だ。

そして、しばしば、論理的な記号テクノロジーの間違った使用方法が
引き起こす神秘に遭遇する。

科学的で数学的な探査へ誘導するのは、この神秘である。