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動く<小さなバイオスフィア>

この20年間(1996年の直径11mの展開型モバイル・テンセグリティシステムの
プロトタイプの実現から2016年まで)を通じて、
私のテンセグリティの目標は何であったのか。
それはその構造を発明し解析することでも、その解析の基礎を築くことでもなかった。
まして、アウトドアの歴史を拡張することでもなかった。

私の目的は、人間の生存可能な生活空間において
人間が都市やイデオロギーに服従化されないためのモバイル構造に、
テンセグリティ原理を適用する以上には存在していない科学性と実用性を証明し、
さらに、個人が自力でその自律的構造を再現する経済的な独自な方法を発見し、
そして、実行することであった。

そして、動く<小さなバイオスフィア>の歴史は日本で最初に実行されている。

概念

思考方法は本来、自由である。
しかし、人間の思考のほとんどは、概念の牢獄につながれている。
繋がれていることすら、気づかないほどに。

シナジェティクスは、概念の牢獄からの脱獄方法に深く関与する。

通底システム

自然の深層において通底し、
私の存在以前にあって、
時間と空間の中でわれわれの存在を支えている階層構造を
シナジェティクスは
峻烈な視覚化可能なモデリング行為とモデル群の発見によって
自然の階層構造の存在を暗示してきた。

意味というものは、
ある種の表層的な段階での人為的な記号作用の結果にすぎない。

例えば、
正多面体(プラトンの正多面体=Platonic Solid)という概念から引き出される意味を
支えた歴史などは、永遠性を期待できる大理石(Solid)への加工方法に関する
卓越した三角関数の変換ノウハウの独占の歴史であり、
シナジェティクな通底システムを理解すれば泡のように消え去るであろう。

未知へのシナジェティクスへ

表象がシナジェティクスモデル言語に完全には帰属させられてはいない。

つまり、多様性が予め結合した状態で主観に与えられてはいないことこそが、
宇宙の階層構造の諸表象との相互作用をつねに可能にする。

シナジェティクスモデルからの表象が
どのように触発されるかによっては規定されず、
表象を合成することにおいて自らのモデル言語を規定して行く回路がある。

バックミンスター・フラーが
即座に20代の私のその認識回路を看破した瞬間から
そしてその瞬間を共有したバックミンスター・フラー研究所
(1981年当時はフィラデルフィアのサイエンスセンター)という<磁場>から
自らの未知へのシナジェティクスが開始されたのだ。

知(Integrity)の探査における、師(マスター)の存在は明確であった。
しかし、彼の最晩年という希有な段階だったのである。

思考とモデリング

残されたモデリングに
思考した以上の情報が内在している現象を
経験したことがあるならば、
思考とモデリンググの相補性は
批判であると同時に存在論であるような
思考の方法の本質的な在り方なのである。

しかし、この方法によって、
つまり、ある種の<意図的>な戦略に沿って
自然のシナジェティクス原理を発見するまでには
10年の歳月がかかるだろう。

もし、それ以外の方法と試練で到達できたなら
野生の思考力を備えていたに違いない。

その野生の思考力こそ
外部宇宙との互換性があるに違いない。

概念の監獄

街頭や道路において
警察の厳戒な監視カメラが設置され、
日々の生活に対する絶えざる矯正力によって
のろまな群れが形成される。

太陽黒点がゼロになった宇宙的現実へと転換されないまま、
シナジェティクスを学習しても
概念の監獄から脱出できる保証はない。

非構造

掃除機は自分自身を掃除できない。
洗濯機も自分を洗濯できない。

国民を監視できるが
権力もまた自分自身を監視できない。

その非構造のなかに
原子力が閉じ込められたのだ。

権力の外部化は
権力から生まれるが
つねに生命の統合作用とは無縁だ。

つまり、太陽の黒点数に関与できない
テクノロジーの段階にある。

磁力線

シナジェティクス思考とは、
非論理的で野性的モデリングにできるだけ接近することによって、
それが非物質化という形で結実するプリセッショナルな磁場に停泊することによって、
反哲学を作動させる一つの磁力線なのだ。