コスモグラフィー」カテゴリーアーカイブ

発明と発見

「私が発明した」というとき、
その人間は過ぎ去った出来事の記憶の中に
生きていなければならない。
発明という分離的行為は過去の蓄積から生まれるからだ。
「私が発見した」というとき、
その人間は宇宙の記憶に生きている。
単独者として原理を発見したにもかかわらず、
先験的な相互関係を再発見したにすぎないからだ。

平均律

好きな音楽があれば
嫌いになるまで聞いてしまう。
嫌いになる理由を知りたいとしても
それは、好きになる理由とあまり変わらない。
思考したいときに、バッハの平均律を聴きたくなるのは
好きという限界を知りたいからではなく
音楽を好きにさせる意図を超越する方法として
無限に対するバッハの操作主義的な作曲法が理解できるからだ。
それは永続的な方法にちがいない。

脱カタログ化

ダイマクションカーはボディとシャーシー以外は
すべて当時の自動車部品のカタログから注文してアセンブルされている。
V8エンジンはフォードが提供している。
1930年代からすでに新製品は既製部品から構成されていた。
それから80年以上が経過した現在
すべての部品をオリジナルで生産するメリットは
より少なくなっている。
無数の工場から出荷されたままの<デフォルト群>は
21世紀の予測的デザインサイエンスがプロダクトする
<トリムタブ>のほぼ完全部品になる可能性は
加速度的に高まっている。
しかし、異なった複数の既製品を矛盾なく統合するには
既知となった機能との葛藤や
新たな用途開発への混乱をもたらす断片化と
頻繁に闘わなくてはならない。
開発過程での葛藤や断片化はデザインの不足よりも
関係性の発見の不足から生じているからだ。
異業種界の無数のカタログに潜んでいる
新たな関係性の発見とそれから発生する機能の獲得は
自然界から新種の生物を発見する行為に似ているだろう。
デザインサイエンスの実践によって
新しいユーティリティが従来のカテゴリーの相互関係を陳腐化する時だ。
シナジーという脱カタログ化現象は広範囲に始まっている。

構造の死

古い構造が死んで
新しい構造が生まれるのではない。
テンセグリティが発見されるまで
構造は存在していなかった。
つまり、構造が死ぬことさえ不可能であった。
この科学的事実を認識できないほど
専門分化は概念の牢獄に繋がれている。
構造は容易に記号のテクノロジーに
置換されてきたのである。
これから構造が誕生する前に、概念が死なない限り
テンセグリティ理論でさえ
実験から理論を陳腐化できないのだ。
さらにその理論が作業仮説という
デスクトップ上( desk top theory)に存在する限り
まだ原理ではないのだ。
これらの操作の過程で
原理の発見は偶然にやってくる。
偶然はまだ構造のように記号化されていないからだ。

再び操作主義へ

秩序から生まれた操作方法が
さらに次なる秩序を生み出すのではなく、
操作主義から発見された秩序が
さらなる操作方法を生み出すのである。
この客観的な操作主義は
科学テクノロジーではなく、自己のテクノロジーに属する。
それは1000万人に一人の割合で経験されている。

「既製品を使え!」

バックミンスター・フラーは、唯一命令形の言葉を残している。
その命令を完全に遂行したプロジェクトはこれまで存在しなかった。
その理由は彼でさえ、完全には成功していかなったという事実で十分だろう。
しかし、工場から出荷されたままの<デフォルト群>が
21世紀の予測的デザインサイエンスによって生み出される
<トリムタブ>の完全な構成部品になる可能性は
バックミンスター・フラーの時代よりは比較できないほど高まっていた。
異なった複数の既製品を矛盾なく統合するには
既知となった機能との葛藤や
新たな用途開発への混乱をもたらす断片化と
頻繁に闘わなくてはならないだろう。
葛藤や断片化はデザインの不足よりも
関係性の発見の不足から生じているからだ。
産業化における量産とは
原寸大プロトタイプという原型の再生産であるが
量産された既製部品からなる
デザインサイエンスの<トリムタブ>においては
もはや構成部品のいかなる複製も不要になるだろう。
<トリムタブ>では
重さのない新たな機能が複製されるだけである。
その機能はどんな既製品の個別の機能からも予測できなかった
包括的システムから生まれる。

相補性

世間では、ポジティブとネガティブは
互いに反転可能な鏡像関係にある。
正義とモラルは
悪と懲罰にそれぞれ置換できる。
そして、明晰は、愚鈍と非論理性に
裕福は、貧困と不足に
愛情は、暴力と無関心に
知識は、無知と競争に。
自然は、ポジティブとネガティブを
互いにネガティブな関係で構築しない。
ネガティブな存在は
けっしてポジティブな存在の反転からは生成されない。
電子が陽子から生成されないように
自然は非鏡像的な存在を共存させている。
同時的または非同時的に。