コスモグラフィー」カテゴリーアーカイブ

デフォルトの美

検索によって
過去に照らして現在を解釈するかぎり
現在というあるがままのデフォルトの美しさを
とらえられないばかりか、
現在から遠ざかる手段となっている。
検索すればするほど
現在を過去と似た部分で重ねる行為は
より加速するビッグデータで
人類は違いよりも互いにより似てくるのである。
これ以上の神秘の腐敗があるのだろうか。

実験教育とシナジェティクス

原爆実験の後のヒロシマでは
こどもがこどもを教える<教科書のない>教育システムが
教会が運営する幼稚園や公立の小学校で実験された事実は
セシウムの内部被曝の事実と共に隠蔽されてきた。
戦後復興の混乱のなかで
こどもにとっては学校が一番楽しい場所となるこの教育実験の結果は
1950年代から始まった冷戦時代の米ソの宇宙開発競争に
勝利するために全米の幼児教育で表向きは
「モンテッソーリ教育」として後に利用されたのであるが
こどもにいっさい試験をしない理想的な教育理論の実験は
<規範となる教科書がない>ばかりか
<監視する教師がいない>実験でもあった。
こどもがこどもを教える過程で
こどもは様々な原理を自律的に発見していく。
この革命的な教育実験なくして
私はバックミンスター・フラーの教育理論を理解できなかったばかりか
彼との共同研究を支えてくれた動機など存在しえなかっただろうと思う。
書物や情報に対する依存心、競争に対する依存心、
そして権威に対する依存心などは
規範と監視のための<教科書と教師>を陳腐化した
教育システムではほとんど形成されない。
シナジェティクス教育には、
初等教育も高等教育も専門教育も存在しない。
こどもは、すでに混乱から秩序を発見する自律的な才能を備えている。
彼らは言語を自ら形成できるからだ。

モデル言語

シナジェティクスモデリングは原理の理解のための方法ではない。
シナジェティクスのモデル言語の生成こそ
手段であり同時に目的である。
モデル言語の生成過程を注視し洞察することによって
自己は非常に鋭敏になる。
そのプリセッションとして
シナジェティクスモデルが発見される。
内的なカオスから脱却するこの生成過程で
しばしば直観の役割を経験できるだろう。
自己と自己との関係に
宇宙の要求が投影される瞬間をはじめて知ることができる。
それは知識から知ることを破壊するだろう。

目的論

星雲の一生に比べて
あまりにも束の間にすぎない生命には
つねに非対称な遅延
あるいは様々な空虚が訪れる。
その空虚を
無数の知識や世間話、
そして投資や消費に飽きたら
神秘への逃避で満たそうとする。
われわれを互いに孤立させ分断するのは
権力による合法的な目的であるが
生命の目的は科学的知識から除外されている。

非人格的な神(=Cosmic Integrity)

Cosmic Integrityの実在を科学的にも証明できるとするのが
『シナジェティクス』である。
シナジェティクス原論を構成した『コズモグラフィー』
(バックミンスター・フラー著、梶川泰司訳 白揚社 2007)は
数学的証明可能なシナジェティクス原理群のみで記述されている。
『シナジェティクス』には
21世紀のメタフィジックスを決定的に先導する
シナジェティクスの諸原理とそのモデル群が存在する。
Cosmic Integrityは
シナジェティクスモデル群に内在する
先験的な構造とパターン(=デフォルト)を
デザインする<非人格的な神>を意味する。
☆『シナジェティクス』は『宇宙エコロジー』
(バックミンスター・フラー+梶川泰司著・訳(美術出版社 2004))
の一部にその翻訳がある。
☆また『コズモグラフィー』には『シナジェティクス』1975年以後の
死の直前までのフラーの発見したシナジェティクスモデルが記述されている。

直観

何かになろうとする願望によって学習するかぎり
努力は報われるという信念によって行動するかぎり
競争と支配の世界が確実に築かれる。
何かになろうとする願望は
組み込まれた葛藤と重圧を生むが
興味に基づいた学習と行動は
真実に接近できる喜びを生む。
その喜びこそが直観の源なのである。

続3)テンセグリティのもう一つの機能

原子物理学者はどんな原子核構造からも
テンセグリティ構造システムを予測できなかったが
テンセグリティ原理が発見され
半世紀が経過したとき
他の天体から届いた隕石の中に
バックミンスター・フラーレーンという
炭素からなる球系テンセグリティ構造が発見された。
どの物質を構成する原子核構造も、
そしてどの有機体生命を構成する細胞も
テンセグリティ構造システムを採用していたのである。
そしてこのことに気づくことが
テンセグリティのもう一つの機能である。