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開放系メタフィジックス

開放系哺育器は
国境のない閉じた大気圏だけで十分である。
人間が使用する前に
46億年間も安全かどうかテストしたのだから。
哺育器をデフォルトに戻すのは
政治家が委託した私企業や科学者ではなく
テクノロジーだ。
所有されない宇宙のテクノロジーは
メタフィジックスにある。

操作主義の役割

川に浮かぶボートからもう一つのボートへ
ジャンプして移動した瞬間に
それぞれのボートは
互いに遠ざかるだけではない。
互いに離れて運動する2つの物体の動きは
作用・反作用だけでは捉えられない。
川岸からその2つのボートの動きを見るまでは
ジャンプする人には観察できない
非同時的な第3の動きがある。

続)動的平衡モデル

シナジェティクスでは
テンセグリティは非生物であるが
有機的システムである。
自律的なテンセグリティ構造はまだ存在しない。
基礎を必要とするすべての構造は
本質的にテンセグリティ構造ではない。
大地に依存するだけで
動的平衡はすでに失われているからだ。
細胞には動的平衡はみなぎっているが
生命を保護するテクノロジーには
応用されていない。

有機的(organic)について

有機的(organic)とは
統合された再生的なシステムのことである。
水耕栽培のレタスや他の惑星の生命現象を
理解する概念だけではない。
セシウムでさえ有機的である。
その半減期が有限であるのは
すべての元素が再生的に統合されているからである。

動的なアイデアについて

現在の特許文献の形式は
最初に従来技術との比較から始まる。
発明の根源が比較から生まれ
ロイヤリティへの幻想が発明のエネルギーである場合
その発明は恐ろしく近視眼的で短命になる可能性がある。
この短命さが半歩先のビジネスに不利にはなるとは限らないからだ。
短命な発明にとって
もっとも手っ取り早い現実化(=realization)とは
現金化(=realization)と等価である。
一方、包括的なアイデアは
発明者が置かれた現実の諸問題に
発明者自身が全的に直面して生きること
他者の概念や過去の幻影、文献などの記憶を通さずに
全的に現実の矛盾に触れることから生まれている。
発明とは人々の生活を改善するために
革新的で現実的なアイデアを
物質的に変換する
いわばエンドレスな無償の行為に近い。
優れた発明には先見性がある。
その特許権の有効な期間内に
成就できないほどの包括性と不可分な先見性は
無償の行為に接近するだろう。
過去の歴史の中でついに現実化しなかった発明が
しばしば、直観や思考を費やさければ到達できない
動的な展開力をもった先見性に満ちている場合は
芸術作品と同じように
優れた発明も<物質はつねに遅れてやってくる>という
表現行為として受け止めることができる。

閉じた空間について

自然ウランU-238の原子核崩壊に伴って生成される超ウラン元素は
人類による完全な人工物であることを自負してきたが
その相互作用は原子炉内部だけでは保たれなかった。
いまでは原子炉外部のすべての環境が
長期的なあたらな相互作用に巻き込まれた。
<閉じた原子炉>という空間の存続は
不可能である。
あるいは、自然はテスト済みであった。
つまり自然には
<閉じた空間>は存在できないのである。

人工物

原子炉爆発
あるいは核分裂に伴う
人工的な超既製品(たとえばプルトニウム)の拡散によって
2011年から平均寿命が低下しはじめたのではなく
われわれの体や環境のすべてを構成する元素群が
恒星・超新星として
ふたたび光り輝く時期が早くなったのである。
われわれの精神が光り輝くよりも
いっそう早く
太陽系のどこにも行き場がない
プルトニウムと共に。

互換性について

生命体と非生命体を構成する
有限な92種の既製品には
完全な互換性がある。
その起源を理解しようとすると
太陽系外にまでに自ずと興味が湧いてくる。
完全な互換性は
もっとも高度な知性から生まれるが
興味は情報からではなく
無知から生まれる。