胃袋に入った水や食べ物の移動や
胃の内部でのそれらの温度変化を感じることはできない。
肺に入った空気の温度変化を感じることはできない。
食物が私の爪や髪を伸ばしたはずであるが
それらの成長の変化を意識できないばかりか
長くなった爪や髪を切っても痛みはない。
しかし、脳に入った知識や情報の新たな相互結合や解離を感じることができる。
それは理解という段階を自発的に形成する時に感じられる。
もっとも神秘的な理解は
最初は互いに隔絶していた知識が実際に物事を経験することによって
突如として相互に関連していく知識を習得する段階に訪れる。
相互に関連する知識は
異なった特別な個人的な経験によって
新たな知識として再起動され
それまでの間違った知識を破壊する行為から生まれる。
その初期化への開放感は名状しがたい。
しかし、それゆえに
その喜びで震えるほどの統合される瞬間へと
導びく確実な方法を
だれも教えることはできない。
ーーーー自分にさえも。
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バイオミミクリー
人間以外の生物に著作権がないと主張する学問は姑息である。
デザインサイエンスがけっして生物形態を模倣しないのは
人間は想像力を駆使すれば
彼らの方法を模倣しなくても十分だと
自惚れているからではない。
人間は自然が採用したデザインを発見する以上のことはできない存在である
という考えに基づいて
自然が利用する諸原理の発見を絶えず試みているからである。
科学的について
科学には想定外がない。
人間にとって自然の神秘はつねに想定外である。
その神秘は無限に存在する。
過去からも明日からも自由であるための初期化
と同時にそれらを超越する存在と交感できるのは
瞑想ではない。
自己のテクノロジーである。
関係について
<関係>は
形態でもなく
重さでもない。
重さや構成要素をいっさい変えなくとも
構造全体が変わる時こそ
部分と部分との<関係>を変えた時だ。
続)モデル言語学
シナジェティクスがもっとも回避するのは
形態美を獲得するための手段とその欲望である。
例えば
張力エネルギーが圧縮材と張力材の非鏡像的な構成要素を統合して
テンセグリティに変換されるプロセスに<美>は介在しない。
目的化された合目的な終極プロセスの生成変化において
自然は人間が作り出す<美>に無関心である。
モデル言語学
モデル言語における構造化は
構造における言語化の発見の後にやってくる。
テンセグリティ構造における圧縮材も張力材のように
テンセグリティ構造を構成する反対称的な要素は、
構造を離れてそれ自体の自律性を持たない。
(ギリシア哲学者による静的固体的な幾何学のモデリングの体系化から
25世紀間を経過した後に、
動的な幾何学のモデリングの構造化から
テンセグリティの原理の発見が始まったのである。)
シナジェティクスモデルと
デザインサイエンスにおける原寸大のプロトタイプモデルとの
本質的な分離は不可能である。
シナジェティクスモデルも原寸大のプロトタイプモデルも
実際に自然の原理が機能している。
しかし、21世紀の建築家のほとんどはモデリングから
主要な構造的な機能をすっかり除外した形態モデルを
<建築モデル>と呼んでいる。
続)軌道
知識には
知識とその知識を使う方法が含まれる。
読んでも
聞いても
見ても
考えても
それだけでは習得できない
方法がある。
特殊な解決方法の限界についての理解は
学習した理論をしばしば侵食することによって
獲得される軌道上にある。
見えない中心と他の軌道を発見するための。
続)シナジーvsハイブリッド
有限な地下資源から変換する
もっとも危険なエネルギー生産手段を放棄するためには
これまでのように発電したエネルギーを
バッテリーで保存するよりも
主に水素エネルギーで保存する方法革命が
これまでの方法を短期間に退化させて
人間をもっとも発展させるだろう。
水素は宇宙のどこでも
もっとも豊富なシナジー型元素だから。
部分と全体
システムを構成する各部分の分析や評価から始めるほど
全体の理解は遠ざかる。
クロノファイル
クロノファイルとは
あらゆるタイプの<消しゴム>を使用しない
思考の出来事のすべての履歴である。
20世紀のアプリでは<消しゴム>の代わりに
ハイパー言語とレイヤーが発明された。
クロノファイルは
レイヤー毎に保存された
試行錯誤(=絶えざる間違い)の時間順序(chronology)である。
もっとも身近な
この神秘な現象の履歴こそ
あらゆるタイプの<消しゴム>を受容しなかった行為であるが
ほとんどの子どもは10歳までの教育組織によって
この単純なデフォルトが優先的に変更され
非選択的にされるのである。
自己教育の方法においてもそれはほとんど変わらない。