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テンセグリティによるテクノロジー批判とは何か

テンセグリティ構造によるテクノロジー批判の歴史的な視点が存在する。

1.
バックミンスター・フラーによる1949年のテンセグリティ原理を拒否・回避・制限し
固体的構造の定義に立ち返るという記号テクノロジーを支える建築概念の批判
2.
普遍的な自然の構造に対するシナジェティクスモデルと形態モデルとの相違による批判
3.
<記号のテクノロジー>による権威が真理であることを真理として受け入れない場合の
<テクノロジーの確実性>への批判
4.
テンセグリティによるテクノロジーへの批判は
モデル言語の形成過程に深く根ざしているという
メタフィジックスからのテクノロジー批判。

それは、モデリングという手による<無意識の精密機械>への信頼を受容する
シナジェティクスから生まれる。

動く<小さなバイオスフィア>

この20年間(1996年の直径11mの展開型モバイル・テンセグリティシステムの
プロトタイプの実現から2016年まで)を通じて、
私のテンセグリティの目標は何であったのか。
それはその構造を発明し解析することでも、その解析の基礎を築くことでもなかった。
まして、アウトドアの歴史を拡張することでもなかった。

私の目的は、人間の生存可能な生活空間において
人間が都市やイデオロギーに服従化されないためのモバイル構造に、
テンセグリティ原理を適用する以上には存在していない科学性と実用性を証明し、
さらに、個人が自力でその自律的構造を再現する経済的な独自な方法を発見し、
そして、実行することであった。

そして、動く<小さなバイオスフィア>の歴史は日本で最初に実行されている。

動機付け(Know Why)

シナジーの概念とその現象の科学的再現において
ついに学校は教育しない場所になった。

この考えは、こどもを学校で淘汰し、
学校は彼らの直観を打ち砕き、
種々の試験制度によって心理的に物理的に押し潰し、
社会が容認しない動機付け(Know Why)を淘汰すると
当時私が怯えていた見えない矯正装置を説明できるだろう。

分断して統治するシステムは
専門分化とその憧れを加速する。

概念

思考方法は本来、自由である。
しかし、人間の思考のほとんどは、概念の牢獄につながれている。
繋がれていることすら、気づかないほどに。

シナジェティクスは、概念の牢獄からの脱獄方法に深く関与する。

通底システム

自然の深層において通底し、
私の存在以前にあって、
時間と空間の中でわれわれの存在を支えている階層構造を
シナジェティクスは
峻烈な視覚化可能なモデリング行為とモデル群の発見によって
自然の階層構造の存在を暗示してきた。

意味というものは、
ある種の表層的な段階での人為的な記号作用の結果にすぎない。

例えば、
正多面体(プラトンの正多面体=Platonic Solid)という概念から引き出される意味を
支えた歴史などは、永遠性を期待できる大理石(Solid)への加工方法に関する
卓越した三角関数の変換ノウハウの独占の歴史であり、
シナジェティクな通底システムを理解すれば泡のように消え去るであろう。

段階

シナジェティクスの知の階層構造には
感性的直観に対立するどころか
その直観から生まれ、自然の知に統合されるという段階がある。

未知へのシナジェティクスへ

表象がシナジェティクスモデル言語に完全には帰属させられてはいない。

つまり、多様性が予め結合した状態で主観に与えられてはいないことこそが、
宇宙の階層構造の諸表象との相互作用をつねに可能にする。

シナジェティクスモデルからの表象が
どのように触発されるかによっては規定されず、
表象を合成することにおいて自らのモデル言語を規定して行く回路がある。

バックミンスター・フラーが
即座に20代の私のその認識回路を看破した瞬間から
そしてその瞬間を共有したバックミンスター・フラー研究所
(1981年当時はフィラデルフィアのサイエンスセンター)という<磁場>から
自らの未知へのシナジェティクスが開始されたのだ。

知(Integrity)の探査における、師(マスター)の存在は明確であった。
しかし、彼の最晩年という希有な段階だったのである。

思考とモデリング

残されたモデリングに
思考した以上の情報が内在している現象を
経験したことがあるならば、
思考とモデリンググの相補性は
批判であると同時に存在論であるような
思考の方法の本質的な在り方なのである。

しかし、この方法によって、
つまり、ある種の<意図的>な戦略に沿って
自然のシナジェティクス原理を発見するまでには
10年の歳月がかかるだろう。

もし、それ以外の方法と試練で到達できたなら
野生の思考力を備えていたに違いない。

その野生の思考力こそ
外部宇宙との互換性があるに違いない。