主観性=自己投影される自己の意識において
個人が自己と他者性とで保つ諸関係は
実は構造ではないのかという問いかけから
テンセグリティを理解しないのだろうか。
自己の動的均衡のために
なぜ圧縮材が不連続であり続けるかを
問いかける必要があっただろうか。
モデル言語は、形態(form)には存在しない。
主観性=自己投影される自己の意識において
個人が自己と他者性とで保つ諸関係は
実は構造ではないのかという問いかけから
テンセグリティを理解しないのだろうか。
自己の動的均衡のために
なぜ圧縮材が不連続であり続けるかを
問いかける必要があっただろうか。
モデル言語は、形態(form)には存在しない。
21世紀のデザインサイエンスが
自由の実践から自由を反省的に自己のテクノロジーへと結びつけないで
プロダクトデザインとして他者に提案し
実践していくことだとしたら
直観と美は、シナジェティクスから離れていくだろう。
実用性を排除したオブジェの純粋さという
幻想と絶縁したままで
今日のアイデアは、昨日のアイデアに対して、
いかなる差異を導入できるのか。
現在を理解しようとはしない
現在を破壊する一つの差異を求める行為に
発見はやって来る。
そして、現在までの概念を形作っている
言語が剥がれ落ちていくまで
発見はやって来ない。
差異は
外部からの情報の交換ではなく
内部の破壊から生まれて来る。
最古の屋根構造は、船底を逆さにして利用しながら
海岸から川を遡上して内陸へと移動したのである。
波に砕けない船体強度の設計方法は
内陸での風雪に耐える建築空間を拡張できたのである。
こうした自律的な独立した構造としての建築が消滅したのは
自動車や飛行機が登場してからだ。
シナジェティクスが、出現した理由でもある。
太陽系での自律的構造は
生成と分解を繰り返しても消耗しない
水素原子のようなモジュールの概念から
デザインされるが
地球建築はいまも建築コードで書き換えられる範囲の空間構造である。
太陽系の他の惑星では使用できないほど
それは人為的である。
シナジェティクスは
自らの構造原理の解析と統合の方法を書き込んだ
コスモグラフィー的情報から
突如構築される。
自然のシステムを再現する
シナジェティクスのモデル言語は
自らのモデルが帰属している言語の価値と意味作用とを
劇的に変えてしまうほどのシンタックスを前提するようになるのだ。
構造とパターンの生成には
このシンタックスとセマンティックスの相互作用が関与する。
この相互作用の発見には、
テンセグリティシェルターの内部空間こそ
その触媒作用をもっとも加速する場所である。
テンセグリティシェルターは
生活器であると同時に
コスモグラフィー的情報を受け取るための
優れた受容器である。
自己の生命に関する〈知〉は、生物学や医学の範疇にはない。
自己の身体の統制に関する技術は、武術の範疇にはない。
生命との身体との統合こそが
操作主義的な自己のテクノロジーを構成する。
たとえば、微生物と生物触媒との体内における意識的な相互作用は
自己のテクノロジーを短時間に効果的に変容させる。
シナジェティクスが
思考の触媒作用を加速させるように。
フライズ・アイのプロトタイプを完成させた
1982年当時のバックミンスター・フラーは
最後の学生の私にジオデシック構造やテンセグリティ構造を
もっと発展させるべきだと一度も言わなかった。
シナジェティクス・モジュールを
シナジェティクスト・ポロジー(私の初期論)と共に探究すべきだと助言しただけだ。
すべての構造を支える
<素粒子的段階>が発見されていたからだが
それを理解したのは、彼が1983年そのフロンティアから去った後だった。
その33年後も素粒子的段階は漸進的変化を遂げている。
しかし、この素粒子的段階には無限性は存在しないだろう。
最晩年のバックミンスター・フラーの
シナジェティクスにおいて変化したのは
形態よりもその体系的モジュールの方だ。
モジュール間の関係がこれまでの<構造>を変えたことにある。
この構造的変化のため、今まで到達不可能であった<構造>が発見され
素粒子物理学のように言葉とモジュール(量子や素粒子)という領域の間に
新しい結びつきが生じた。
(バックミンスター・フラーのシナジェティクス理論から生まれる
モジュール理論に関する独創的な研究を示さない開発者の場合は
この半世紀間、ジオデシックスやテンセグリティの形態的模倣で終わっている。)
シンタックスとセマンティックな相互作用から
生まれる種々の相互変換のプロセスの記述は
神聖幾何学が<神の予言(divine)>へと閉じ込めてきた世界だ。
それは、〈地下の水脈・鉱脈を〉発見する行為のように
依然、想像力によるDNA的秘法であるに違いないが
宗教的な方法には関与していない
未知をシナジーに内包させたまま
真実に接近する技法なのである。
・
あらゆる視点から
実現可能な方法を
時間とエネルギーと素材コストから
包括的に思考し、最良の形態とシステムを判断できる人は
専門家ではない。
レイマンしか可能ではないのだ。
つまり、プライムデザイナーは
もっとも純粋なレイマン(complete layman)である。
レイマンとは素人のことである。
21世紀の自動車も飛行機も
シェルターも
この希有なレイマンしかデザインできないのである。
リアリティはもはや表現技術から生まれない。
それは世界との対話の側にあるのではなく
まして形態やビジュアルからではなく、
シナジェティクスモデルが
モデル言語の内的で交差したモデリングの過程から
生まれるように
真実や美が生まれる場所が
デスクトップから移動したのだ。