私はシナジェティクスの後継者ではない。
物理学に後継者が存在しないように
後継者はなにも挑戦しない。
私はつねに動的に安定する構造の発見者である。
そして、プライムデザイナーの教育者である。
私はシナジェティクスの後継者ではない。
物理学に後継者が存在しないように
後継者はなにも挑戦しない。
私はつねに動的に安定する構造の発見者である。
そして、プライムデザイナーの教育者である。
シナジェティクスの自己認識は
モデリングで十分である。
シナジェティクス・モデリングは
自己を外から見る行為に他ならない。
しばしば、その行為は
自己の思考方法から逸脱する偶然性を
呼び寄せる前提条件を作り出すのである。
自己を外から見る自己は
最初のモデリングの対象である。
まったく思考されなかったものをモデリングする。
発見すらモデリングの後にやってくる。
この方法が最古のモデリングである。
つまりシナジェティクスモデリングは
言語以前の直観的な概念破壊であり、
夜空の星々から新しいナビゲーションの方法を
読みとることにほかならない。
構造よりも優先し、パターンよりも優先する存在。
個的存在性を震撼させるその発見なくして
数学は構造とパターンに関与しない。
シンメトリーは、原子核の構造とパターンに採用された。
そして、もはや個的存在性を作品として練り上げる人々の方法から
新たな空間構造は生まれない。
シナジェティクスにおいて
容赦なく幾何学と分離する時間は、むしろ
デザインサイエンスと融合させる活動をより明晰に包括的なものにする。
こうした時間はプライムデザインの主権を
実践的だが、脆く、妥協に満ちた不確定的なノウハウと呼ばれる
知的習慣から奪い返すことができる。
デザインサイエンスの概念には
これまでの知的階層構造を無化する
反権力的思考が含まれる。
デザインサイエンスは、建築とはその起源を異にする。
シナジェティクスモデリングとは
モデルの現実的なモデル言語の破壊力によって
別なものへの相似なきその転換方法と
それらに到る過程を経験することを意味している。
その目的から
自己と宇宙との相互作用を除外するかぎり
宇宙における知の獲得のみを目的とする
科学的執拗さを肯定する価値観とは無縁なのである。
その科学的執拗さは
みごとな知的奴隷層を形成していることは明らかである
モデリングとは本源的な思考による
受動性の否定である。
しかしこの否定は、
多様に先行する概念に対して
実践的な作為として理解されるだろう。
けれども、隠れた意味を探し出すことから
概念の破壊へと向かう野性的な技法でもある。
モデリングの技法の劣化の始まりは
美的な基準に基づいたモデリングを目的化したときである。
手は、他者の退屈な思考言語の破壊装置である。
圧縮力は、〈それを受ける側〉を攻囲し、
その受容する側を介して貫かれる。
その時、その圧縮力は圧縮される側を拠り所にする。
さらに、その相互作用から受ける側が、
圧縮力を加える側への反作用を拠り所にし始める時は
互いに未だ鏡像的なのだ。
作用と反作用からは、何も生まれない。
しかし、圧縮力によって張力が形成された場合
真の反対称性が存在する。
それらは、鏡像的ではなく相補的な存在へと変換されている。
この概念を理解する過程では
シナジェティクスモデルが発見された後に
理解されるという独自なメタフィジックスがある。
構造から構造を形成していない要素を
構造自身から引き剥がす限界経験という概念なくして
テンセグリティ構造は生まれなかった。
シェルターほど、その限界経験を
直接的経験として再現されるものはない。
モノコック(monocoque=1つの殻や貝殻)は
まだ限界経験を経由していない過渡期の
産物だ。
例えば、鳥の卵や航空機はモノコックボディであるが、
モノコックによる構造の巨大化は困難だ。
原子核構造は、モノコックではない。
むしろ穴だらけで不連続である。
自然は、モノコックによる構造のナノ化も困難である。
構造とパターンを開発するとは
真理の探究ゲームにおいて、自己自身の変化の峻烈な試練として
構造とパターンを発見するという結果に終わるはずである。
他者のための生活空間を目指して
建築的方法を独創的な方法で占有する
という目的に始終してはいけない。
建築的方法は、ほとんど権力的な知性から
編み出されたものだから。
宇宙の構造は、より重要な部分をけっして形成しない。