シナジェティクス」カテゴリーアーカイブ

自己イメージ

自己イメージは、言語の習得と共に他者によって完成される。
他者とは、そのほとんどが家族や友人そして学校である。
シナジェティクスのモデル言語は
宇宙との相互作用によって
その自己イメージを砕くようにして成長していく。
宇宙の固有性や異質性は
外部性だけではなく
自己の内部をも形成する。
<宇宙とは自己を含むすべて>R.B.Fuller

地球温暖化説

昨晩のNHKでは
広島の大規模土砂災害が
地球温暖化説をもとに解説された。
地理学なき土地資本主義の犠牲者は
間違った理由からふたたび埋葬される。
局所的な事実にこだわる科学者を信じてはいけない。
彼らが終身雇用された国家公務員だからではない。
二酸化炭素をお金と交換するシステムに、意志を託してはいけない。
そのシステムが原発を輸出しているからではない。
真実は、事実を統合したものではないからだ。
事実はつねに編集され、真実は発見されるのみである。

反対称性

多くの女性は男性を変えようとする。
同時に
多くの男性は女性を変えようとする。
このタイプの鏡像的対称性は理解しやすい。
問題は、その後の非鏡像的対称性にある。
変えることに成功すると、その男が好きでなくなる。
同時に
変えることに失敗すると、その女がより好きになる。
この非鏡像的対称性を反対称性として最初に認識されたのは
第2次世界大戦後である。
反対称性の概念は未だ十分に理解されていないが
自然の内部に存在する。
1981年、シナジェティクスはこの反対称性モデルを発見している。

教師

教師とは
教師が他の教師を教えることに成功した
訓練された再分配システムのことである。
創造性は
この再分配システムに不要であるばかりか
分配の効率を阻む存在である。
こどもの個性と自由は
この分配の効率の範囲内で許容されているに過ぎない。
外部のすべての教師は
時代遅れである。

科学教育

原理を発見した科学者が
その原理の仕組みを論理的に説明できるが
なぜ発見できたかは論理的には説明できない。
自然に関する論理性は
原理の発見後にしか再構成できないのである。
ほとんどの科学教育理論は
原理を発見した科学者自身がこしらえたものではないかぎり
人間が望んでいる論理性に偏向し過ぎている。
科学的な思考方法や専門化された公式などが
教育できているだけである。
つまり、科学を構成しているすべては
教育できないのである。
この事実を教育する教育理論は希有である。

環境デザイン

実践によって環境をデザインできる。
しかし、環境を支配できないのは
人間は環境の一部でしかなく、
どの部分からも全体から見通すことすらできないからではなく、
「環境とは、自己を除くすべて (R.B.Fuller)」だからである。
そして「宇宙とは、自分を含むすべて (R.B.Fuller)」であり、
自己を除外して全体は存在しないからである。
環境デザイン理論は、洞察の一形式であり
ダーウィンから始まった生態学的思考形式の一つのタイプでしかない。
環境の部分も全体も
自己を除いて互いに繋がっているにすぎない。
こうして、科学的行為に自己を除いて
投影された理論を求めている人々を
知的だと考える習慣がまだ生き残っている。

ハイエンドユーザ

テクノロジーの超専門家になろうとする若者たちは
原理の発見者とその概念化に失敗しても
たいていそば屋かうどん屋で生活できるとは考えていない。
だからこそ、才能が開花しない場合
権力構造と権力テクノロジーの虜にされる。
動機なき超専門家を試行する人間に
思考言語(thinktionary)の形成は困難である。
彼らが記号テクノロジーの
ハイエンドユーザであるかぎり
動機なき超専門家を教育するシステムは存続する。

科学論文

科学論文投稿までには
「1. 着想・企画、2. 実験の実施、3. データの解析と図表の作成、
4. 論文の文章の書き上げの4段階」があるらしい。
科学的発見の過程に
科学論文の記述方法の天才性などは介在しない。
なぜなら、科学は<着想>から始まるのでなく
<発見>から始まるからである。
優れた<着想>を作り上げるための科学論文の記述方法の天才性などは
専門分化に従事する専門家たちの自惚れである。
原理の発見者とその概念化におけるパイオニアは、
しばしば、論文のレフリーや熱狂的な投稿者とは無縁な生活をしている。
シナジェティクスは学会を形成しない純粋科学における
探究方法を開発してきた。