物理学はメタフィジクスに包括される。
宇宙はそのメタフィジクスを包括する。
それだけではない。
宇宙は自然に包括される。
それだけではない。
シナジーはその宇宙を包括し、さらに自然を包含する。
科学は1950年代の一般システム理論までシナジーを思考の対象にできなかった。
同時に、シナジーを超える存在を思考の対象外にした。
そして、この思考法が存続するかどうかはまだ実験中である。
このお金のかからない最後の実験を
専門家に委託してはいけない。
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シナジェティクス
物理学(フィジクス)を包括するシナジェティクスは
よりメタフィジクスである。
メタフィジクスは宗教と同じ理由で教育課程から除外された。
資本主義圏でも共産主義圏でも変わらない。
デザイン
自然に再生以外のバージョンアップは存在しない。
各部分をそれ以外の部分から見た時の相互の関係を
デザインした結果、元素は92種で十分だったからだ。
これ以上に配慮されたテクノロジーがあるだろうか。
自然資本主義
既製品を使えとバックミンスター・フラーは言った。
われわれの身体も92の元素という既製品でできている。
レゴと異なるのは、その構成部品が絶えず外部の既製品と
交換されていることだ。
テンセグリティ・シェルターのデザインが
既製品のアセンブルに成功すれば、
すべての構成部品は絶えず外部の既製品と
交換できるだろう。
これはもっとも効果的な自然資本主義である。
反対称性
科学者にとって、
宇宙が自然を包括し、
自然がシナジーを包括している。
しかし、バックミンスター・フラーにとって
自然は宇宙を包括し、
シナジーは自然を包括している。
私は、これほどの知性(ブレイン)とマインドの反対称性を知らない。
自然を模倣する
シナジェティクスは自然に学ぶ。
そして、テンセグリティを発見した
しかし、「自然を模倣する」ことからではなかった。
自然の原理が、形態の観察から発見されるなら、
細胞がテンセグリティであることは、
19世紀までの顕微鏡の機能から発見できただろう。
生物学は20世紀の電子顕微鏡でもテンセグリティ構造を観察できなかった。
テンセグリティ原理を学習して
細胞を顕微鏡で見ると、細胞は実際テンセグリティとして観察できる。
生物学の構造の定義は1世紀以上も細胞壁にあった。
(たとえば人体は1兆個の小さな柔らかい壁の集積として定義された。
城壁が国家の閉じた領土を表すように。)
異なった現実は最小限の構造単位に対する概念の違いから発生する。
概念は観察できない。
「自然を模倣できる」のは形態のみである。
自然という一つの現実のほとんどは、未知である。
それゆえに、シナジェティクスは自然に学ぶ。
テンセグリティ
技術的に無知であればあるほど、適用する安全係数は大きくなる。
直径に関わらず、ジオデシック・ドームが経済的にデザインされることは稀である。
2×4材を使った合板ベニヤなどのドームハウスも
安価といわれる竹ドームにもアルミパイプドームにも
過剰な物質が使用されている。
もっと実験が必要だ。
つまりテンセグリティを学ばなければならない。
テンセグリティは理論でもオブジェでもない。
生き延びる道具だ。
学習
ウラニウムが水素の応用ではないように、
学習に基礎と応用はない。
基礎と応用の区別を教えなければ、
自発的にはじめた学習は包括的になる。
実際には機能しない
多くの習慣を経験から発見するからだ。
ドメイン
子どもは積み木が好きだ。
子どもが好きなのは立方体という形態ではなく
それらの結合の方法である。
自然はもリンゴも卵も星も、そして子どもの頭蓋も
立方体以外にデザインした。
われわれの環境だけが立方体で満たされていることは
偶然ではないだろう。
月や火星計画で立方体の装置がほとんど採用されていないのは、
立方体が効率的になるような法律と社会は
大気圏外では効果的に機能しないからだ。
シナジェティクスに積み木という概念は存在しない。
空間は領域(ドメイン)に分割できる。
最小限のドメインを集積するとほとんどは立方体にはならない。
(つまり、立方体は最小限のドメインではない)
最小単位としてのドメインはすべて有限な種類の4面体モジュールとして
この半世紀間に発見されてきた。
4面体モジュールは子どもにとって、積み木よりもおもしろい現実にちがいない。
シナジェティクス・モジュールに関する唯一の日本語の書物は
『コズモグラフィー』シナジェティクス原論
バックミンスター・フラー著(白揚社 2007)である。
私の仕事
物理学は原子の内部の出来事を扱うが、化学は原子の外部の出来事を扱う。
化学は結合と解離に関する基本的な整数的な構造を扱う。
シナジェティクスは、
これらの相互関係および整数自体の構造化に関与する。
この仕事には走査顕微鏡も加速器も不要だ。
観察から学べることは僅かしない。
実際、原理の発見があった後に、だれでも観察することができる。 Y.K
