物理的な逸脱はつねに生成され知覚されるが
すべて非現実である。
たとえば、トウモロコシが高騰しすぎて、
石油のほうが安くなるが、石油が元の価格にはならない
社会経済状況は、知覚可能であるが非現実である。
原理群の存在が唯一の現実だ。
その存在を経験することは
絶対的な実在を知ることでもある。
しかし、確実に実在に到達する方法は
科学者も宗教者も誰も知らないが、
原理はつねに直観的に発見されてきた。
原理は証明される前に発見されてきた。
このプロセスに定理のような数学的証明は不要だ。
「シナジェティクス」カテゴリーアーカイブ
無関係
静止した物事と
私と無関係な物事は
同じである。
これが静止宇宙観の思考法である。
もっとも単純な水素原子でさえ
私に対して一度も静止したことはない。
レイマンの仕事
生きるためには考えることが必要だ。
しかし、考える仕事を求めれば、
すぐに失業するだろう。
考える職業はほとんどない。
専門家は考えるのではなく、
専門の知識と技術で生活しているにすぎない。
しかし、考えることはだれも止められない。
もし、本に書いてないことを考えたら
最初にすべきことは、
その道でもっとも優れた
信頼できる個人に会いに行くことだ。
これ以上の人間的な仕事はないだろう。
考えることは人間(=レイマン)を作る仕事だから。
数学的自然
なぜエコロジーが存続できるのかは
絶対的神秘の一つだ。
しかし、重力定数が(僅かではあるが)、
つねに放射定数よりも大きいことに関係するだろう。
これを証明するシナジェティクス・モデルが存在する。
バックミンスター・フラーはこのモデルを
アインシュタイン・モジュール(E module)と呼んでいた。
アンモナイトの螺旋から対数を学ぶことができる。
しかし、E moduleの作成からシナジェティクスを学ぶことは
シナジェティクスと顕微鏡学からはじまった構造形態学との
違いを知ることでもある。
すべての数学的自然は視覚的に観察できない。
あるいは視覚的に観察するためのテクノロジーを発見していない。
参照
『コズモグラフィー』シナジェティクス原論
(バックミンスター・フラー著 梶川泰司訳 白揚社 2007)
過程
出来事ではなく、過程であるために
記録ではなく神秘を呼び戻せば十分だ。
梅雨明けまで、
緩やかな谷間の温泉宿にしばらく滞在しながら
シナジェティクス理論を完成させなければならない。
晴れた午後には、川の側の木陰で
短くて深い眠りにつけるだろう。
一般化
一般化された船はデザインできない。
船はカヌーになるか、漁船にするか、戦艦にするか
それぞれ目的別にデザインされる。
一般化されたモノをデザインすることはできない。
一般化できるのは原理だけである。
しかし、一般化したのは人間ではない。
人間は一般化された原理を持ち込むことしかできない。
部分と全体
部分から全体は予測できないが、
全体が最初に与えられた場合どの部分の機能も予測できない。
シナジーのユーザであるかぎり、
なぜシナジーがつねに自然を包括しているかは理解できない。
非固体的テンセグリティ
固体には数えられるという利点がある。
すべての生命は非固体的な構造、
つまりテンセグリティをもっているが
人体は数えられない存在形態の一つである。
個人は固体的な概念の集積だ。
ほとんど固人にされたままだ。
一般システム理論
「一部分か一部分に関係する何かを扱うこと」が不可能だと
理解できた頃に、海面上昇が起こりはじめた。
一般システム理論はエコロジーの概念よりも後に発見されている。
しかし、半世紀も前だ。
人類の一般システム理論の地球規模の体験学習に
タイムラグがありすぎるのは致命的だ。
人々がまだ19世紀の学校へ通っているからだ。
数学的経験
パターンから独立した数字は無意味である。
構造とパターンの関係を発見する方法は数学的になる。
経験は秩序化できる
もっとも身近な数学的対象だ。
ある種の経験の一般化は自然を模倣しない。
