デザインサイエンス」カテゴリーアーカイブ

短命な大黒柱

それは、より重要な部分に対する科学的言説の破壊、
社会の内部で組織される科学的言説の制度と機能によって
中心化する構造作用に対する反乱、
唯一無二の大黒柱の作用に対する反例である。

テンセグリティにおいて起こっているのは
まさに構造の無化であり
構造の定義の革命なのだ。

テンセグリティ構造が発見されるまで
人類のすべての社会において
真の構造の概念は存在していなかった。

構造を無化するのは、真の構造によってである。

崩れ落ちた大黒柱は復興において
最初に修復されるが
自然の構造によって再び無化されるかぎり
短命で高価すぎる人工物である。

反・幾何学的方法

シナジェティクスが現代幾何学上の革命的な思考とビジョンである以上に、
バックミンスター・フラーによって打ち立てられた
シナジェティクスと幾何学との相互関係と断絶を、
その後の研究者が乗り越えることができなかったということだ。

シナジェティクスと相補的なデザインサイエンスは
ともに研究対象ではなく、圧倒的な探査方法だからにちがいない。

事実、フラーは幾何学研究者であったことは一度もない。

探査によって経験された事実から
秩序を発見していく峻烈な操作主義によって
初めてシナジェティクスが形成されていく。

シナジェティクスは幾何学からは始まらなかった。
そして、シナジェティクスはシナジェティクスから始まらない。

消滅する空間と<動く構造>

活断層の上で振動し続け、その亀裂共に
引き裂かれ倒壊する無数の家屋を
この20年間で少なくとも3度も経験しながら

家屋はもはや圧死の脅威のもとで
生活するより他はない空間なのか。

全人口は、不動産ではなく
生命のための新しい<動く構造>を見出さなければ
消滅するように運命づけられていると
考えるべきである。
———-動くバイオスフィアと共鳴するように。

e・食・住(energy-food-shelter)の
生存するための三大要素は
固体的不動産という
非科学的な概念の妄想に幽閉されたままだ。

退屈な知の形式

シナジェティクスの探究には、誰の許可も必要としないイニシアティブが与えられている。
個人だけが思考することができ、自分の経験に現れる<原理>を探し求めることができる。

しかし、シナジェティクスが<主観性>によって自己と保つ関係の構築には、
権力との諸関係から批判すべき退屈な知の形式に変貌させているのではないのか
と自問する必要がある。

例えば、単なるジオデシックドームやテンセグリティに関するプロダクトデザインが
予測的デザインサイエンスで解釈される場合である。

彼らのデザインは、バイオスフィアでもっとも経済的に
そして安全に生存するための
20億機の軽量シェルターの生産技術とは無縁である。

3次元幾何学とCADデザイナー

メタフィジックスに対する従属としての自己規律という考え方は
消滅しつつあり、遂に消滅してしまったのかもしれない。
この自己規律の不在に対処し、応えるべき探求とは、
<生存のテクノロジー>の開発と探求である。

〈生存のテクノロジー〉の探求とは
デザインサイエンスであり
メタフィジックスに対する従属としての自己規律という考え方が
シナジェティクスを生んだのである。

<生存のテクノロジー>を拒絶した3次元幾何学と
それに従属するCADデザイナーは
もはや時代遅れである。

点、線、面の各モデルの組合せから
<生存のテクノロジー>の源泉となる
新たなモデル言語は一つとして発見できない。

直観と美において

シナジェティクスの諸原理をデザイン理論に組み込んで
外部に対してその実用性を望む場合や、
シナジェティクスにおけるバックミンスター・フラーの言説によって
産業上の進歩を無邪気な実証性において示めそうとするデザイン理論を
教授できると自負する場合は、侮蔑すべき何かが存在する。

そもそもシナジェティクスとデザインサイエンスは
すべての大学の外部で発見され、開発され続けて到達した
シナジーをさらに統合する<宇宙の知の階層構造>なのである。

シナジェティクスとデザインサイエンスが
これからも学会や学派を形成しえないのは
直観と美において圧倒的に
先験的メタフィジックスに関与しているからだ。

牢獄への概念

破壊された構造の復旧は、次の破壊に対する新たな法則には従わない。
制度の破壊によっても、決定的に疑似的構造は生き残る。

<固体>という牢獄への概念が生き残るかぎり
人々は、一時的で疑似的構造に閉じ込められるだろう。

<固体>的構造は、牢獄への概念に置換されている。

アーティスト・サイエンティスト

その構造は、震度7以下の大地の不動性によって支えられた
表層的な知そのものであり
真理を生産するにはほど遠い<標準>であるばかりか
人々は、大地の不動性の回復を待ちながら
その構造に近寄ることさえもはや不可能であり
大地(=脱出可能な駐車場や広場)とともに揺れ動いているのである。

つねに一定の自己利益優先(建築産業のためのegonomy)なしには
成立しない構造は、
構造を<標準>として、構造を通して記号化する<標準>の生産に従事し、
それらの<標準>を生産することでしか
その構造を維持することができない。

その構造とは、19世紀から継続される建築産業を支える土地資本主義であり
ほとんどの建築家は<標準>を再生産し保護する19世紀的専門家である。

真の居住性は、イデオロギーによる人為的な不動性を打ち消し、
波打つ海のような陸に浮かんで動く船に求めるべきである。

自己利益優先から遠ざかる宇宙船の構造を
デザインし生産する方法や道具を発明する科学者は
アーティスト・サイエンティストである。

アーティスト・サイエンティストは
芸術家にも科学者にも、似ていない。
ーーーーーー水が水素と酸素に決して似ていないように。

シナジェティクスとデザインサイエンスの基本的戦略

「原理には重さがない」という科学的概念は
モデル言語形成のためのインターフェイスであり
飛躍的な構造安定性と強度・剛性をもたらす質量のないパターンを
構造デザインの対象とするのは
モバイル・テンセグリティシェルターにおける
デザインの基本的戦略である。

シナジェティクスが境界領域から生まれたわけでもなく
デザインサイエンスが学際的に形成された歴史も存在しない。

宇宙の原理が境界領域から生まれたわけでもなく
物質が学際的に形成されているわけでもないからだ。

4つの無のテクノロジー

大災害時に破壊された都市のライフラインが修復されるまで
無管(有管から無管に、つまりバイオトイレ・風呂を含む複合発酵による水の完全再生)、
無線(有線から無線に、つまり、太陽光発電や携帯電話など)、
無軌道(軌道輸送から無軌道輸送に)、無柱(体育館などの軽量構造物の避難所)の
<4つの無のテクノロジー>に依存しないかぎり
生命は安全に維持されない。

都市のライフラインは、真の生命維持装置ではないのである。
平時における大企業と国家のための課金装置である。

軍隊の給水車や移動トイレ・風呂、大型テントなどは
まだ戦争機械の一部(=兵站線)でしかない。
公共インフラという社会資本は、
依然、宇宙資本(=宇宙テクノロジー)とは無縁である。

宇宙での移動のためのすべての道具と住居は
無管、無線、無柱、無軌道のテクノロジーを前提にデザインされている。
ライフラインの宇宙工学から
住居を包括的にデザインするのは、デザインサイエンスだけである。