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防衛庁から防衛省へ

「プライムデザインは、過剰人口の脅威を回避する根本的な解決策を示している。地球に存在する人間の抱える重要な問題は、平時におけるさまざまな強制的な禁止法の執行か、あるいは戦時における無意識でしかない、かずかずの破壊行為を承認する政治的改革によってでは、根本的には解決しない。根本的解決策をお金で買うことはできない。うぬぼれた職業的な社会革命家を大衆が支援しても無益な結果に終わるだけだ」  R.B.F (1960)
 『宇宙エコロジー』美術出版社 2004年 第1章 プライムデザイン 

軍事技術は民生化を加速する情況のひとつとして、
たとえば、2001年、中東が舞台の対テロ戦争シミュレーションゲーム「Real War (現実の戦争)」を販売した。このゲームは、米軍軍事訓練用のシミュレーションソフトから、一部機能を取り除き、児童用ゲームとして開発され、陸海空軍を駆使して、いかに戦術をまとめあげるかを学習するために使われた。
一方で、ブッシュ政権がテロ攻撃を考慮して、IT 計画の優先順位を再考した結果、実現が遅らせられた本質的な IT 計画もある。全体としてはその後5年間でIT支出が65%伸びた。
徐々に迫るこうした軍備化の戦略は、半世紀前にバックミンスター・フラーが一般化している。  Y.K

平均的な人類

バイオスフィアの4分の3は海である。
これは人間の水分含有率に等しい。
生命が陸に上がった時代のナトリウムの比率が高い細胞外液の組成が海水に近いように、生命間の比率は相似的になる。
そして人類の大多数は、今なお人生の四分の三は、睡眠、労働、苦痛、束縛、あらゆる種類の苦しみによって費やされる。人類の労働時間は、低下するばかりか上昇している。
テクノロジーは人類を労働から解放する原則に反している。
テクノロジーの本質は step out*だ。
デザインサイエンスの仕事は、地球全土でほぼ無数に存在する。  Y.K
*生産性証明済みの油井付近に掘られた井戸。

農業的思考

他人の考えたとおりに栽培しなければならない。
そうでないと、自分が栽培したとおりに考えてしまう。
こうして、
肥料と農薬なしでは考えられなくなるのである。

すべての植物は、栽培する前に自生していた事実を忘れた社会は、
ますます耕すことでより収穫を上げるという幻想を抱いている。
これは農業社会だけではなく、産業社会でもテクノロジーは
人間が作り上げる前には何一つ存在していなかったという幻想を生んでいる。
こうして、フラーレンやナノチューブも水素原子のように宇宙空間に存在していたという意識的な発見は、実験室での偶然の合成よりもずっと後になる。
ところが、元素の周期律の発見はこうした思考に依存しなかったからなされた。  Y.K

消失点

プレートテクトニクスが機能している厚さも地球のほんの表層のせいぜい数100kmに過ぎない。
大気圏が機能している厚さと変わらない。
私が、仕事で奥出雲空港を中心に大都市圏を往復する距離のほうが大きいのである。

最新のプレートテクトニクス理論や流体地理学を理解する場合、
土地資本主義という遠近法を支える<不動産>という固定された消失点が、一過性の人工物に見える。  Y.K

知られざる循環型社会構成

対話のない農村は存在しない。
都市と農村の交流は可能だ。
ただ、どうすれば民主的に見えるかさえ知らない農村は存在する。
ミラーイメージは鏡像であるが、鏡像を忘れた集団性は農村部の団塊の世代が構成していることがほとんどだ。彼らの共通点は、最初に都市からUターンした世代だ。そして定住者として手厚く保護された補助金バブル世代だ。
彼らの特徴は、一階がトラクターを格納する納屋があり、その2階部分に息子夫婦が住んでいる。
このトラクターも納屋も補助金(自己負担は最大で50%)で個人所有にされたものだ。
補助金は、利子どころか返済の義務のないことはいうまでもない。
こうして、住民票だけを残して息子たちは都市に移住して別の職業に就くことになる。
彼も再び村への定住者として手厚く保護される準備のために。(少なくとも2年前までは3子目を生みに帰ると、100万円が奨励金として贈与されていた農村は無数にあった。いうまでもなく子供たちは都市で教育される。)
こうした日常性こそ市町村合併前までの<明るい農村>の姿だ。

<明るい農村>は補助金による循環型社会の実例の一端にすぎないが、
この分野の都市と農村の格差はほとんど知られていない。
知られていない最大の理由は、都市納税者の常識からは想像できないからだ。

メディアは農村部の高齢化少子化を心配するが、こうした会計学は決して取材しない。
取材記者もまた都市納税者の常識のままだ。
こうした日本型権力構造が、グローバリゼイションの障壁になることは戦後の農村部を解体したアメリカの戦略のとおりであった。
なぜなら農民は補助金のおかげで、現金をほとんど貯蓄できたからである。

郵政民営化までのシナリオは、アメリカの軍部の戦略ノウハウである。  Y.K

智のデフォルト

インターネットから学生たちが一番危機を感じるのは、インターネットには誰かのアイデアを模倣したもので溢れているという事実である。
発明とは、他人の発明を模倣しないようにするのではなく、
原理を発見することだ。
発明は発見された原理を応用することだ。
これらことはよく知られている。
偉大な発明者がたいてい原理の発見と発明を同時に成し遂げているのは、宇宙は無数の原理で溢れているという智のデフォルトを大学で教育される前に理解しているからだ。発明者は、それ自体を教わるのではなく自らの試行錯誤から発見していたに違いない。
このことはよく知られていない。
偉大な発明と発見は、20世紀以後ほとんど大学の外でなされているからだ。

散漫な教育は、無用であるばかりか、メタフィジクスを滅ぼしている。
メタフィジクスの減衰が生命の危機に繋がるという認識は、宗教と同一視されている。  Y.K

最初の計画的陳腐化

試験が済むと、たいていのことはすぐに忘れてしまう。
忘れなければ耐えられない内容だからである。
学校で学ぶことは、最初の計画的陳腐化である。
この計画的陳腐化の後で、傷ついてなお残っているもの、それこそ教育だ。
この教育は、学校がなければもっと残れるとは考えないのが、教師たちとPTAだ。学校社会は、人間の精神は文化環境によって形成されるという幻想によって維持されているにすぎない。
言語の普遍的デフォルトについて何も分かっていない。  Y.K

教育死亡率

飛行機にエンジントラブルがあれば、
緊急着陸するか、原因が解明するまでは飛行はできない。
墜落事故の原因から設計変更される場合がある。
自動車にも電気製品にもリコールがある。
ところが、こどもが自殺しているにもかかわらず、その学校は今日も運営されている。
教育システムは工業製品ではないが、生命に関わりがあることは明らかである。
大学の合格率と同様に、
日本の義務教育システムによる死亡率を公開すべきである。  Y.K

メタフィジクスと超訳

「形而上学」は、
『易経』の「形而上者謂之道、形而下者謂之器」
 (形よりして上なる者これを道と謂い、形よりして下なる者これを器と謂う)
に由来していて、
明治時代にこの概念を導入した際の頼りない、一種の超訳=メタ訳なのである。
こうした訳語は不思議とカタカナで語の本来の意味が復活する。  Y.K

メタフィジクスとフィジクス

アリストテレスは、ほとんどの重要な講義を文章として残している。
そのうち、物体の運動などこの世界の物理的現象を扱った講義録があるが、後の分類学者がその遺稿に対し、テーマごとに分類して『自然学』(physika)とした。この『自然学』(physika)の講義録には、続編があり、この現実世界の「背後」にある原理などが考察されていた。分類学者が、この講義のことを 『自然学の後に続く書』(”ta meta ta physika”)と分類した。つまり、アリストテレスの分類ではないが、自然的なものを超え自然的なものの基礎となる問題について考察する学は、21世紀でもメタフィジクス(Metaphysics)と呼ばれている。一方、フィジクスは『自然学』ではなく『物理学』だけを意味するようになった。

メタフィジクスは哲学でフィジクスが科学だと明確に分類する概念は、
古代ギリシャの『自然学』にもなかったが、
現在の『物理学』は完全に除外している。
メタフィジクスは、「科学的ではない」という常識が支配している。
超専門分化するのは、フィジクスばかりであるという
分類学のルールに従っているだけである。  Y.K