体内殺菌剤

水泳やラフティングをすると
耳垢(ear wax)は急激に増大する。
耳垢が弱酸性で
殺菌剤としての役割を果しているだけではなく
防虫効果があるのは
人間の長期的なアウトドアでの生活から生まれたのである。

破壊

古いものが再び現れるには
新しいものがすべて破壊されなければならない。
利潤のみを増大させるために。

陳腐化のためのテクノロジー

科学研究の目的は実用化への口実を元に
科学テクノロジーは実際は記号テクノロジーの変形となり
しばしば補助金獲得の競争になっている。
権力テクノロジーに接近し集結した科学研究者という組合同業者の中では
あるがままの自然を理解するための実践はたえず後退している。
懐胎期間を超える真の実践は
補助金獲得によって、記号化された実用化とは異なる。
なぜなら、懐胎期間を短縮する真の実践こそは、
権力テクノロジー自体を深く陳腐化するからである。
陳腐化のためのテクノロジーは
人間の目的意識や欲望の物質化ではなく、宇宙に属する。

砂のデルタ都市

この大規模災害で人生が変わるのは運命とは言えない。
広島はいまでも砂のデルタ都市だ。
太田川はこのデルタ都市を形成した大河である。
広島の八木地区はかつて太田川の堤防沿いに拡がる
美しい梅林で、徒歩での春の遠足を思い出す
沢や谷を宅地に偽装して
住宅を買わされた人たちは
古い土地資本主義の未来の犠牲者だった。
観測史上記録的な豪雨といった誇張した気象現象に原因を求めるよりも
無謀で悪質な都市計画と土木事業を批判する古典的な地理学が不在なのだ。
この災害が地球温暖化説で説明されるのはもっとも虚しい。
自然気象を偽装できるほど、人間は自然を知らないまま
砂上都市はつねに流動する<浮かぶ都市>なのである。
実際、広島の地下鉄のインフラが整備できたのは20世紀後半になってからであり
しかも本通 – 県庁前間の0.3kmしか建造できなかったのである。

Doing everything with nothing

すべての原子は互いに掛け替えられ
掛け替えられる毎に劣化しないのである。
掛け替えのない
唯一無二の美や心の優しさ、喜びが
個人の生活を支える根拠と見せかける社会が
戦争の根拠を捏造し
疫病の恐怖で人々の行動を制限し
われわれを徐々に破壊しているのである。
夕暮れから焚火をして
星々の瞬きと共に眠りにつく前に
焚火の炎よりも輝く
流星群を見る生活を記憶した末裔までも
殺してしまったのである。
唯一無二の網膜を超えた解像度でさえ、再び、
無限に掛け替えられる美や心の優しさ
そして、喜びを見ることはできない。
原子の役割が原子周期律表に記載されなかったように
人間の役割が、まだ記号化されていない惑星にいる。

環境デザイン

実践によって環境をデザインできる。
しかし、環境を支配できないのは
人間は環境の一部でしかなく、
どの部分からも全体から見通すことすらできないからではなく、
「環境とは、自己を除くすべて (R.B.Fuller)」だからである。
そして「宇宙とは、自分を含むすべて (R.B.Fuller)」であり、
自己を除外して全体は存在しないからである。
環境デザイン理論は、洞察の一形式であり
ダーウィンから始まった生態学的思考形式の一つのタイプでしかない。
環境の部分も全体も
自己を除いて互いに繋がっているにすぎない。
こうして、科学的行為に自己を除いて
投影された理論を求めている人々を
知的だと考える習慣がまだ生き残っている。

ハイエンドユーザ

テクノロジーの超専門家になろうとする若者たちは
原理の発見者とその概念化に失敗しても
たいていそば屋かうどん屋で生活できるとは考えていない。
だからこそ、才能が開花しない場合
権力構造と権力テクノロジーの虜にされる。
動機なき超専門家を試行する人間に
思考言語(thinktionary)の形成は困難である。
彼らが記号テクノロジーの
ハイエンドユーザであるかぎり
動機なき超専門家を教育するシステムは存続する。

科学論文

科学論文投稿までには
「1. 着想・企画、2. 実験の実施、3. データの解析と図表の作成、
4. 論文の文章の書き上げの4段階」があるらしい。
科学的発見の過程に
科学論文の記述方法の天才性などは介在しない。
なぜなら、科学は<着想>から始まるのでなく
<発見>から始まるからである。
優れた<着想>を作り上げるための科学論文の記述方法の天才性などは
専門分化に従事する専門家たちの自惚れである。
原理の発見者とその概念化におけるパイオニアは、
しばしば、論文のレフリーや熱狂的な投稿者とは無縁な生活をしている。
シナジェティクスは学会を形成しない純粋科学における
探究方法を開発してきた。