自然のエンジニアリング

テンセグリティは張力統合体である。
だから張力材をゴムひもで代用できると考えやすい。
しかし、ステンレスワイヤーでさえ釣り糸程度かそれ以上に伸びてしまう。  
幾何学モデルとして、テンセグリティモデルの弾性的性質は自由に決めて良いが、
この張力体をゴム材で構成することは、
自動車のタイヤをヤング率の異なった金属や木で
自由にデザインするようなものだ。
つまり、テンセグリティから自然の構造を学ぶなら、
自由な選択には、最適なエンジニアリングの決定的な欠如が
含まれていることに気づくだろう。
フラーレンもナノチューブ(のヤング率)も、
高抗張力の炭素繊維などのテンション材で構成された
テンセグリティ以外ではモデル化できないだろう。
自然が構造の作りやすさのために、原子間の凝集力を犠牲にすることはあり得ない。
最良のエンジニアリングはつねに発見されてきた。

稀少性

システムのために破綻しているのは、
人間の社会と未来だ。
ミクロ宇宙でもマクロ宇宙でも希有な現象だ。

移動と伝導

見ることは、宇宙的である。
聞くことは、地球上に存続する数千種の言語のように、
民族的である。
人間の視覚神経は聴覚神経よりも遙かに太い。
しかし、物理的現実を、
視覚的に認識できるように脳(網膜も脳の部分)が変換できるのは
可視光に反応する知覚領域の部分だけである。
音速は、一秒間に340メートルであるが、
光速は、30万キロメートルである。
認識するためのこれらの異なった知覚器の神経束の各直径は、
波の移動速度を反映しているだろう。
実際、神経繊維自体の伝導速度も、
その軸索の直径(と髄鞘による被覆の有無)によって決まっている。
移動速度と伝導速度にはある種の比(ratio)が存在する。

反ブレインストーミング

ブレインストーミングは、
アイデアの枯渇に直面する効果的方法である。
モデリングとは、
陳腐な言語を頭から追い出す作業である。
モデリングのなかにすでに存在する
すばらしいパターンに出会う方法こそ、
シナジェティクス・モデリングである。
この新たなモデリング言語の習得に、
オリジナリティは不要だ。
シナジェティクスは、オリジナリティを否定するのではなく
ついにオリジナリティを超える段階に到達するための
自己規律に費やされるからだ。

隠された作用点

沖縄が第2次世界戦争の兵站線にとって重要な海軍基地であったように、
日本は拡大する第3次世界戦争の重要な軍事的支点(レバレッジ)を
担ってきた。
この支点はアメリカが完全に維持管理しているが、
その膨大な経費は日本人がアメリカ国債で支払っている。
軍事的支点で軍事費のための資金洗浄力(マネーロンダリング)は
最大となっている。
なぜなら、アメリカ国債の現金化(そして、偽ドル製造の摘発)は、
政治的レバレッジで不可能になっているからだ。
軍事的支点が第2次世界戦争の終結ならば、
郵貯銀行の無限融資化が第3次世界戦争の開始に不可欠な作用点である。
現在の長引く経済的不況は、この作用点を隠すには最適だ。
偶然に見せかけた現実は、映画以上のシナリオで遂行されている。

現実

概念に重さはなく、
現実は、物質的である。
概念は、超物質的であるが、
観察し、観察される存在は、
すべて物質的である。
自己は、超物質的であるが、
自己を観察するすべては、物質的である。
情報を行為に変換するのは、
自己である。
これ以上の現実があるだろうか。

メタフィジクス•カメラ

軍事衛星から望遠レンズで撮影される地球全土の高密度な映像は、
球状に連続され続けている。
しかし、人間は自分を外から見ることはできない。
また、外側のすべてを同時に見ることはできない。
言い換えれば、内部からと外部からの2種の720度の視野角は、
人間には非同時的にしか認識できない。
両眼は互いに接近しすぎているばかりか、
網膜が球面の一部にのみ形成されているからだ。
人間は、視野角がとても狭くデザインされている。
その初期設定を超えるための超広角レンズを使用しても、
180度以上の視野角を超えられない。
(個人の記録欲を満たすためのデジカメは、広角レンズが主流である。)
柱のない広大な礼拝堂空間をもつモスクが半球以上に建造されなかったのは、
このデフォルトの視野角にあるだろう。
内部からと外部からの2種の
完全な同時的な720度の球面の視野角を、
人間のデフォルトの視野角でも認識可能な平面に変換できれば、
主観的で客観的なすべての現在を記録することができる。

現在

現在の出来事とは、過去の結果や未来の兆しではなく、
非同時的な過去の反作用であり、非同時的な未来の結果である。
すべての現在は、
主観的で客観的な過去と未来に作用する物理的な支点である。

お金と富

金融危機が生産システムの崩壊をもたらすのではない。
生産設備の所有権強奪が危機をもたらしている。
そして、より多くの人々がこれまで以上に
お金のために生きていかざるを得なくなるだろう。
金融危機を起こすには、お金でお金を稼ぐ欲望を高めなければならない。
それは、自分たちのシナリオのために作られた複数の人生プランを提示し、
人々に選択させることによって遂行される。
たとえば、より多くのお金と保証(そして保障)を求めて、
両親は子どもの学校の成績を上げさせようとする。
成績の向上は、元金の損失のない暗黙のレバレッジ効果を生む手段であった。
しかし成績と真の理解の違いは、お金と富の違いほどある。
実際、膨大な不換紙幣を刷って真の富とを交換し、
それらを独占している連中が、
人々の永久的な奴隷化を計画しているのである。
そして、日銀の金庫には金(ゴールド)はまったく保管されていない。
この狡賢いシステムには、お金と富との違いを教育しない意図的なバグがある。

究極の手段

バブルや不況は偶然の産物ではなく、
ビジネスの究極の手段である。
奪うか奪われるかは経済理論ではないので、
彼らはつねに第1級の経済学者や数学者を雇用する。