著作権法が
生物のDNAが今のところ未だ無料だという前提に触れたがらないのは、
地下埋蔵資源はそれを埋蔵する土地を所有すれば、
すべて所有できる法律を作成した連中と事情は同じである。 Y.K
地獄
平和な世界が不都合な人たちがあんなに自惚れていられるのは、
平和のすぐそばに
墓ではなく
無数の地雷のように地獄を用意しているからだ。
これが、地獄を爆弾よりも畏れている21世紀の暗黒時代の姿なのだ。 Y.K
情報シントロピー
情報はため込むのではない。
吐き出すのだ。ハードディスクの外へ。
ハードディスク内の情報を劇的に減少させる唯一の方法は原理を発見することだ。
これは新しい秩序がもたらすイニシャライズだ。
秩序によってあなたは確実に軽くなる。 Y.K
情報エントロピー
情報には重さがない。
しかし、理解しないで何でもため込んでいると、
ハードディスク内のエントロピーは増大するばかりだ。 Y.K
ニート
何もしないでいつも家にいることを選択できた最初のニートは王様だった。
しかし、王様の意志は人々から尊敬された。
株主は2番目のニートだ。
お金でお金を稼いでいるステータスを求めてせっせと株を買っている。
働きたくない人々は増えるばかりだ。
ニートは至る所にいる。
一時的にニートにならない人はいない。
ニートは資本主義の立派な目的だ。
ニートに著しい生活格差と情報格差があるだけだ。
ニートは資本主義の立派な反映だ。 Y.K
*ニート
NEET(Not in Employment, Education or Training) とは、
教育機関に所属せず、雇用されておらず、職業訓練に参加していない者であり、
離職中・求職中・育児又は家族の世話・無給休暇中・病気や障害・ボランティア活動までを含む。
角度
環境は、観察者を除外すれば存在しないが、
観察者を宇宙から除外しても角度は存在する。
角度は、大きさから独立した概念である。 Y.K
全方位
環境は明らかに自分以外のこの720度問題なのである。
つまり、環境とは
すべての人類の置かれた環境が互いに異なっていることが問題なのである。
エコロジーは、この問題を除外しては存在しない。
「テトラマ」はつねに主体の位置(=観察者の居場所)に関わっている。
しかし例外的にバイオスフィアの中心に観察者が移動すると、すべての局所的「テトラマ」は、完全一致するだろう。
この極軸上の点は認識に著しい変化を引き起こすだろう。
バイオスフィアと大気圏外宇宙は720度で完全に一致している。
全方位とは、球状宇宙の720度である。
「テトラマ」は地球儀でもなければ、天球儀でもない。
すべての対象物が観察者からある距離に配置された宇宙の相互関係をパターンとして視覚化する装置である。
エコロジーが今までになくより多くの人類を宇宙意識へと誘導しているのは、無意識にこの720度が関与しているからだ。 Y.K
「テトラマ」
超広角レンズの最大視野角は180度である。
レンズでは不可能であるがパノラマ(panorama)という図法から最大視野角は360度まで拡張できる。
しかし、自分を取り巻く全方位は360度であると信じられてきた定理は数学的に間違いである。パノラマ(panorama)はすべてを決して捉えない。
360度のパノラマはメルカトール図法の矛盾を引き継いだ不完全な球体認識である。
周囲の角度は720度である。
つまり、ひとつの頂点の周囲の角度は720度である。
これは(正)4面体の内角の総和に関係している。
人間の視野角では同時に720度を見ることはできない。
私はこの新しい視野に変換する図法を「テトラマ」(tetrama)と呼んでいる。
「テトラマ」によって自分を取り巻く全方位は720度で捉えられる。
異なった観察者が見るすべての「テトラマ」は互いに異なっている。
つまり、あらゆる「テトラマ」は局所的なのである。
私はこの本質的な問題を「テトラマ」問題と呼んでいる。 Y.K
クリティカル・パス
これまでの環境の制御技術の非効率性が意図的に制御されてきた理由は埋蔵化石燃料を独占した権力構造が、その資源が枯渇するまで非効率的であればあるほど、資源の消費を高められ、その結果より独占できるからだ。
この非論理性に付き合う世界の100万人以上の技術者と科学者、そして数百万人の教育者がいなければこの独占は一日たりとも存続できない。
生き延びるための生業と必要とされる仕事はますます引き裂かれている。
この状況のなかで生まれる方法こそが「クリティカル・パス」なのである。 Y.K
環境の制御技術
「構造」と呼ばれる建築空間でなされる絶えず変化していく暮らしは、静的構造より重要であることは明らかであったにもかかわらず、住居(シェルター)は人生それ自体の目的として見なされ、生命活動の手段としてはほとんど無視されてきた。
これまでの環境の制御技術の非効率性は、不動産としての住居というまさに不動の固定観念で意図的に制御されてきた。このことは21世紀でもイデオロギーに無関係に制御されている。
その結果、大気圏内外の先端的な環境の制御技術が軽量化に求められられるのとは対比的に、現存するすべてのイデオロギーは住宅の軽量化には無関心を装っている。
環境の制御技術によるエネルギー効率は、再生的な軽量構造デザインによってのみ著しく向上する。石器時代から継承されてきたより重いモノが優位に立つ圧縮のテクノロジーとその歴史は危機に瀕している。 Y.K
